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2006/04/09(日)
マツケン産婆ァ〜
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昨夜はまんまと終電を乗り過ごしたBO沢氏を伊勢原の山奥まで送り届けました。
さて、今わたしが乗っているのはスバル・サンバーという昭和の軽トラです。 何故なら愛車・マッドマックスを先日の不幸な出来事のこともあり修理に入れたため、代わりに借りているからです。
マニュアルのリア・エンジン車、と聞いて車好きのあなたが連想するのはやはりポルシェですか?それともビートル? いいえ、私が連想するのはスバル・サンバーです!という人はあまりいません(ロバート交通研究所・調べ)。
そういう訳でマニュアルのリア・エンジン車、スバル・サンバーを転がしている昨今。
しかし来たる近い将来、サクセスをおさめた俺が、1973年式ポルシェ911カレラをその膨大なコレクションの一台として広大なガレージに所有することは時間の問題であるからして、サンバーはその練習の為に神が遣わした車、と考えればこの流れは極めて自然なものであると言わざるを得ない。
話を戻して、昨夜はライブ後、俺のアンプを後部ラゲッジルームに乗せ、助手席にBO沢氏、後部(真ん中?)座席にライブを観にきてくれたブギヤマブギオの井上氏を乗せて夜中の国道246号線を疾走した訳である。
途中、海老名の手前で井上氏を降ろし(今夜はありがと〜!またバーミヤンで会おう!焼肉のつもりがラーメンになっちゃってゴメンよ〜!)、ひたすらはるかイスカンダル、いや、伊勢原を目指した。
ところが、折からの強風が容赦なく我らがサンバーに叩きつけ、その度にあたかもパンチを喰らったボクサーのごとき衝撃に途方もない軌道のずれを生じるサンバー。
車を運転していて初めて死を覚悟したほどのその衝撃に耐え、BO沢邸にようやく辿り着いた。 一杯のコーヒーのねぎらいを受け、再びロード・オブ・デス、すなわち死路へ旅立った。
かつての特攻隊員の心境を手軽に擬似体験したような。 いみじくも、かの名機「飛燕」を製造した中島製作所の末裔・スバル社の車である。 これは運命としか言いようがない。
一人ぼっちになった車内、防風柵のない国道129号線を飛行中、いや、走行中に敵の砲撃、いや、暴風によるこの日最大の横っ飛びを喰らった時には思わず 「天皇陛下、万歳〜!」 と特攻隊員よろしく叫びかけた。
このままでは死ぬ‥。
覚悟しかけたその時、俺はあることを思い出したのだ。
フェルナンド・ポルシェ博士の設計による名車達と奇しくも同じレイアウトのこの車の重量配分と、後部ラゲッジルームに置かれたフェンダー・ヴァイブロヴァーブ(重い)のことを‥!
説明しよう。
まずは図を見てくれたまへ。
斜線部の二つのヘヴィな物体、前方で「ヒャー」と叫ぶ我々。
君はチョロQを御存知だろうか?
例えていうなら、BO沢氏、井上氏を降ろし俺一人になった今のサンバーの状態は丁度、後部クリップに十円玉を装着したチョロQ【(C)タカラ】状態‥!
これではステアリングなどあって無きがごとし、である。
乗っているのがスバル製でなく、タカラ製だったらウィリーしてますよ!
説明終わり。
俺は路肩にサンバーを停め、愛器ヴァイブロヴァーブを助手席に積み直し、まさに路面にへばりつくようなコーナリングの数々を披露し、我が家に辿り着き、そして生きてこの日記を書いているのである。
昨日の出来事なのにこんなに長々書きやがって(怒)! という読者諸兄、残念ながらこれは今日のことなんです。
終電が去った後、午前一時〜三時頃にかけての話でした。
屁理屈。
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