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2004/04/26(月)
江戸の地名の続き
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赤坂:昔このあたりは茜が多かったことから赤根山と言ってたそうです。ッそこに登る山を赤坂と呼んでいた。そのなかの「一ツ木通り」はもともと一本の木があったのではなくて、「人継ぎ」つまり人馬の継ぎかえを行っていたところだったそうです。それが一ツ木村になり今の「一ツ木通り」となったそうです。
上野:戦国時代台地だったから上の野と言い、低地を下谷と言ってました。
番町:江戸で一番初めに作られた町で、旗本の大番組、書院番などが住んでいました。
青山:家康が青山忠成に、馬で走れるだけの土地を与えたことによります。
内藤新宿:家康が内藤清成に、馬で走れるだけの土地を与えたことによります。甲州街道の最初の宿は高井戸の宿だったが、遠いので元禄期内藤家の土地に新しい宿を作ってそれを内藤新宿と言うようになった。内藤家の屋敷跡が、今の新宿御苑です。
今は八重洲になってるが、「呉服町」もありました。もちろん呉服屋さんが在ったからです。呉服とは絹の織物で、麻や木綿は太物といってました。「両替町」もありました。その真ん中に「金座」がありました。小判を作ってました。「紺屋町」は染物屋、「白壁町」は左官屋、「連雀町」は連尺からきてて、背負子(しょいこ)の名前で、行商人が住んでた所でした。「鍛冶町」は鍛冶屋、「人形町」は人形細工師が多かったことや、人形芝居が盛んだったから。 三軒茶屋:休み茶屋が三件あったから。そのまんま!
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