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2003/12/18(木)
神職賄い飯
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昨日は、半日、春日大社にいた。 お旅所で次々と奉納される神事芸能を見た。藤原氏の子孫としてあく所で「般若湯」といただきながら、寒さに耐えてとことん見た。 今回、若宮おん祭をみて、三つ気が付いたことがあった。 1.観客で若い人が多かったこと 2.巫女さんがみんな背が高かったこと 3.舞は神とともに舞われているということ 特に、3は発見だった。槙村さとる『愛のアランフェス』のように、ペアのフィギュアを一人で踊るように、舞は一見シンプルに舞われていた。 途中、細男(せいのお)の後、神職さんの賄いの食事を一緒にいただいた。 この美味しかったことと言ったらなかった。下に書いたように、実に質素な食事だったけど、それぞれものすごく素材がよくて感動した。何度もご飯よそわなくていいように、用意されたお茶わんがみんな丼だったのも印象的。 まきの煙と湯気が立ちこめる木造と土間の空間には長い木机がしつらえてあり、そこで神職が食事をしている様は、室町以来変わってないのかなあと思わせるたたずまいだった。 水の神、若宮さんが本殿に戻るクライマックスのとき、すべての明かりは消され、神職の神を示す「おおー」というかけ声のあと、暗闇の中参道を歩く。 そこに神がいる、神の気配がある。そんな、演技ではない本気のふるまいに神は顕現するのだ。 「般若湯」のスピリットは神の足跡である香木の松明の灰として 現れ、そのカロリーは天へと昇っていく。 本殿の前の燃え盛る松明を目指して、歩く、歩く、歩く。 神を信じるのではなく、神がそこに在わすように自分も在る。 そのことが人をスピリチュアルな存在に変身させるのだ。 そこには、ダイエットという言葉はない。 凛として立つ自分と、自分を超えたものがそこにあるだけだ。 その道をただひたすら歩く。 雹が降り、春日山に落雷が落ち、山火事が起きる。 そうして、雹はぼくの腹と腿に突き刺さり、山の火はぼくの脂肪を燃やしたのだった。
******************* 昼、ご飯、鶏と里芋の甘露煮、大根煮物 夜、ご飯、白菜など野菜の汁、お豆さん、沢庵 深夜、白鹿吟醸ワンカップ、ふく娘熱燗ワンカップ一杯半、おにぎり4個、ウインナソーセージ5本、鶏の唐揚げ4つ、だし巻き卵薄切り4つ、パセリ2本、、熱燗4杯、シングルモルトブレアシングル2杯 朝、ご飯3杯、シジミのみそ汁、湯豆腐、じゃこ、奈良漬け、昆布巻き、漬け物、だし巻き卵、いわし、鮭 昼、回鍋肉など中華五品、ご飯、野菜スープ、漬け物、杏仁豆腐 夕方、冷や奴、生大、春鹿、稲天 夜、ご飯、野菜スープ、韓国のり、ニンニク漬け、里芋の煮転がし、鶏とブロッコリーの煮物山椒かけ、生卵
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