えりこの日記
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2004/09/25(土) シンクロ特訓
朝目覚めて顔を洗いに、母の部屋を通過しないといけないので、
部屋に入ろうとすると、なにやらベッドでばたばたしている母の足が見える。

入って見ると、ベッドの上で体を左右に手足をしっちゃかめっちゃかバタバタと動かしている。

多分寝起きの体をそうして目覚めさせているのだろう・・と思ったが、
私は「シンクロしてるん?」と聞いた。

ぱっと上半身を起こし意気揚揚と、「そうよ!」と答えるやない。
そして、またシンクロらしき動きをバタバタと開始しだした。

すかさず私は、
「そんなんじゃ、だめだめ!!」とコ−チよろしく、シンクロ一年生を横にやり、手本を見せた。

「うまい・・!」と新人一年生。

即席コーチは得意げに技を披露。

そうだ。この即席コーチはウォーターボーイズをくい見るうちに、
技を覚えたらしい。

コーチは調子に乗って連発していると、
一年生は先に顔を洗いに行ったらしく、
そこにはベッドの上でひとり暴れているコーチが、
朝焼けに照らされるのだった。

2004/09/24(金) 井の中の蛙
井の中の蛙。

自分がどれだけのものか、
自分がどれだけ小さいか、

色んな人と出会うなかで思い知らされる。

テストみたいだ。
小さな学校でのテストでは、100点をとれていたのに、
都会の大海原にでて、いざテストを受けてみると、30点だった・・
なんてね。

私はしばらく落ち込んだ。

誉めてもらうのもいいけど、それだけでは自分は気づかない。
いったん崖から落とされて、初めて自分の立場がわかる。
目が覚める。

居心地のいい環境、認めてもらう環境もいいけど、
甘えず恐れず、往々にして、
外に出て自分の頬にあたる風を感じることって、大事。

輝きを放つには、チャレンジって大事。

2004/09/20(月) ときが刻むもの
時間

時計がなければ、目には見えないもの。
だけど、刻一刻と時は刻まれている。
時はいのちと同じ。
ただそこに息づいているのだけど、
わたしたちが、落ち込もうが、笑おうが、体を休めようが、一生懸命働こうが、
ずっと同じテンポで進んでいる。

ずっと、永遠に続けばいいと思う ときも、
ずっと、続かないでほしいと思う ときも、
ずっと、同じように前に進んでる。

わたしたちがこの世に生まれてきたとき、わたしたちのいのちが時を刻み始めた。
いつまで続くの?それはわからない。
いつまでも続くものだと思ってる。
でも、いつまでも続かない。

おはようからおやすみと言うまで、これの繰り返しが、
おはようと聞いてから、おやすみを永遠に聞けないことだってある。
だから、いのちの始まりに元気いっぱい おはようと言って、
いのちのお休みに感謝をこめて おやすみと言おうと思う。

嬉しきことも、悲しきことも、時が進んでいるように、いつまでも続かない。
だからこそ、日々頂くいのちという時をめいいっぱい活かして、チャレンジしよう。
毎日がどんなことがあっても楽しい人生であるように。

2004/09/18(土) こころの持ち方
こころの持ち方ひとつで、同じ世界が違ってみえる

こころの持ちかたひとつで、同じ時間がみじかくなったり長くなったりする

こころの持ち方ひとつで不幸が幸福になったりする

こころの持ち方ひとつで目の前の人が優しくなったり冷たくなったりする

こころの持ち方ひとつで非常識が常識になったりする

こころの持ちかたひとつで悩みが笑いにかわったりする

すべてこころのおきどころ…

さて、今日はこころをどこにおきましょうか。

2004/09/08(水) 新ウォーキング
大阪の北の果てから新ウォーキングが発案された。

発案者は母。

新ウォーキングは、帰りが遅くなった私を迎えに来たときに、生まれでた。

その名は「コンパスウォーキング」

電車から降りでた私を待ち受けていた発案者は、その新発案に少し興奮気味だ。

「ここまで来るのに5分早く来れたの。その訳はね!」と言い、ここまでに来たそのウォーキングを披露してくれた。

私はそのあまりの動きの早さに驚き、それとともに笑いが止まらなかった。
歩幅を思い切りとり、頭の位置を変えずに真っ直ぐと前を向いて歩くのだ。

確に早いが、人目のつくところではあまりにも歩く存在が際立つ。

「これを思い付いたのはね、マラソンの野口選手からなのよ!」
と前へ前へとコンパスウォーキングで進んでいく。

どこをどうヒントを得たが知らないが、発案者は新たな発見に意気揚々だ。

でもさすがに、慣れない動きで坂を上がっていくのは負担がかかったのか、勢いと速度はゆるまり、いつもの普通の歩き方になっていた。

でも夜道に見たコンパスウォーキング…
あの衝撃は鮮烈に、えりこの脳裏に焼き付いて離れないのだった…。

2004/09/05(日) 感謝ということ
感謝ということ。

感謝ということについて、感動するような話を聴いたので、わたしの中のスイッチが入った。
人への感謝、ものへの感謝、環境への感謝。
ものにしても、環境にしても、誰かの手がかかっている。
計り知れない配慮がある。心遣いが息づいている。
どれもその裏側には、見えないものが息づいている。
ついつい、わたしたちは忘れそうになる。

だが、確実に、そこにはある。

電車に乗るとき降りるとき、単なる改札機を通り過ぎるだけだけど、
でも、電車を動かしている人がいる、運転を見守っている人もいる、安全を点検している人もいる、改札機の修理をしている人もいる・・。
そこには、たくさんの人の息遣いがある。

だから、ありがとう。
今日も安全に時間通りに乗ることができて、降りることができて・・

お金を払っているから当然なのじゃない。
当たり前のことなんてなにひとつない。
人生の先輩が、夜も遅くまで働いてくれているおかげで、生活や仕事ができる。

前、テレビで漫才師中田カウスさんのお弟子さんが、師匠カウスさんとの数々のエピソードを語っていた。
その中で、印象に残ったこと。

ある居酒屋で、師匠を囲んでお弟子さんたちと宴会をしていたとき、
ばたばたと走り回るお店の人に、注文を頼もうとしても来ないので、
「ちょっと!すみませーーん!」と座ったまま手を上げて叫んだ。

そこで師匠から一発叩かれる。
「何しとんねやー!向こうのほうが年上やのに、なにえらそうにしてんのや。
 こっちから行って、「すみません、注文よろしいですか?」と聞いてくるもんや!!」
と怒られたらしい。

わたしはびっくりした。
確かにそうや。お金を払っているから何をしてもいいもんじゃない。
最低限のルールがある。

わたしも千房で働いているとき、座敷である会社の宴会が予約されていた。
ここだけの話だが、宴会などはありがたいが、店員にすればあまり嬉しくない。
なぜなら、半分以上のケースであまりお行儀がよくないことがあるからだ。
ひとりや少数だといい人なのにね。

宴会席係りになってしまい、うぅ、また大変だなぁと思っていた。
でも、そこの幹事さんがなかなかできた人だった。
中にはしゃぐ人がいて多少やんちゃしても、すぐフォローに入り、
年下のわたしに「ごめんなさいね。忙しいところ申し訳ないんですけど00いいですか?」
などと、丁寧に接してくださった。

どんなに丁寧に接しられても、全然悪い気はしなかった。
最後まで気分が良く、その席で嬉々として働く気持ちになった。
こういうことなんだろうな・・と、今思い返してみるのである。

感謝の気持ちはいくら持っても損はしない。
表現すればするほど、恩恵ははかりしれない。

2004/09/03(金) 見方を変える
北海道の旭川に日本一の入園数を誇る動物園があるという。
動物園というと、子供を連れて行って、檻の向こうの動物たちを遠めに見るという、ごくありふれた光景が定番だが、ここは違う。

この動物園も、以前は入園者の激しい落ち込みに合った。
だが、新しい園長がメスをいれた。

園長は言う。「みんな動物園で動物たちを見るのは飽き飽きしているんですよね。でも、本当は違うんです。見ようによってはいかようにも変わるんですね・・。」

そこの動物園は、動物たちが生き生きとしている。
従来の檻の向こうの、こっちを向いているのか向いてないのかわからない動物たちではない。

頭の上を自由自在に泳ぐペンギンたち。 
ガラス一枚向こうで水もぐりをして遊ぶ白熊たち。
地下の観客の鼻の先のところまで泳いで遊びに来るアザラシたち。

動物たちの生域に人間がお邪魔して見ている、そして一緒に遊んでいるという感じ。
自分たちが水の中にいて、そのなかに動物たちが遊びに来る。
向こうも人間に興味を示している。

全く新しい発想。新しい切り口。
なんせ動物たちが生き生きと遊んでいるのだから、こっちだって楽しい。
切り口を変えるだけで、傾きかけていた動物園が見事に蘇った。
これからも新しい発想で、しかも低予算で、新しい企画が形になる。

素晴らしいなと思った。
檻の中に閉じ込めて、お客さんと距離を置いてしまうことより、
どうしたら動物たちが生き生きと楽しんで、結果お客さんに楽しんでもらうか。

同じものは何一つない。腐らしてしまうか、息吹を吹き込んでいのちを与えるか。
血が通うとはこういうことなのですね。

2004/09/02(木) それは丸太棒
レジに丸太棒のようなタオルの束を持っていくIさん。

それは一袋1000円!袋に入るだけならタオル何枚でも1000円!という催しものでの光景。

A4くらいの大きさの袋に、普通の大きさのタオルをなんと22枚詰め込み、まるで丸太棒のようにかちかちになったタオルを、脇にかかえ、
“これ・・・レジに通るかな・・??”と内心どきどきしながら、レジをクリアし、ひとりひそかに喜びをかみしめるIさん。
やったね。Iさん。

それにしても、レジの人は丸太棒のようなタオルを、ひっぱりだすのに苦労しただろうな。

2004/09/01(水) 会話から生まれるもの
最近母ネタばかりなので、真面目な話もしなきゃね!と思う今日この頃。
と言いつつ、さっきまで私の頭の中は、マツケンが楽しそうにサンバUを踊っておりました。 あかーーーーん。

この前まさみちゃんのカバラ企画で、牛さんが話をされて、その内容が面白かったので感想の一部を書かせてもらいます。

夢って人それぞれあります。
壮大な夢もあれば、身近な夢もあります。

そうした夢って、いくら描いていても一人で考えていたら、たとえば無理かな?というマイナス的な発想がどうしてもよぎってしまうことがあります。

人ってひとりでいると、マイナス的になってしまう傾向があるんですね。。

そこで、二人一組に分かれ、それぞれ一方が夢を語り、片方はそれを聴いて承認してあげる、というセッションに入ります。
そして聴き手は一切否定せず、ちょっかいも入れず、ただ聴いてあげて更に具体的に聞き出してあげること。

私もDr.Kとペアになり、夢を聴きました。
いいですね。夢のある歯医者さんが私の頭の中で繰り広げられました。
そして私の夢も・・・承認してもらうと・・不思議な気持ちが湧き上がりました。

向かい合ってまじめな話をすると照れくさいのですが、
しみじみ大事なことだなぁと思ったのです。
承認というパワーは意外に凄いものかもしれません。

私の中に自信と確信と真実味が湧いてくるのです。

人と前向きな話をすること、対面して話すことは、エネルギーの交換が行われてエネルギーが増幅していくのですね。
会話というものは、そういう意味では意義深いものです。

今日もある方とお話をしました。

話の中で、ディズニーに来たある夫婦の話をされたときに、
その方の目は涙を隠しきれませんでした。
私は驚きました。感涙してるんや・・・

これも、私に話しをしなければ、気づかなかった感情。

もっともっと伝えなくちゃいけないことがある。
もっともっと話さなくちゃいけない言葉がある。
そう思った今日一日。


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