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2004/05/17(月)
ふるさとのおかあさん
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私は高倉健という俳優さんが好きだ。
彼の芝居に対する真摯な姿をうかがわせるエピソードを聞くたび感動する。 そんな彼が描く絵本に私はとても興味がわき、その本を手にして、彼が感じる世界を感じ取ってみた。
高倉健「南国のペンギン」より 〜ふるさとのおかあさん〜
おかあさんが死んだとき、 ぼくは『あ、うん』という映画の撮影中だった。 葬儀に間に合わず、一週間もおくれて、ふるさとに帰った。 形どおり、お線香をあげて、おがんでいるうちに、おかあさんの骨が見たくなった。 仏壇の骨箱をあけ、おかあさんの骨を見ていた。 きゅうに、むしょうに、おかあさんと別れたくなくなって、骨をバリバリかじってしまった。 そばにいた妹たちは、 「おにいさん、やめてっ」 と悲鳴をあげた。 たぶん、妹たちはぼくの頭が、おかしくなったと思ったのだろう。
でも、そうではない。 りくつではなく、 そのとき、 おかあさんと、どうしても別れたくないと強く思ったのだ。
ぼくはからだの弱い少年だった。病気になると、おかあさんはぼくのそばにずっといてくれた。熱であついぼくのひたいに、ぬれた手ぬぐいをあててくれた。 一晩中、なんども、なんども、替えてくれた。背中もさすりつづけてくれた。 ぼくが大人になってからも、ふるさとにいるおかあさんはぼくの身を心配していた。
“もうそんなつらい仕事ばやめて、早くこっちに帰ってきなさい” おかあさんから、なんどかそんな手紙をもらった。 ま冬の雪山や北極や南極にいくのを、おかあさんには知らせなかった。でも、おかあさんはぼくのでる映画をかならず見ていた。映画のストーリーをみるより、ぼくが危険な目にあっていないかを見ていた。危険を感じると、仕事をやめろとぼくに長い手紙をくれた。
“アカギレが、足にできちょるね。もう寒いところで、撮影はしなさんな。会社の人に頼んでみたらどうね” おかあさんからそんな手紙をもらったこともある。ぼくの映画のポスターを見て、アカギレに気づいたと書いてあった。 その写真を撮影するとき、ぼくのまわりにはたくさんのひとがいた。メークさんや衣装さんやカメラマン・・・・。ぼくはアカギレをかくしたかった。肌とおなじ色のばんそうこうをはった。 だれも、アカギレに気づかなかった。 でも、ポスターを見ただけなのに、おかあさんにはわかってしまった。 手紙を読みおわったぼくは、おかあさんの手のあたたかさを思いだした。熱があるかどうか、よくぼくのひたいに手をあててくれていた。その手のあたたかさだ。 きゅうにおかあさんに会いたくなって、ふるさとに帰った。それなのに、顔をあわせると口げんかがはじまった。いつまでもぼくを子ども扱いして、こまごまと注意する。それがうるさくて、つい、いいかえしてしまった。ほんとうは、
「ありがとう」 といいたかったのに・・・。 それからも、会うたびによく口げんかした。 もう、あんな口調でぼくに話しかけてくれるひとはもういない。 人生には深いよろこびがある。 骨になってもなお、別れたくないと思える、愛するひとに出会えるよろこびだ。 人生には深い悲しみもある。
そんな愛するひととも、いつかかならず別れなければならないことだ。 でも、おかあさんはぼくのなかで、生きつづけている。 (おわり)
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