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2003/10/31(金)
46時間
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46時間。
今回はここまで。
昨日の夜9時30分まででした。 朝から東京を旅してから、三田に戻ったのが7時20分。 そのあと、友達の面接の練習の手伝いをして、
「今晩も断食を続けようか」
と、思っていんだけど、練習がすごく白熱して、からだが熱くなってきた。 なんだかよくわからないけど(立て替え払いしていた大金が返ってきたということは否定できないけど)、じゃあ食べようかということになった。
やっぱり、食はコミュニケーションだなと思う(これって、別に言い訳じゃないよ)。
ただ、二日近く水分しかとってなかったので、最初に入れるものには敏感にならざるをえない。
胃痙攣とか腹痛とか起こしてもしょうがないしね。
そこで、無理の言えるいつものえび伴に行ったら、残念なことにもう店じまい。息子の板長さんがそういうから仕方なく納得して、中通りに入った。ちょっと迷ったが、いつもいくとしまっている、へぎそばの店に入る。そばだったらいいかな、ということである。
この店、いまいちサンパじゃなくて、かつなんとなく高い感じがして、嫌いなのだが、そばだったら、今の内臓の状態でもいいかなと思ったのだ。
へぎそば、桜えびと大根のサラダ、生1、朝日山3
をまずジョッキ一杯に入れてもらった水を半分くらい飲んでから、いただく。
断食した後に(といっても二日ほどだからたいしたことないけど)、何かものを入れるときは、水分から入らなくちゃ。おそるおそる生に手を出す。サラダをゆっくりと食べる。音をたてないで慎重にそばを腔内に入れていく。
「あ、、」 「うまい」
今日はうまいぞ。いただくものすべてがスピリチュアルなものに祝福されているかのように、うまい。
実はこの店のそばは言うほどうまくはない。まずくもない。ふつうのそば。
朝日山もうまい。ただの本醸造で、普段飲むとまあごくふつうの酒なのにうまい。 まるで、長寿純米大吟醸生しぼりたて、のように。
これはどうしたことだろう。
やっぱり断食のおかげとしか言い様がない。
たまにはやってみるもんだね。
飲食するものと自分が一体化しているような感覚。 食べることと、セックスすることが本質的に同じだということがよくわかる。
今日はほんとにバタイユがよく理解できたような気がする。 そして、宗教における食の意味も。 たとえば、カトリックのミサでキリストの血と肉をいただくということの意味。
何かすごいエロティックだ。
このあと精神分析、特にフロイトとかで分析しちゃうとおもしろくないから、ここでやめておくのがいい。
食べ物に生かされているんだなあ。
しみじみ思う。食べ物の背後に神さんを認めると宗教になるが、どっちでも同じことだ。
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こんな感じで腹を久しぶりに熱くして帰宅。12時就寝、6時起床。
吉野家、納豆定食370円。
あ、そうそう、結局、体重がどうなったかについてはお風呂に行ってないので、わかりません。
断食しても、痩道に反映しないと意味ないのにね。
でも、みなさん、ほんとに断食っていいですよ。
辛くなったら、こんどは三日にチャレンジしてみます。
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