|
2021/08/24(火)
パラリンピック
|
|
|
パラリンピックの開会式を見ています。
NHK総合はおろか、Eテレ(教育テレビ)でしかやってない。
オリンピックは民放でも放送されていたのに、パラになったとたん、こんな扱い。
なにが、万人平等なんだか。 パラってなによ?
日本と言う国は、障がいと言うことに目を背けてきて、影に追いやり、隠して生きなくてはいけなかった。 LGBTたらなんたらとか言うけど、まだまだ差別している国であることは否めない。
民放各社がこぞってパラリンピックを放映しないのが、障がいを平等に扱う意思がないという現れなんだと思う。
障がいってなに? 障がいって言葉を使うこと自体、そもそもが間違ってるんじゃないかと思うのはわたしだけ?
自分には関係ないわ、身体に不具合があることが普通でないと捉えること自体、そこから平等ではないのに。 下に見るから、かわいそうとか大変ね、とかいう言葉になるんだと思うのだけど。
友達のお母さんが、障がいがあることを特別視することで中途障がい者が図に乗るから甘やかしてはいけないと、きついことを言ったのを覚えてる。
「障がい」ということを特別視すること自体、まちがっているということらしい。
わからなかったんだけど、生まれてはじめから障がいを持つ人は、それを障がいと思っていないこと、そのことをまずはじめに理解しないといけないんだと、そのとき知りました。
難しいけど、生まれもっての障がいは、その人にとっては普通であることをまず認識しなくてはいけない。
普通ってなんだろう? 五体満足ってなんだろう?
少し考えれば、わかること。
その人にとっての日常、ひとりひとりの当たり前がどんなことなのかを知ることが、まず第一歩なんじゃないかと感じています。
生まれてから目が見えない人、途中から目が見えなくなった人、まったく人生観が違うことを知りました。 考え方、感じ方が全然違うこと。生活の仕方が違うこと。 それを知ること、それが今の日本の健常者(こんな言い方は嫌なんだけど)はもっと知らなくてはいけないと思う。
口先だけでなく、日常で、当たり前に、普通に、おはよう、こんにちは、と挨拶が出来る毎日が来なくては、「障がい」という言葉はなくならないんだろうと思います。
馬鹿馬鹿しいけど、政府やメディアがいっていることは、すべてパフォーマンスでしかないということ。 このバラリンピックの取り扱いでよくわかるよね。
|
|
|