CatSchroedinger の日記
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2005/06/04 Blog 作成
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2005/06/02 梅雨 車の予約
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2004/02/19(木) 江戸時代の照明
 夜は働かなかったのは、当時は照明がとても高くつきました。普通は行灯(あんどん)が使われました。小皿に油を入れて、灯心を浸して点火するものですが、ものすごく暗くて、とても本など読めません。油は菜種油でしたがとても高い物でした。貧乏な人は、臭いと煤の出る魚油を使ってました。
 
 夜勉強したりすると、油がもったいないと叱られたのは、もっともなことです。 行灯は見たことありますが、とても暗くて使い物にはなりません。豆電球くらいの明るさです。ですから商人は老眼が始まるともう隠居するしかなかったのです。帳面が付けられません。 

 行灯より明るい、蝋燭(ろうそく)は贅沢品で、普通はまず使わない物でした。大きな蝋燭は、今のお金にして一本何千円と言う値段でした。その蝋燭でさえ、現代の電球5ワットくらいの明るさです。蝋燭の燃え残りは廃品回収で高く売れました。それくらい貴重品でした。

2004/02/18(水) 江戸時代の時間
 江戸時代は、日の出を明け六つ、日の入りを暮れ六つにしてたので、夏と冬とでは一刻(いっとき)の長さが随分違いました。夏は昼間が16時間くらいでしたが、冬は昼間は11時間くらいしかありませんでした。それを六等分してたのだから、夏と冬とでは一刻(いっとき)の時間は現代の時間と比べると、夏は1時間が80分で冬は1時間が55分くらいでした。
 なんだか出鱈目のようですが、これはこれで意味があったのです。当時は明かりが無かったので、夜は仕事しませんでした。ですから、お仕事は明け六つから暮れ六つまでと決まってて、仕事に密着した時刻の表し方でした。
 
 暦も太陰暦でしたが、夜は月明かりに頼っていたため、夜のお出かけには便利でした。十五日は必ず満月でした。
 
 江戸時代の人は、江戸初期からグレゴリオ暦は知ってはいましたが、採用しなかったのです。現代の時計も、もちろん知ってました。
 日本で最古の西洋式の時計は、スペイン国王が慶長17年に徳川家康に送った、マドリッド製の置時計で、静岡県の久能山東照宮博物館にあります。日本平の所からケーブルに乗って行く所です。静岡生まれのよい子の皆さんは、遠足かなんかで行った事あるでしょうね。悪い子は、暴走運転に行ってたでしょう。一寸古ぼけて見えますが、歴史上は大事な物です。当時かなりの数の時計が持ち込まれましたが、そのままでは役に立ちません。だって毎日1時間の長さが変化してくんだから、それに昼と夜とでも1時間の長さが違います。
 
 そこでついに、天秤時計という物が発明されました。季節によって天秤に架ける錘の位置を変えるというものです。でも昼と夜とでは錘の位置を変えなければなりません。そこで更に二丁天秤という究極の時計が発明されました。これは中に昼用の時計と、夜用の時計が二個入っていて、自動に切り替えるようになっていました。もちろん錘は季節によって架け替える必要がありました。素人の手に負えるものではなくて、大名時計と言って、大名が使っていました。時計係が何人も必要でした。

2004/02/17(火) 落語の会
出し物は「時そば」と、「妾馬」でした。「時そば」はとても有名な話で、知ってる人も多いので、演ずるほうはかえって難しいそうです。
 
 往来で屋台の蕎麦屋を呼び止めた男。看板、割り箸、丼、出汁、そばなど、すべて褒めちぎり、「いくらだい? 16文、銭は細かいよ〜、手出しね〜、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、今何どきだい?」「九つで・・・」 「とお、十一、十二・・・」と上手く一文ごまかした。
 これを見ていた別の男、俺もやってみようと、あくる日細かい銭を用意して、少し早めに別の蕎麦屋を見つけて、まねをして誉めようとするのだが、看板はひどい、丼は欠けている、出汁はまずい、そばはひどいといった具合、勘定を払う段になって、「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、今何どきだい?」「へえ四つです。」「五つ、六つ、七つ・・・」

「今何どきだい?」は当時時間を聞く言葉です。江戸時代は時間を表すのに二通りあって、子(午前0時)、丑(午前2時)、寅(午前4時)・・・という言い方。

 もう一つは夜明けを明け六つと言い、二時間ごとに五つ、四つと言います。三つにはならなくて、お昼は昼九つになって、現代の2時頃には八つになります。おやつの時間はここから来てます。現代の4時頃は七つ、日の入りの6時頃には暮れ六つとなります。その次はまた宵五つ、四つ、で深夜0時には九つになります。その後明けまで八つ、七つとなります。

先の上手く一文ごまかした人は、九つですから深夜0時頃です。
後の損した人は、22時頃です。

 酔っ払ってタクシーなどに乗って、お金払うとき「運ちゃん、細かいよ〜間違うといけないから、百円、二百円・・・今何どきだい?」「はい、午前3時ですね〜」四百、五百、六百・・・」とふざけた方もあるかと思いますが、時間がかかって迷惑ですね。

 

2004/02/16(月) たそがれ清兵衛
以前見てほんとに良かったと思ったのですが、「たそがれ清兵衛」がアカデミー賞にノミネートされて、ヤッパリと思った。ただ地味だし「ラスト侍」とかぶるし多分受賞は無理かな。

『たそがれ清兵衛』公式サイト
http://www.shochiku.co.jp/seibei/

2004/02/15(日) 島崎藤村 若菜集より
山精

 ひとにしられぬ
 たのしみの
 ふかきはやしを
 たれかしる
 

 ひとにしられぬ
 はるのひの
 かすみのおくを
 たれかしる


山精

 
 かのもえいづる
 くさをふみ
 かのわきいづる
 みづをのみ
 

 かのあたらしき
 はなにゑひ
 はるのおもひの
 なからずや

2004/02/14(土) 三寒四温
とても暖かい日が続きますが、間もなく寒の戻りが来るそうです。
三寒四温とは、朝鮮半島及び中国で言われていた言葉で、3日寒い日が続くと必ず4日は暖かいというように寒い日と暖かい日が交互に訪れることを示す言葉です。
中国東北部、朝鮮半島北部などでよくみられます。日本でも太平洋側にその傾向がみられ、俳句の冬の季語にもちいられています。
日本付近では、初冬や春先によく見られます。
低気圧が日本付近を発達しながら通過するとそのあとは、冬型の気圧配置となり、数日間は寒い日が続きます。冬型が解消すると今度は、移動性高気圧が日本付近を覆って、暖かい晴天が数日続きます。
三寒四温は、気象学的には傾圧不安定波による南北の温度差の解消に伴い生じるものです。

2004/02/13(金) 穏やかな
暖かい日でした。こういう日は病人も少ないな〜
 
金曜日の13日ですが何事も無く終わりました。

2004/02/12(木) 午後から
午後からホームの仕事で天竜市や、竜洋にお出かけし、いろんな人とお会いして運転手付だったけどとても疲れた。

2004/02/11(水) 今日はよいお天気で
陽気が良くて、朝寝をして喫茶店に行って週刊誌や、漫画読んだりしてのんびりと過ごした。毎日休みだといいな〜〜

2004/02/10(火) 明日はお休みで
ホームの仕事終わってから、ちょっと接待があって少しだけアルコールが入りました。オフ会に比べるとなんだか物足りない気がしました。
 「ヤッパ牛乳だね」でなくて、「ヤッパオフ会だね」・・・

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