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2004/07/21(水)
お別れの週2日目
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最近以上に暑い日が続く。 昨日は39.9度だった。何だこれは。
暑さのせいか、子供たちもグロッキー。 ヨウレイキン、ショウコウネツ、プール熱、肺炎、鼻炎 色々な病名で次々とダウン。
今日教えていた子の中に、海外文通を始めた子がいて もちろん勧めて始めさせたのは私なのだけれど そのコがフランス人と文通をする事になり、今までずっと応援して来た。 そのコが最初の返事をもらう時、私はもういないのがとても残念だけど 今後もそのことは連絡しあう事で話がついた。 私も途中で投げ出すのも申し訳なかったし
私が最初に文通したのは アメリカのアイオア州の「サラ・ブラッチェル」ちゃん。 私は半透明の便箋に、それこそ何回も下書きをして 定規で引いたように正確にアルファベットを書き とてもきれいに書いて出したのだけれど
来た返事がノートをビリビリ破ったあとが丸出しの紙に それこそなんて読んだら良いのか分からない丸文字(当時はそう感じた)で まるで想像していたのとは違う手紙に非常にがっかりしたのを覚えている。 外国人は教科書のようなとてもきれいな字を書くものだとばかり思っていたから。 当時の手紙は今の私がみてもチョと苦戦するくらい癖が強い。
でもその「がっかり」がカルチャーショックだったわけで 外国人はこういう感じに手紙を考えているんだ、とか 何もこちらだってお金かけなくて気さくに書けば良いんだ、とか 外国人だからってきれいな字を書くわけではない(日本人よりも汚い字)とか 書かれている内容も中学生の癖にボーイフレンドを喧嘩したとか 非常に大人な内容の文だったことを今でも覚えている。 結局その子との文通はかなり続いた。
私も久々に文通したくなった。 誰か探そうかなぁ。
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