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2006/11/13(月)
たまには真人間日記。
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連日、いじめで自殺するニュースが後を断ちませんね。 良い悪いだけで話しちゃうと加害者当人が絶対に悪いけれど、それも親の育て方の所為だと言っていい。 自宅納屋で首を吊った中2男子は、いじめグループにあの遺書を書かされた。グループのリーダーは事件後ターゲットを変えいじめていたのが表面化、現在は一家で引っ越しを済ませたとの事。 …自分の息子が誰かを死に追いやったのに、謝罪もさせず引っ越したこいつの親は罪に問われない。日本の法律は、死に損なんだよ。死んだ方が負けなの。
3分の1はマスコミの責任でもあるね。校長先生も何人死んだ?確かに教師失格な人間もいるが、文字通り校長の首ひとつでいじめが無くなるワケじゃなし、学校に全責任を押しつけるあのマスコミのやり方には反吐が出る。同時に、死にたがるガキと、マスコミ使って泣き喚く親連中にも反吐が出る。
せっかく授かった生命、しかも人生でたった1回しか死ねないってのに、そんなメインイベントを早々に出しちゃうなんてもう少し考えろよと云いたい。健康な体で長生きしようと思えば出来るくせに、わざわざ痛い苦しい思いをしてまで、自分を愛し育ててくれた家族の思いを、子供に先立たれたあとの一生抱える後悔を代償にしてまで、今どうしても急いで死ななきゃならん理由なんか、誰にも鼻糞程もないんだよ。
ウチには学生サンの読者も多いよね。君達の中に、親と「生命の尊さ」について真剣に話し合った事のない人はいるか?お互いの「死」についての見解はどうだ。よもや自殺を「権利」だなんて思ってる輩はいないだろうね? 死ぬまで生きるのは、この世に産まれた者達総てに与えられた「義務」であって、それも果たさず死ぬ「権利」だけを主張するのは、恥ずべき行為だ。そんなのヒトの自由でしょ、と反論もされるが、冗談じゃない、そんなものを「自由」だなんて呼ばないで欲しい。自由ってのは生きる覚悟がいるんだ。
いつも引用する、「お前が死んでも何も変わらない、だがお前が生きて変わる事もあるだろう」とは、某生臭坊主の台詞。
親でも友達でもいい、生死について真剣に話し合ってみて下さい。綺麗な言葉じゃなくていい。相手がいない人は私と話をしましょう。誰かと意見を交わす事で、自分以外の他人の思いに触れる事で、人間は学習し、その経験を糧とする事が出来るのですから。
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