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2004/05/27(木)
[アタマノナカミ]002
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えー、早くも002。早くこの企画に慣れて頂こうかと...他にネタがない訳じゃアリマセンよ!チガウ!ゼッタイ!
「新機軸エンターテイメント」
「お笑い」というエンターテイメントがゴザイマスね。 漫才や落語やコント、新喜劇など。 人間の「笑う」という行動に的を絞った娯楽です。 これは映画やドラマや小説等でも「コメディ」といったカテゴリーで存在するものですが、では、他の感情は利用できないものでしょうか。 映画・ドラマ・小説などでも、「喜劇」があれば「悲劇」もあります。人間の「泣く」という行動に、ある程度対応していると言えると思います。厳密には「感動」「感情移入」などの延長線上に「泣く」という現象があるだけであり、ただ単に「泣かせよう」という目的のものは少ないような気がしますが... そこで見直すと、「お笑い」は純粋に「笑わせよう」としているのではないでしょうか。 だとすると、「お泣き」が成立する余地はないものか!?
笑うために喜劇を見る人は多いと思います。泣くつもりで悲劇を見る人もいるのではないでしょうか。つまりは、笑いたい人もいれば泣きたい人もいる。 では、「泣かせる」為だけのエンターテイメントの可能性もあると考えます。 問題はマーケットです。いったい「お泣き」がどこでもてはやされるか。人間が、泣いてもおかしくない場所... ありますね。「お葬式」... 葬儀屋専属の「お泣き」が、告別式で親族の前で芸を披露する!聞くも涙、語るも涙のネタ!告別式会場は騒然とした涙で包まれ、号泣テンションのまま式が遂行... 「泣女」という職業がどこかのアジアの国にあるそうですが(最近映画になりましたね)、この職業は他人のお葬式に行って華々しく泣き、それによって式を盛り上げ(適切な表現が思い浮かばない)てギャラをもらうというものだそうですが、これと「お泣き」は根本的に違います。「お泣き」の目的は、悲しいエピソードを語り、多くの人間を泣かせ、「誰が泣いてもおかしくない状況」をつくり出す事。これにより、メンツや世間体などがかせになって心の底から泣けない方も思う存分に泣けると言うもの。 いわば、お葬式での涙の起爆剤みたいなものです。 日本人って、なんでお葬式でもあんまり泣かないようにするのかな?悲しければ泣けばいいじゃん、と思うんだけど。 「お泣き」も「ボケ」「ツッコミ」みたいに会話のキャッチボールで、結果的に「泣かせる」のが良いとかだと興味深いかも。
「いやー、ウチのばあちゃんボケてしまいましてねー」 「ほうほう、ホンマかいな。そりゃたいへんやなー」 「この前もね、夜にボクの枕もとに座っとってねー」 「そんで何してはんねん?」 「特に何もせえへんよ」 「それでドコがボケてんねん?」 「ばあちゃん、おととし亡くなってんねん」 「...お前の事...心配で出てきはってんなぁ...」 「...ほんま...かわいがってもろたわ...」 (涙) みたいな。
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