えりこの日記
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2004/05/14(金) 世界のなかの日本
世界で訪れる観光客数ランキング

一位は言わずと知れたフランス
二位はスウェーデン
三位はそうです、あのアメリカ

じゃあ日本は一体何位だと思いますか?

実は35位

今の日本は人気がないらしい。
なぜか?

街並みひとつとっても、中途半端な真似ばかりで面白みがなくどこに行っても一緒。特徴がなく、均一化して殺伐とした雰囲気。
(全部が全部ではありませんが)

京都にしても、近代化の波が押し寄せ、どんどん良い建物は壊されて、高層マンションが建設されていっています。

観光客数は、ビジネス含め年間
フランス:7500万人
スウェーデン:7200万人
アメリカ:6500万人
日本:500(300)万人 ()内は観光

素晴らしい日本の芸術家は日本で育たず、海外で花開きます。

日本の素晴らしい文化性はどこへいったのでしょう。
クレジット文化が流行りなんでも安易に買えるようになった時代。

その影には自己破産の大量生産。

誰もが日本を知らなくなり、愛国心のかけらも残されていないような気がしてなりません。

今の一流企業は、中国の学生を積極的に雇うそうです。
賃金が安いから?
いいえ。日本の学生よりよっぽど真面目に働き、日本語もきちんと話し、夢に満ちあふれ眼の輝きが全然違うとのこと。

私は日本人は、アジアのなかで抜群の素地を持っていると思います。

なのに、もったいないなぁと思います。

私はどうも、まだ残っている日本の右習え主義、特出したものを異視する風潮が、大事な人材を抑圧しているような気がします。

そんななかでも、才能をいくらでも発揮している素晴らしい人は、私のまわりでもいくらでもいますよ。

ただ世界のなかで日本をとらえることをしてみて、感じたことを今日は正直に書かせて頂きました。

これからは、普通人の革命だ!(←これはトゥランスミットの理念より)

2004/05/13(木) 表現力ということ
『表現力』
この言葉を何回聞いたことでしょう。

私は表現力をつけろと何度も言われたことがあります。
私には言葉を口で発するときの表現力はあまりありません。

この『表現力』とは一体何なのでしょうか。

人より多く言葉を発することでしょうか。

私は自分の胸に響いた言葉をストレートに相手に届ける力だと思います。

その力を発揮するには技術がいります。

場と状況、そして相手によって変えていく・・・
このことも案外重要だったりします。

例えば、ラフで飾り気がないところや人には、ラフで屈託のない言葉で会話を・・
厳かでフォーマルな場や人には、格式に重んじる言葉で会話を・・

そんな中でも、状況があり、相手各々との心のやりとりの中で、
柔軟に対応していくことも必要だったりします。

つまり、自分というものを大事にしながらも、相手、周りをきちんと見て、相手にあわせた会話をすることなんですね。

会話とは、「二人あるいは少人数でむかいあって話あうこと」とあります。 向かい合うこと・・

表現とは相手に響く言葉をどれだけ持つが磨けるか、ということでしょうか。

そのためには素直な表現を心がけることだと思います。
素直で、かつ心地よい表現。

心地よいとは相手に向かい合って見ているということ。
素直とは感情をストレートにありのままに伝えること。

私は、役者さんが舞台にたって観客に感動をおこさせるために、その表現力を磨くために日々稽古を積み重ねるように、
ましてや、私達の人生の一場面一場面を完璧に演出していくには、
やっぱり表現力というものも、磨いてみてもいいのではないかと、
思うのでありました。

2004/05/10(月) 人を計るものさし
私は時々すぐ人と比べて落ち込むことがあります。

なぜ人は同じものさしで人を計りたがるのでしょうか。
そのものさしは時に鋭利な刃物にもなります。

なぜ人と同じでないといけないのですか。

なぜ女の人は顔が綺麗でないといけないのでしょうか。

そのものさしで、人は他人と比べて落ち込むことがあります。

私は昔、尊敬し大好きだった彼が、次々と他の女性とお付き合いしていたのがわかったとき、自分が美しくないといけないと病的に外見を気にしだしました。
つまり、醜形恐怖症になっていたのです。

結局は空回り。

彼は遠ざかっていきました。

実はそんなことより大事なことがあったのです。

結局はものさしに振り回されていたのは、この私でした。

大事なものさしは自分のこの胸のなかにありました。

どう見られているなんて結局は関係なかったのです。
私が相手をどう想うかが大事なものさしだったのです。

2004/05/09(日) 新コミュニケーション時代
今はメール、インターネット時代。

街中でも、電車のなかでも、ピコパコピコパコ・・・
小さな画面と対話している。

インターネットは大変便利な道具、使いようによっては無限の可能性を秘める。時空間を超え、多数の人に伝えたいことを正確にスピーディに伝達することができる。

鋭利な刃物はプロにかかれば、素晴らしい料理も創り上げることもできるが、
反対に中途半端に扱うと、怪我をしかねないし勘違いもおこしやすい。
勘違いとは、それについ頼りすぎて本質をとりちがうこと。

男女の仲でのメールでも、けんかの大半がメールトラブルが原因らしい。
つまり、その小さな電子文字では伝え切れない部分が往々にして生じてくるわけだ。

私も以前付き合っていた人と、メールでのやりとりが原因で、半泣きになるぐらいいやな思いをしたことがある。

それぐらい、その媒体自体にコミュニケーションを委ねるか委ねないかの微妙なラインを見極めるのは、案外大事なことなのだ。

私もよく失敗する。

だから便利な道具は時に有益な味方にはなるが、時にはそれを扱う者の
判断や、能力を奪いかねない。

太古の人は、遠く離れた人とでも、テレパシーで通じ合えたそうな・・
時には遠く離れたあの人を察して、幸せのテレパシーを飛ばしてみてもいいかもね。

2004/05/08(土) 天然仕込み母
母と子の会話

母「ちょっと〜!気を付けなあかんよ。コンピューターにウィルスがかかるんやって!“サーズが”!!」

私「・・・。サーズ!?ウィルスはウィルスでもコンピューターにかかるわけないやん。
コンピューターウィルスのこと言ってるんでしょ。」

母「そうそう!今流行ってるんやって!」

私「うん。わかった。サーズとはちゃうからね。」

数日後…えりこはニュースでコンピューターウィルス“サッサー”の存在を知る。

私「この前言ってたウィルス、サッサーやったよ。サッサーをサーズと間違えたんでしょ。」

母「?サッサー?そんなの知らないよ。初めて聞いた。」

私「え!?しらへんかったん?」(やばい。本気でコンピューターにサーズがかかると思ってたんや。)(笑いを必死にこらえる)

私「でもサッサー作った中学生つかまったんやって」

母「え!あのサッサー作ったん!?」

私(サッサー知ってたんかーーぃ)

母「サッサーと作ったんやね。」

私→・・・


母「ウィルスにかかったらどうなるの?なおるの?」
私「とりあえず直ったよ」

母「ふ〜ん。やっぱりしばらく置いてたらなおったん?」

母はパソコンを安静にしていたらなおるものだと信じ、パソコンを眺めているのであった。

2004/05/07(金) 完結させるという事
今日は、のぶズバーのアシスタントをさせて頂いた。
実は初めてのことで緊張気味であったが、ひとりで居ても心配するだけなので、早めに行き牛さんと少しお話させて頂くことで、気は安らいだ。
いくつかの話の中で、私は気が付かせて頂いたことがあった。

「“完”という文字をいくつ書けるかなんだ」

牛さんが毎日原稿を書かれていた時に、まず終らせるということを何回行えるか、をされていたと云う。

私は、毎日行おうと決意しても、内容が追い付かないと捉えると、明日に持ち越してしまう。
つまり今日の延長線上に明日を持ってくる傾向があったのだ。

そうなると、歯車が少々合わなくなることを感じる。
つまり、リズムが保てなくなる。

そうではなく、今日という一日の範囲の中で、たとえ内容が追い付かなくても、まずそれをやり終えるということ。

それを続けていくことで初めて潜在意識は働きだし、リズムの中に新しい成長過程を創りだしていくのだ。
そのことにふと気が付き、今日を終らすことで初めて明日が来るということを感じさせて頂いた。

終えることが、こんなに大事なことだなんて…

天外氏も言われていた。
感覚や理論でわかっていたつもりで、実践ベースで捉え直すと更に現実味をおび、脳が知覚する。

よし!今まで先送りになっていた課題を少しずつでも、やり終えていこう!
そう、決意するのでありました。

(牛さん引用させて頂きましたが、ニュアンスが違っていたらごめんなさいf^_^;
ありがとうございました。)

2004/05/06(木) 自分という価値
今日も、トゥランスミット勉強会(社会人が単なる従業員ではなく、実業家へと意識改革していく勉強会)に大事な友人Mさんとともに行く。

Mさんはとても感動していた。そしてMさんの聞き方の表現力と話し手の表現力がコラボレートし周りの雰囲気を一変して変えていた。

難しい経営理論がここまで面白く聴けるなんてすごいと思った。

今、世は起業家ブーム。だが実際は成功する率は一握りだそうだ。
国はあおるだけあおって実際の中身に対してはそれ程支援は厚くないようで・・・

でも、そんな中、会社を辞めないでも実業家になれるチャンスがある。
時代の流れとして今は、年功序列の制度は崩れつつあり、成果主義へと流れつつある。
つまり、自分という価値付けがますます問われる時代。

自分は何を聞いているのか、何を見ているのか、何を体験しているのか、そこで何を感じ、考えて行動しているのか。
これがひいては、自分という価値を創り上げていく。

そう、自分会社を創っているということ。

えりこ会社というものを考えてみた。
・・・

足りない所が見えてくる。

でも、成功している経営者とは何を見て、何を聞き、何を体験し、何を考え感じ、どう行動しているのか、知らないことが多い。

だから、そこにたどり着きたいのなら、まずそのことを知ること、勉強する必要があると納得できる。

今の日本の世のビジネスマン平均年収を以前この勉強会で聴かせて頂いたことがある。
な・な・なんと1000万だそうだ。
でもまわりでは、そんなに稼いでいるサラリーマンはお見かけしたことがない。ということは、めちゃんこ稼いでいる層がいて、平均を引き上げているということだ。

このことをとってみても、時代が二極化してきていることが十分伺える。

だから今のうちにナレッジ(知識)をどんどん吸収して、
自らが実践ジャーとなって価値を高めていこう!

2004/05/03(月) 奇跡を行う力
トゥランスミットの講師、阪本氏から教えて頂いた映画
「ブルースオールマイティ」
より

主人公ブルース(ジムキャリー)は、自信に満ちあふれ野望に燃えるニュース レポーター。

彼は、ジョークとユーモアに満ちたレポートをテレビの向こう側に送り続けていた。

でも、彼の心の奥ではスポットライトにあたるニュースキャスターの方が羨ましくて仕方がなかった。
今の現状に嘆きと不満を常に抱いていたのだ。

その矢面にたったのは神様だった。
「神様!なんで俺はいつもこうなんだ。貴様は職務怠慢だー!」

そんなことを天に向かって叫ぶのだった。

そして彼に見知らぬ番号の電話から呼び出しがかかる。
まさにその呼び出しが神様(モーガンフリーマン)だった。

「文句があるなら、君がやれ…


そして彼はその日から神様の力を授かる。

その力に有頂天になる彼は、次々と自分の出世欲や物欲を満たしていく…

彼の力はエスカレートし都合よく自然現象を変えたり、人々の願いを全てイェスとする。
そうしたら、後になって次々と歪みが起きてくるのだ。

街は混乱する。

そして、一番愛する彼女も離れていってしまう。

彼は初めて自分の過ちに気付くのだ。

彼の傍らで神様は
「おまえはその力で一体何人の人を救ったか?」

そんな言葉を投げ掛けてもらっていたにもかかわらず…

そして、彼は神様と最初に交した約束通り、床のモップ拭きを手伝っている。

一拭き一拭き…

「汚れを拭くように過ちを消すことができる」

そして神様は彼の目を見て言う。

「スープをふたつに分けたのは手品。(彼は初め店でスープをふたつに分けて楽しんでいた)
だが、母親が仕事を掛け持ちして子供を育てるのは、奇跡。
若者がドラッグから離れ、学校に通うのも、奇跡。

神に頼らずとも、人間には奇跡を起こす力がある。
奇跡を願うなら自分で行え。」

そう言って神様は彼の元をひとたび去るのだ。
そこから彼は、真実に気付いていく。

この映画を二回観た。
感動し考えさせられた場面はいくつかあった。
そのひとつがこの上の場面。
自らの状況を嘆いてばかりいて、上ばかり見ていたが、実は光輝く宝は、彼の足元や内側にあったのだ。
人に喜びと笑いを与える才能が彼には光輝いていた。それを初めて自覚する。

人それぞれには、磨けば光る輝かしい才能が備わっている。


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