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2004/05/19(水)
ダイジョウブダ〜〜〜♪
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知ってる人いるかな?? 「念仏講」 義父の告別式の後、今度は夜7時から近所の11軒が集合し「念仏講」が開かれるという。 (Σ(・ω・ノ)ノ! びっくりっ!ソ・・ソレハナンデスカ???)見たことも、聞いたことも無い。
近所のおじいちゃん、おばあちゃんが11人。そのうちの一人(←もう80歳近いのにお肌ツルツル、ピカピカで 顔色も絶好調のおじいちゃん) が、「念仏講」の由来を話し始めた。なんでも武田信玄の妹が、この地に逃げ延びてきた事が始まりらしかった。 (私は、その時、お茶とお菓子の支度でおおわらわ・・・・だったのでその辺はよく聞けなかった。)
いろんな掛け軸、お祈りの言葉、専用の鐘、古銭 etc・・・。古〜〜〜い木箱から出てくること、出てくること。 木箱には「弘化元年」と書いてあり、調べたら1845年だった。(新撰組より昔だ!) (ノ゜凵K)ノびっくり!! 昔からこの11軒に受け継がれてきた弔いの行事だという。
とりあえず厳かな気持ちで着席。 ( ̄人 ̄) 「南無阿弥陀仏」←「なむあみだぶつ」ではない「なむあみだんぶつ」と読むところがまた田舎チック。 まずはこれを「1本のお線香の火がとぼれるまで」ひたすら唱える。 (私など息が続かないのに、おじいちゃん、おばあちゃんたちは全く平気だった。) おまけに、ただ唱えればよいのではない!!「な〜むあみだ〜んぶつ♪な〜むあみだ〜んぶつ♪・・・」 ( ̄へ ̄|||) ウーム ・・・・・やたらに節が難しい。 急に高くなったり、低くなったりするので、私は全然付いていけず、まるで「ただのオンチなオバサン」だ・・。
しかし娘たちは若いせいか順応性が高く、すぐに唱えられるようになり、周囲から 「上手だわ。」と賞賛(?)されていた。(← ちょっと悔しい。)
つづいて「チン♪チン♪」・・という鐘の音と共に「13人の神様の名前」を またしても「節をつけて」唄う。 この時・・私は白装束を着た志村○んが「ダイジョウブダ〜♪ チン・チン・チン・・・」 と鐘を叩いている姿が脳裏から離れず、煩悩を取り払うのに大変苦悩した。 (でも、きっと義父も笑っていただろうな。)
長男(特に田舎)は大変だ。先祖代々の伝統を受け継いでいかなくてはならない。そしてその子供たちも・・。 わたしゃ、次男の嫁で本当に良かった。義父はこの念仏講で「極楽浄土」に無事に到着したという。
良かった、よかった。
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