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2006/07/06(木)
チューニングの話
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某ブログのネタをパクってチューニングの話。 前から一度書いてみたいネタだったし。
長くて理屈っぽいから興味なければ飛ばしてよし。 一部、完全に俺の主観で書きますから音響工学や音楽理論と矛盾するかもしれないがクレームは受け付けません(笑)。 前書き以上。
二つ以上の楽器を合奏するときは基準になる音を合わせておかないと気持ち悪い。 ピアノやギターみたいな押さえる場所の音が決まってるような楽器同士は特に。
一つの楽器でも、弦や鍵盤が複数あればそれぞれを基準音に合わせて相対的に調律しないとやっぱり気持ち悪い。
これすなわちチューニング。
ただ、この「気持ち悪い」が曲者で、例えば原音に微妙にずれた音をかぶせることで心地よいうねりを出すこともあったり。 マンドリンや12弦ギターみたいな副弦を持つ楽器やエフェクターの「コーラス」と呼ばれるものはまさにこれ。
そもそも構造上、ギターという楽器は絶対にチューニングは合わない。 チューニングというか、オクターブピッチが合わない。
オクターブピッチ、というのは開放弦で合わせたチューニングに対し、高い音程のフレットにいくに従ってずれていく音程差。 いわゆるピッチ調整とはこの音程差の補正。
なんでずれるか。 弦が振動するためにはある程度高さがなければいけないので、ギターを横から見ると弦、指板、ブリッジサドルの3本の線がナットを鋭角の頂点とする三角形を描いている。 この三角形の、弦の線と指板からサドルの底(ボディトップ)までの線の二つの長さが違うとずれていく。
だからブリッジサドルの位置や弦との接点を動かして、この三角形をサドル高を底辺とする二等辺三角形にすれば音程差はばっちり解消!
しかしそれはあくまで理論上。 金属やナイロンでできた弦は押さえる力で伸びるし、木でできてる以上、指板やボディトップは完全な直線ではないので完全な二等辺三角形は作れない。 そういった膨大な量の理由で、ギターという楽器は完全にオクターブピッチを合わせることは絶対不可能。
弾く人の力によっても変わるので、ピッチ調整というのは演奏者本人が、もしくは本人立ち会いでやらないと本当は合わせることはできません。 でもエレキならともかくアコギのピッチ調整は技術と時間が要るのでそうもいかない。 だから俺は依頼人が知ってる人なら演奏スタイルを思い浮べ、知らない人ならフレットの減り方とか指板の汚れ、ボディの傷なんかからその人の力加減を想像して作業してるのです。 ま、余談。
で、延々ギターがいかにひどい楽器か(笑)という話をしてきたけど、その基本になっている西洋音階そのものがそもそもずれてる。 割り切れないんだわ。
だからピアノの調律は機械で合わせても違和感がでてしまうので、人の耳でその割り切れないところをいかに落ち着かせるか、というふうに調律するそうな。
ギターもやっぱりそうで、例えば俺はピッチ調整をするときは通常通り12フレットのオクターブと実音で合わせたあと、15フレットと開放を使うGのコードを弾き、さらにオクターブ下の通常のローG(3フレと開放を使うやつ)を弾いてバランスをとることにしてます。
この不完全なギターのオクターブピッチを合わせるために数年前に出てきたバジーフェイトン・システムというのがあって。 有名なスタジオギタリストのバジーフェイトンさんが考案した仕組み。
要はナットの位置をずらして本来高音側で大きくずれるものを低音側でもずれるようにして、さらにそれを通常と少しずらした音でチューニングすることによって全体のオクターブピッチが合うようにする、というもの(と思う。詳しい内容はパテントなのでわからないっす)。
確かにピッチはすごいんだわ。 高音側で解放を絡めたコードを弾いても、オクターブハーモニックスに合わせた実音フレーズを弾いてもまったくよれない。
ただ、なんか違和感があるのだよ。 綺麗すぎて。 シンセで作ったギターの音みたいな感じで。
かつてデジタルシンセが出始めた頃、その音を拒絶する人が結構いたらしいが、決して新しい物への拒絶反応というだけではなかったのでは。 この辺と多いに関係もあったのでは。
つまり、人間にとってそういう僅かなズレが「心地よい」ポイントなんでしょう。 昔から絶対音感のある人はいたわけで、そういう人ばかりだったら割り切れない音階なんかが生き残ってるわけがない。 大多数をしめる絶対音感のない人達が心地よい音を求めた結果、こういうことになったんでしょう。
ただあまりにズレてるのはキツいけど。 俺は一度、某ズビーでのライブの際、対バンの全楽器のチューニングがズレていたので本当に吐きそうになったことがある。 あそこまで行くとズレじゃなくて「狂い」。
ビール一杯しか呑んでなかったのに本当に吐きそうになった。 ビール一杯で俺が酔うわけもない。
そういえばアウシュビッツだかの拷問で、一日ぶっ通しで不協和音を聴かせ続ける、というのがあって、その一日で大抵の人間は死ぬか発狂してしまうというのを聞いたことがある。 (音感のない人でもそうなるのか?という興味もあるが)
「ズレ」か「狂い」かの違いでこんなに反応が変わるのは凄いわ。 かたや心地よい、かたや死、発狂。
裏返すと、そういう微妙なズレにも反応するぐらい人間の耳は繊細だ、ということだ。
音楽でこの辺を逆に積極的に取り入れるのも当然多くあるだろうし。 身近な例で、リトダラの「例のアレ」に入ってる「シャケに願いを」のバンジョーは他の楽器が440Hzだったのに対し、確か442Hzにした。 最初、何回やっても善くなくて、誰が言いだしたか忘れたがピッチを変えてみたら劇的に聴きやすく変わったのだ。
ありゃ、オーバーしちゃった。 続く。
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