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2005/10/31(月)
迂闊
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日々暮らしているとふいにぽっかりと空いた時間が訪れたりするわけだ。
そんな時にはこうして徒然なるままに日記を書いてみたり酒をくらってみたりハナ毛を抜いてみたり野良猫とたわむれたりしてみる訳だが、いかんせん上記のような行為が文化的かと問われると日記はまあ文化的だろう。 野良猫とたわむれるのも異文化交流だ、酒を呑んで自我を忘失するのも古のロックンローラーに見られるドラッグによる自己の新たな一面の開拓にも似てあながち文化的ではない訳ではない、ハナ毛を抜いてそこに哲学的答えを求めるのもシュールレアリズム的観点からまったくの文化的行為であろう。
けど、普通に文化的な行為を暇な時にしたいなと思って、古本の類を購入したのさ一冊¥100円均一で8冊ばかり。 すなわち読書のために。 読書には本が必要だからね。
こう見えて本の虫だった。 幼い頃は。
かつて資本主義社会の一歯車として会社組織に属していたころは通勤電車とは名ばかりの、歯車運搬貨物列車に揺られる片道1時間を読書に充てていたこともあった。 しかし、読み始めると止まらないという性癖が、片道1時間では歯止めが効かなくなり職務中にも読書に及ぶにいたって、これをあきらめ片道1時間を睡眠の時間にしたのです。
この性癖をうっかり失念してまたしても読書しちゃったのさ。 かといって、こう見えてなかなかやることが多くてまとまった暇な時間というのはない、何を削るかと言えば睡眠の時間です。
まずいことに次の日多少寝坊してもあまり支障がない、という生活が俺の読書時間を延ばしに延ばしたのです。
かといって、こう見えてなかなかやることが多いわけだから、次の日も多少は寝坊してもよいが起きない訳にもいかないので起きます。
そうしているうちに3日あまりで全部読んじゃった。
勿体ない。
もっと時間をかけて楽しめばよかった。
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