|
2003/10/27(月)
アンチダイエット論
|
|
|
昨日言ったように、昨日の一日はほんとアンチダイエットだった。陳腐なことばだけど、ほんと絵に描いたように。
数日前に「自己嫌悪」と記したけど、それは何の反省にもなっていない。
今朝は、家に帰らなければ、絶対に食べないだろう、食パンを一枚、目玉焼き一つ、あと野菜を少々食べた。 歯医者に行ってから、韓国風うどんすきを妻といただく。 最近隔月で韓国に行っているので、辛さに貪欲になっているので、七味をたっぷりかけて食す。
うまい。 今まさにやっている日本シリーズで頭が一杯だったので、午後は、キルビルのサイトを観たり、キルビルのエッセイを書いてすごした。熱い思いがキルビルの記憶を呼び覚ます。
夜は、昨日、鈴鹿に行った自分へのおみやげの鈴鹿おろしを呑みながら、かぼちゃスープ、鶏のから揚げ、大根とわかめの酢の物、ししとう、あさりの酒蒸し、大根の葉っぱのゴマ風味といった野菜中心の夕食をいただく。
あとシードルをちょっと。
まあ、この日記をふりかえると、昨日に限らず、アンチダイエットが多かったように思う。
でも、結果としてはあまりそんなこと考えないほうがいい。 というのは、痩道は、あんまり無理しないほうがうまく歩けるからだ。 僕自身あまりストレスを感じるほうじゃないけど、それでもあるストレスとどうつきあっていくのかが、とっても大事。
原稿の締め切りや子供のこと、大学の仕事のことなど、やっぱ少なからずいろいろある。
そうすると、酒飲んだり、すごく食べたりするようになって、結果として太ってしまう。
とはいえ、そんなことにいちいち反応してたら、痩せるどころか、身がもたない。
気持ちよくやってはじめてうまく結果がでるのだ。
だから、一見アンチダイエットに見えることでも、とりあえず気にしないことが重要だと思う。
人生は人との出会いだから、まず人に出会って、楽しく語らいあいながら、いろいろいただくことが大事だし、そうしないと何のために生きているのかわからなくなる。
まず生き延びること。
ダイエットのために生きているのではない。 ぼくとしては、それがわかっていても、痩せることを大事にする道を痩道と呼びたい。それがなかったら、まったく意味がないと思う。
この言葉を、言い訳ととらないでほしい。
人はダイエットに生きるにあらず。 でも痩道に生きるのはOKである。
この辺をわかってもらうのはなかなか難しいけど、しゃばの目的を社会的、学問的に説明するのは魅力的な行為だ。
臨機応変なアンチダイエットは、きっと身を結ばないかもしれないけど、相撲取りのように、「ただ前に出ようと思ってました。」という言葉の素敵な意味が少しずつわかりかけてきたような気がする。
とにかく、とりあえず前に進もう。
|
|
|