えりこの日記
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2004/06/18(金) 番外編 にんにくライフ
「にんにくライフ」
この言葉は、ある母と子の会話から生まれた。

私は無類のにんにく好き。
あるとき台所から芳ばしいかの香りが漂ってくるではないか。
私はころげ落ちるように香りの発源地へかけ寄る。

母は、「タイミング良く、出てきたわね。」

出てきた、て…
娘を、台所の隅から匂いをかぎつけてきた生き物のように言わないでほしい。

私が鼻をくんくんさせて眺めていると、母は自慢げにフライパンを持ち、
「にんにくライフ♪♪」と言った。

何だ??にんにくライスの間違いかと思った私は、笑って聞き返した。

また母は、
「にんにくライフよ。にんにくライスとにんにくピラフのあいの子♪」
きちんと一応裏付けのあった命名である。

でもどう聞いても、「にんにく生活」といういかにも、にんにくに命を捧げた生活のようにしか聞こえないが…

母は、「金利安くしときまっせぇ。今ならお得でっせ〜。」
と言い寄ってきた。
ローン会社の「ライフ」とかけているらしい。

私は頭が痛くなりながら、そのライフを食べた。

2004/06/17(木) 人と人とのつながり
インターネットでは様々な情報が行きかう。
誰もが見られる、誰もが参加できる。
携帯やパソコンで・・・
結局、ほとんどのところみんなコミュニケーションを求めている。
かかわりを求め、出会いを求めている。

ふと思う。
耳にあてているこの小さな機械から、なんで遠く離れた人の声が聞こえているのか。
電波という見えない波が声を運んでいるなんて、考えてみれば不思議な話だ。
どこでも、いつでも、久しぶりの人でも、電波が飛んでくる。
人は便利さを追求して、距離を縮めようとして、便利なものを開発する。

ヨーロッパの寿司バーでは、
席を座っているもの同士及びカウンター越しでチャットできるようにし、
例えば知らないもの同士が、「あなたの飲んでいるカクテルは美味しいですか?」
などと画面でチャットしあうところができたらしい。

ここまできたら、いいのか不気味なのかわからないが、
それほどまでに、インターネットという見えない網であらゆる人が繋がりをみせてきている。

高度なものを極めていそうだが、結局は人と人は触れ合いたいという原始的なものに起因しているのかもしれない。

あくまで便利な機械はひとつの手段であって、それにふりまわされずに、
人間本来の力も引き出していくことも、やっていきたいなと、思う今日この頃。

2004/06/16(水) しあわせ


「しあわせかい?
夢見るときは あなた自身の 旅にでるから

しあわせかい?
好きな人といるときは 自分と出会えた安心感があるから

しあわせかい?
こころ許せる友達といるときは なんの飾りもいらないから

しあわせかい?
自分の良さを知ったとき はじめて自分を好きになれるから

しあわせかい?
なにかに熱中したとき 余計なものが解けて本当に楽しんでいる自分がいるから」

しあわせに感じるのは、本当の自分に触れ、そしてそれを表現したときかしら。

2004/06/15(火) 有ることを知るには
学生時代卒業前の思い出として、屋久島に鈍行で行きキャンプをしながら島を回ったことがある。

鈍行だから当然一日で着くはずもなく、駅の近くで寝泊まりをしながらだ。
私はこの時とばかりに新品の少しいい靴を履いていったが、寝ている時に誰かに持ってかれた。
こんなときあまりいい靴は履いていかないことだと思った。

これから海峡を渡るという時、あれが桜島だよと、指差された先に見えた風景は、何とも言えず雄大に見えた。

屋久島に着き、キャンプをしながら転々とし、雨のなか屋久杉を見に行ったりした。

すべてが初めての経験だった。

家に帰ると気づくわけだ。

屋根がある!
雨が降っても雨が入ってこない!
布団で寝れる!

今までが当たり前だったことがすべて新鮮で、有ることに驚きと感動の連続だった。

そう、有ることが当たり前で、そのなかにどっぷり浸っていたから、有ることにさえ気づいていなかった。

これは大きな発見だった。無くなって初めて有ったことを知る。その存在の有り難さを知った。

雨が降れば、道理からいえばそのまま雨に打たれる。
だが、屋根というものがあるから雨をしのげるわけだ。

私たちはやもすると、健康であることを忘れることがある。
でも、病気になって動けなくなって初めて“健康”というものを知る。

危険があるから安全を知る。

戦いがあるから、平和を知る。

裏があるから表がある。


すべて、相反するものの存在により有ることを知らされる。

悪者がいなければ、正義のヒーローなんて出てこない、正義という言葉さえ出てこないかもしれない。

つまり悪がなくなると正がなくなる。
ということは、正がなくなると悪がなくなる。

つまり、なにもない。

すべては相反するものによって成り立っているのかしらん。

そう考えると、目の前の一見不幸と見える出来事も、幸せを知る大事な大事なレッスンなのかもしれないですね。

2004/06/14(月) 究極の暮らしとは・・・
母と、帰り際偶然一緒になった。
夜もどっぷり更ける暗闇の中、2人で歩く坂道で母は、
玉置こうじが今どうしているかの話をしだした。

彼は鎌倉で自然に囲まれて生活をしているという。
「いいよね」 そう母はつぶやいた。
あくせく働く都会の生活から一転、自然と共に暮らす生活に・・・

ひとが最後に求めるのは案外シンプルな暮らしなのだろうか。

朝起きて自然の営みと共に波長を合わせながら、
日々ささやかな発見と感動をわかちあう、
生きている実感を見つける。
ひとがあくせく働いて結局に求めるのは、なんの飾りけもない世界なのかもしれない。

家に帰るとご飯を食べながら、あるテレビ番組のドキュメントに二人の視線は集まる。

日焼けをした肌に生き生きとした眼が光る男性。
彼は30年間ばりばりの営業マンを勤め、役職つきで退職、
一転、こじか島という無人島の管理人となった。

その島にはかつて多くの人が住んでいた。
でも、みな金銭的成功を求め移民し、人々はついぞその島からいなくなってしまった。

素晴らしい自然に囲まれ、野生鹿が住む島には、年間何千人という観光客が訪れる。

島から都会に去る人、都会から島に来る人、
どちらがいいかはわからない。

彼は言った。
「前のように人々が移り住んできてほしい。
その為にぼくはここで働くのです。
そしていつか、僕が必要とされなくなる日がきてほしい。
その時に僕の役目は終わるのです。」

この最後の言葉がなんともいえなかった。
役目を知り、役目をまっとうしようとしている姿は、自然そのものだった。

2004/06/13(日) なにも考えない
なにも考えない
なんてありえない!と思っていました。

でも最近この、考えないということの重要さを感じています。

たとえば、気持ちの良い挨拶、響き渡る心地いい声。
彼女はそのとき、自分の声がどうだろう、周りからどう思われているだろう、姿勢はどうだろうなどと考えていない。

ただ無心なはず。ただなにもとらわれず、気持ちよく心を解放している。

素直に心を解放しているときこそ、相手も心地良く受け取れる。

邪念もなにもないすっきりした状態。

なにも考えないときこそ、肩に力が入らず素直なパワーが引き出される。

この前「ダイトゥハード」という映画を深夜に放映されていたので、思わず見入ってしまった。

シリアスコメディ爆笑もの!

終えて思った。
馬鹿は強し!

この馬鹿とは、
なにもむずかしいことを考えてないという意味。

その場その場を素直に捉え、湧いてくる感情を素直にキャッチしてアクション。

あー、素晴らしい。

人前で話すときも、なにも考えず素直に聴衆にぶつけているときほど、勢いが違う。感動を呼び起こせる。
どこかと直結してしゃべらされてるという感じ。

準備は必要だけど、あとは流れにまかす。この“考えない”というのが何とも心地良い!
プロの選手でも、トレーニングをこなしているときは、無心になって没頭している。
「これをやらなければ来週の試合がうまくいかないぞ、それにしてもこんなことして本当に実力がつくんだろうか、いやいけるはず。
でも他の選手はどうしてるかな…
あれ?今何回だったっけ。 早く終わらへんかな…」
などと考えていれば、途端に体がしんどくなりきつくなる。

誰かと比較したり、答えや結果をほしがったり、疑問を抱いているうちは、本当の力は発揮されない。

火事場の馬鹿力!純粋な力こそ、事を貫ける。

2004/06/12(土) 全ては幻想
人は身勝手な生き物

暑くなれば、暑いといい
寒くなれば、寒いという

優しくされれば
つけあがり
冷たくされれば
ひどいという

忙しくなれば
時間がほしいといい
時間ができれば
忙しいほうがいいという

恋人ができれば
不服をいい
恋人がいなければ
さみしいという

実家にいれば
うっとおしいといい
家から離れれば
恋しくなる

お金がなければ
お金がほしいといい
お金があれば
お金でけんかしたりする

美しくありたいと願っても
いつまでも満たされない思いがつきまとう。


完璧などこの世には存在しないかもしれない

ただ周りの環境なんて関係なく、自分の心のなかでの捉え方次第で、幸せは決まる。

ただ流れゆくままに物事を受け入れていくなら、
見えるものがあるのではないですか。

2004/06/11(金) 真摯な思い。
やっぱり、人に感動をわきおこさせるのは、

揺るがない真摯な思いが伝わったとき。

それは見せかけでもなく、オーバーアクションでもなく、真摯に目的を追求している真っ直ぐな姿。

究極は純粋な状態。突き詰められた姿は無駄がなく、美しい。

ガラスはなぜ透明なのかというと、密度が濃いから。
ちなみに、実験で、そのあたりの適当な品物を圧縮していくと、本当に透明になるそう。

つまり、一番密度の濃い状態にしていくと、何も見えない状態つまり透明になっていくということ。

純粋な状態になる。

人の思いも同じではないでしょうか。
結晶化された純粋な思いは、空となり無となり、何にも侵されない一番強い状態となる。

水はどこででも変幻自在に姿を変えてくように。
ダイヤモンドが永遠なる輝きを放つように。

純粋な真摯な思いは、何ものにも侵しがたい強さと輝きを備えている、そう思います。

そんな方の話を聴いてきました。

素晴らしかった。
本田氏。

2004/06/10(木) 何を伝えたい?
言葉 

言葉をきれいに並べて話す人がいる。
すばらしいと思う。

でも一番肝心なことは、その人がどうしたいか、どういう思いでそうしているか、
どんな情熱をもっているか。それが一番大事。

何を伝えたいのかな?

人を動かすのは、結晶化された純粋な思いだけ。
人が感動するのは、本気で真っ向に向かってくるような人。

言葉はその先じゃないかな。

私の純粋な思いって、人が幸せになって自分も幸せになることかな。
だから私自身をもっともっと磨いていって、
少しでもあなたに喜んでもらおうと思う。

2004/06/09(水) 今という瞬間の積み重ね
人生は、「今」という瞬間の積み重ね、とよく聞く。
確かにそうだと、最近思う。

クィックレスポンス(迅速な応対)
そしてすぐ行動するということ。
このこともそれに相通じる。

ひとの気持ちは賞味期限があり、感動は時間とともに薄れてしまう。
だから常に新たな感動と新鮮な気持ちを生み出していくこと。
そして表現していくこと。

毎朝起きたら、“おはよう”寝る前は、“おやすみ”
ご飯をいただくときは、“頂きます“食べ終えたら、“ごちそうさま”
何かをしてもらったら、“ありがとう”

昨日言ったから今日はいいか、なんていうこともないし、
さっき言ったからもういいか、なんてことはない。

もしかしたら、明日になったら一緒にいれないかもしれない、
だから、今日そして今という瞬間に伝えておくべきことがある。

私はよく大事なことを受け流すことがある、わるい癖。
たとえば、身近な例でいくと昔は、トイレに行きたくてもトイレに行きたいと言えなかった子で。 いろんなことを後回しにして、今という時を大事にしてなかったのでしょう。

だから、今という瞬間が、今はとてもいとおしく思えます。
今、笑えなければ、今、言わなければ、今、行動しなければ、
多分永遠にその機会はやってこないでしょう。

だから、いつの日か・・というものはいつになっても現れない。
今、決めて、今行動する。
過去も未来も記憶とイメージの世界であり、変えられるのは今という一瞬一瞬。

今、伝えたいことは何ですか・・・

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