えりこの日記
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2004/08/05(木) 千房社長U
丁稚奉公したとき、お給料が5000円だった。
独立したかった。とにかくお金を貯めて・・・
同じときに就職した友人は同じような業種で、しかも仕事は私より楽。それで10000円だった。びっくりして、すぐさま転職しようと母に相談した。すると、怒られてお願いだから今のところでとにかく頑張りなさい、と諭された。

金銭出納帳を毎日つけ、こつこつ独立資金を貯めていった。
貯金はというと5000円まるまま貯金。
生活費は一日の休日出勤手当て500円と、社長の家の掃除で500円、合わせて1000円を捻出した。
一方その友人はというと、貯金3000円。お給料には到底かなわなかったが貯金額は勝っていた。

とにかくお金を貯めるには“遣わないこと!”を徹底した。

毎月毎月5000円を貯めていき、何十万円貯めたお金を持って、小さなお好み焼き屋を譲り受けて経営した。
だが家主から突然追い出され、ようやく貯めた80万を持って新たなスタート。
といっても新たにお店を出す資金は到底届かず、無担保でどこの銀行も貸してはくれない。

そこで目をつけたのが、投資。先物取引や株に手をつけてしまい、一気に暴落。
ようやく貯めた80万もきれいさっぱり消えていった。

どうにもこうにもならない。
そんな中相談しに行った銀行の支店長が、幸運なことに何千万という資金を貸してくれた。
そうして28歳にしてお好み焼き専門店「千房」を千日前に開店する運びとなったのだ。

どうして、何の担保もない一青年にそんな資金を貸したのか。
そう、ずっと丁稚のころからつけてきた金銭出納帳が、支店長の目に留まったのだ。
それが担保となった。

私はその話を聞いて、静かに感動していた。
すっと持ち続けていた夢。独立。
はじめにお好み焼屋を譲り受けたとき、お好み焼なんか・・と抵抗があったという。
でも、だからこそ、僕が立派な店を作って成功してやろうと切り替えた。

夢を持ち続けた。 彼の揺るがない信念が彼に道を開いた。
そんな経緯があったのかと、あの道頓堀ビルを改めて思い浮かべる。
そして、たった一回の人生どうせなら、そんな信念を私も持とうと思った。


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