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2003/11/12(水)
逍遥記
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寒冷前線が通り過ぎた後の冷たく湿った風が、がたいのある体躯を包みながら、ゆっくりと桜田通りに押し出していく。ネオンが水面にもうひとつの都市を映し出す黒幕のアスファルトを激しく打ち付けていた雨は、もう上がっていた。
「ああー、疲れた。」
雨上がりの夜空を眺めるでもなく、ビルの谷間に腫れた涙袋の眼をゆっくりとやりながら、男はつぶやいた。
仕事の重さが鉛のように男の腹にずっしりとぶらさがっていた。
「ああー、この腹の重さが脂肪だったらもっと楽なのになあ。」
脂肪なら、この雨のように流せばいい。男は、最近痩せたとはいえ、まだ依然として贅肉の残る腹を、久しぶりに来たスーツの上からさすりながら、再びひとりごちた。
この仕事の重さは単純にストレスという言葉で語ることはできない。発散してしまうことはできないからだ。
この一週間右の下腹あたりが少しズキッとするのを思い出しながら、男はもう一度今の腹の重さを確認した。その重さが男をころがすように通りの坂をくだらせる。
しかし、男の足取りは、じっさい見かけはその腹の重さとは裏腹に、実に軽やかだ。三田の交差点を左に曲がり、とあるビルの地下におりていく。
がんも、ツナフレーク、ぎんなん、煮込み、ガーリックトースト、キャンティクラシコ、シャンベルタン、生、生ガキ(麻布ラーメン)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ご飯、わかめと豆腐のみそ汁、お新香、梅干し、サラダ、カリフラワー、さやえんどう、スープ、牛乳、オレンジジュース、トマトジュース、のり、温泉卵・・・・・・・・・・・・・・・・
この男の頭の中にはこんなメニューが描かれていた。
何十年も工事ばかりしている三田通りに点滅するいくつもの注意灯が、雨が上がったばかりのぬれた歩道をぼんやりと照らし、本当は脂肪の方が重いことを知らない男の脳のパルスと同じリズムを刻んでいた。
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