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2009/09/14(月)
世界文化遺産へ
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次期、日本での世界文化遺産候補として国内リストに載せられた堺市百舌鳥古墳群・藤井寺市古市古墳群は4〜6世紀に作られ、その数は宅地開発などで消失したものを含めると200箇所を越え、現存している古墳だけでも100箇所有るそうです。
大阪は古代からの日本の玄関口としての役割を勤め、大陸文化が最初に入って来る国際都市であったわけです。
大阪城の隣りに在る難波宮跡は国際迎賓館の役目をしていたそうです。
難波の津から上陸した使節団は大阪南部を西へ進み、現在の竹之内街道から二上山を越え、明日香へと入ったそうです。
その街道筋に沿って古墳群が点在しており、その数は奈良を凌ぎ、墳墓の大きさも大阪の方が規模が大きいのです。
大部分の古墳は学術考査がまだ手付かずで、古墳の周りも文化遺産としてはまだ整備されておらず勿体無い限りですが(宮内庁の持ち物の為)日本人のルーツを辿り、良い意味での公開が出来るように整備をしてもらいたいものです。
その中の一つ、菜の花・花菖蒲・コスモスと季節季節に訪れる自宅から3kmほどに有る古市古墳群の一つである城山古墳を訪れるとコスモスが満開になっていました 今年のコスモスは早目に咲き始めてるようです☆
そして古墳の採掘調査が始まっていました。
うら若い乙女達?(帽子を深く被っていて下を向いておられるので、乙女にしときましょう)が数人、暑い日差しの中黙々と作業されていました(^^
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