|
2003/11/06(木)
淋しさが脂肪に変わるときー食と性の相似性についてー
|
|
|
昼食:とんかつ定食510円 夕食:ほうれんそうのおひたし、なめこおろし、牛もつ煮込み、天丼一口、ガーリックトースト、リオハのmarque de riscal、日高こんぶおにぎり、ツナとたまごサンドイッチ 朝食:並
家族がいながら、朝、知らない親爺やにいちゃんたちといっしょにカウンターを囲むのは、連れ合いに付き添われず、医者だけに看取られながら死んでゆくようなものだ。
以前にふれた伊丹十三の『お葬式』でばあちゃんが最後にあいさつをするときに語る、「二人でそのことを経験したかった」という言葉を聞くと、いつもこのことを考える。
食事はひとりで食べるものではなく、みんなで食べるものだということをしみじみ思う。
食と性の相似性を再確認する。
ひとりで食べると味気ないのと同じで、きっとひとりで食べると、その淋しさが脂肪に変わるんじゃないかな。
だから、ひとりで淋しく食べると太る。
みんなで楽しく食べると太らない。
いや、ほんとにそうか?
みんなで食べてもたくさん食べれば太るけど、淋しさが脂肪に変わるというのはなんと悲しいことか。
テクノロジーに快適さや快楽を売り渡しているぼくたちは、それだから太るのだ。
自慰のように食べる。自慰のようにしゃべる。
淋しさが脂肪に変わる前に、何をしたらいいのか。
おそらく、ここに、食事制限や規則正しい生活や適度な運動というダイエットの基本を超える、<痩道>の理があるにちがいない。
|
|
|