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2015/07/14(火)
ハートネット
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基本、テレビはあまり見ないのだけど、NHKとか意外と好きだったりします。 ドキュメンタリーも実験も、時にはドラマも面白い。 欠かさず見ている番組はないのだけれど、時々チャンネルを変えているときに出会う番組がまたよかったりする。
NHK総合だけじゃなくて、教育テレビの方もなかなかのもんだなぁって。
健康番組や趣味番組が多いけど、本当はもっと総合でやったらいいのになって思うことも。
たまに見かける「ハートネット」 これがなんだかクギ付けになる。
昨日はユニークフェイスの人たちのこと。 今日は障害があってもサーフィンが出来るという内容だった。
自分たちから見て身体に不自由さはあっても、それがその人たちには当たり前で、普通に暮らしている。
日本人はむかしから避けてきた悪い風習がある。 ハンセン病患者が隔離されていたり、知的障害があるからと堕胎を強制されたり、産めない身体にしてしまわれたり、戦時中には邪魔になるから殺してしまえと命令されたり、ひどいことばかりしてきた。 人目につかないように隠して隠して隠して… それでいて、見世物小屋で見世物にしてみたり。
ひとりの人間として接することが許されなかったなんて信じられない。
ここ数年、障害者の社会的地位があちこちで取り上げられ、社会進出を果たしていると言うけれど、まだまだ閉鎖的な日本。 だからこそ、メディアが公平な目で取り上げるべきだと思うのだけれど… パラリンピックの知名度の低さに毎回驚かされるし、定着していないのが現実。
確かに、ひとりで生きていくには難しい世の中。 でもそれでも確実に、生きることを頑張っているのは誰よりもそんな障害をもろともしないでいる彼らだと思う…
先天性と後天性のものでは、本人の受け止め方がまったく違うこともわかってきた。 自分だったらどうするだろう、家族だったらどう思うだろう。 いつも疑問だらけで、いまだ解決していないもの本当のところ。
でも絶対に目をふさいじゃダメだと思う。
簡単に「健常者」「障がい者」とくくりに入れてしまうのもどうかと思う。
仕事でもいろんな制度とかそのあれこれいついて研修があったり、絶対避けて通れない部分でもあるし、避ける意味もない、むしろ知らなくちゃいけないことなのだと感じてる。
興味本位ではなく、自分のこととして考えなくちゃいけないんだろうな、だから自然とそんな番組を見るきっかけが与えられてるんだろうなって思う。
ひとつひとつが、意味がないわけじゃない。
障がいを持った人に出会ったとき、自然に、当たり前に、同じように出来るか?と言われれば、正直なところ即座に「イエス」とは言えないかもしれない。
でも自分がそのときに出来ることをするだけのことで、あえて避けたり、嫌ったりする必要はまったくないという事だけは言えるかな…
好奇の目で見たり、忌み嫌ったり、邪険に扱ったり、笑ったり、特別なことをしてしまう心無いような人にだけはなりたくない。
なんとなく、そんなことをぼんやりと考えてみた。
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