◎だらだら*にっき◎
ほんの戯言ですゎ(笑)
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2014/04/16(水) 呪縛
子供はどっかでわたしの当時のことを覚えてるみたいで、すごく忙しい時期にふと「またおかあさん、おかしくなる」って言ったの。
もう泣きそうだったよ。この子、全部覚えてるんだーって。小学校の低学年だったと思う。毎日帰りも遅くて、学校終わったら会社に来させてて、抱っこして帳簿つけてた。そんなこととか覚えてるんだろうね。晩御飯も作らずに仕事してて、かまってあげられなかったとき、お手紙で「おかあさんはなんでそんなにいじわるなん?ぼくはさびしいのに」って書かれたときもあった。
今でも泣ける。
旦那はこのこと知らない。話したら自分のことと重ね合わせて、自分のときもそれが当たり前だったからそんなこと我慢させろって言うし。
でもさ、旦那は姉がいたけど、息子は一人なんだよね。帰っても誰もいない家で、何ができる?って思うの。
今でこそ、高校生にもなれば自分でなんかしら時間過ごせるようになってるけど、まだ小学生のころなんて、友達と遊べる時間にも限界があるし、ご飯だって教えてもないんだから作れるわけもないのに。
旦那はなんでも自分が基準で、自分ができることは誰でもできるし、自分で工夫しろって考えの人なの。だからなにもしない、できない人のことをすごく馬鹿にする。
人それぞれだって言うのに、わかってるようでいちいちの言動がそうなんだから。
子供にはかなりきつい親だと思う。ひとりでかわいそうなことしたなって、最近ずっと思ってる…でもわたし自身が無理だったからねぇ。経済的に余裕がないのに、子供なんか生めるか!って。
精神的にも余裕なかったのに、お金もなくてどう生活していくんだって時に、なんで二人目とか言えるんだろうって思ってた。

2014/04/14(月) 「人」
たまたま、NHK教育の「ブレイクスルー」を見た。

検索してみたら、わたしが見たのは再放送だったみたいですが。
ハートネットTV ブレイクスルー
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2014-04/07.html

この回で紹介されていたのは、京都にあるフレンチレストラン。
ここに勤める従業員が、障がい者であること、そして地元ではとても有名で予約がなかなか取れないとのこと。

どうしてそれほどに人気があるのか、障がいのある人たちが勤め続けられる理由は、を紹介しながら考えるようになってた。

時間の都合上、最後まで見ることはできなかったけど、わたしが見た半分ほどの中で、仕事に携わる人たちみんなが、自分が受け持っている仕事内容に誇りを持ち、責任感の中で人と接すること、仕事をすることに喜びを感じているのが見えた。

驚いたことに、統合失調症と診断された人が、フロアに出て接客しているということ。
そして集団になじめないでいる人が、任された仕事をまじめに会社(勤めているお店)の評判をかけて一生懸命働いていること。

その人たちが現場やスタジオでインタビューを受けているのだけど、病状がひどかったときの体験談を聞く限り、本当に人と接するのが辛い状況だったのだなと言うことと、今はそれを克服してそれぞれ自分の受け持つ担当の仕事を責任を持って働いている。

どうしてそこまで責任を持ち、胸を張って自分の仕事、お店をすばらしいものにしようと言う気持ちが起こるか、そのお店で働く意味を一人ひとりきちんと感じ取って、働き甲斐、生きがいを見出しているのか。

このお店では、働く人たちはなにかしらの障がいを持ち、それでも社会参加を求めて、やりがいのあることをしたいという気持ちがとてもあるということ。
お互いを認め合い、助け合い、時には叱咤する、でもそれが相乗効果を生み、お店全体のいい方向へ向いていくという結果につながっているんだなと思った。

本当はどの会社でも、どの人でも、どんな立場であれ、これは当たり前のことなのだけれど、今の世の中ではあまりそんなやりがいだの責任感だの感じられないように思う。
なんとなく時間だけが過ぎて、楽にお金が稼げたら良いな、くらいにしか思ってないような人たちがたくさんいる中で、彼らは必死に自分の居場所を見つけ、自分の働く意味を感じながら、やるべきことを真剣にこなしている。
だから、みんな生き生きして見えた。

辛いこともあると思う。
今までの作業所での仕事や賃金のことを思えば、とても働く意味があり、それ相当の賃金をもらえるようになったということ。

びっくりしたのが、今までの作業所での賃金が月2万円そこそこだということ。
一般では考えられない金額。
サポートが必要だといえ、これは自立した生活をするにもとても足りない。
このお店では5万円の収入が実現できたと支配人は言ってた。

働くってすごい。
責任感を持ち、働く意欲がある社員がいるところは、「こうだからいい」だけじゃなくて、「どうすればもっとよくなるか」を考えている。
だから妥協はしない。
お互いに気のついたことは言う。
疲れてそうな人には声をかけてあげる。

人として当たり前のことが、ここでは当たり前にできているからこそ、素敵なお店だとクチコミで広まっているのだと思う。
片田舎でフレンチなんて…と思ったら大間違いだそうで。
予約がかなり先まで取れない、また来たいと思うお店だということ。

人の心を動かすのは、結局人なんだよね。

番組の中で統合失調症だという人が話していた中で、あぁ、やっぱり人は人で壊されて、人で治るんだなって。
薬をもらったって治らないんだよね。

悪くするのが人なら、よくするのも人なんだってこと。
人間が一番恐ろしい生き物なんだってことだろうね。


本当は、こういう番組をもっと民法でバンバンやればいいのにっていつも思う。
毎年夏になるとはチャリティー番組があるけど、あれはあれでよしとしても、あの日限りの限定的なお祭りごとでしかないとわたしはいつも感じてる。
世の中、バリアフリーだ、社会にやさしい何とかだ言ってるけど、そんなこと以前に、人としての心の偏見をまずなくすことからはじめなきゃ、日本はダメなんだよ。
諸外国が福祉に力を入れられる仕組みや、税金が高くても誰一人文句を言わないのは、昔から障がい者や高齢者を違う意味で特別視してこなかったからだということをもっと知らないといけない。
日本の悪い風潮として、障がいをもっていることを隠す文化があるのだから。
障がいがなにをもたらすというのか。
いつ自分が家族が友達がそうなるかもしれないのに、まったく自分のこととして考えない、相手の気持ちになれない人が多すぎる。
自分さえよければ、と言った考え方が、自分の身に起こったときに始めて苦労させられ、怒りに変える。
心の障壁の大きさが、どれだけ現状の福祉対策に遅れを取らせているのかわからないんだよね。

なんてさ、いっぱしのこと言ってみても、自分もどこかで何か欠けてるんだよね…
おかしいよね。

2014/04/08(火) なんか、こう…
合わない人っているよね。

どうしても仕事上、避けては通れない辛いところ。
こちらから伺うにしても、先方がこちら側を選んでくれたとしても。
お互いに、初めて同士と言うのはとても緊張する。

でも最近は遠慮がないというのか、電話口だから顔が見えないし別に何も思わないのか、勝手な人が多い。
ネットでの情報が発達したせいもあるのだろうけど、携帯電話の普及がかなり人間性を狂わせているとしか思えない。

電話は伝える人と聞く人のお互いの思いが一緒にならなければ、伝え方捉え方でまったく意味が違ってしまうのに、先方は自分が目の前で見てる光景を同時にこちら側が見てるかのように話してくることが多くなった。
ボキャブラリーに欠けるとも思えるのだけれど、なにせ省略して説明がなってないことでこちら側の判断しかねる部分なのに、「なんでわからないんだ」と怒り出す。

あ、あと短気な人増えたね。
待てない、聞かない、自分でもう答えを持ってる。
なのに「とりあえず」聞いてみる、核心、後押しが欲しいとかそんな程度でこちらがお金にもならない調べものをさせられ、あっさり却下。
あほか。

こちらからあの手この手でどういうことを言わんとするか探り出すのにも一苦労。

今日も1本の電話。
「便座が割れた」
だからどうした?って感じなんですけど。
替えたいといわれても、今の使ってるものがどんなものでどう使っているのか、新しくするのは同じものなのか違うものにしたいのか、まったく答えが変わるのに。

前にあんたんとこでしてもらったやろの一点張りで、一向に話が通じない。
恐ろしい。昔の記憶だけでものを言う人の多いこと。
長いこと会社をやっていると、お客さん側の間違った記憶で踊らされることも多い。
自分が勝手に取り付けたものや、別の会社で買ったものなども平気で「あんたんとこでやったやつ」と言い切るお客。
見に行ったらまったく知らないものをつけてたりは当たり前の朝飯前。
それをどうやって直せとか言えるんだろうねぇ。

ホームセンターの普及もすごいし、メーカーも量販店用とかの大量流通用の商品を流すようになっているのも混乱の元。
結局メーカーは自社製品がどのルートであれ売れればいいと言った考え方に変わってきてるのだから。
それでいて個人店の売り上げがふるわないと、それきり付き合いもぴしゃりと切る時代。
売れさえすれば、どんな手法であれOKなんだって。バカか。
販売店をバカにするのもいい加減にしてもらいたい。

話はそれたけど、ホントに話のできない人が増えて、仕事に支障が出てる。
客の年齢層が高いのも困りものなんだけどね。

ネットでものだけを流す商売が増えたのと、個人客が自由にそれを買い物できるシステム、いいこともあるのだろうけど、それだけ個人の責任があることをもっと考えないといけないのに、商品は売りっぱなし、買い手は自分で取り付けられないことを棚に上げ、取り付けだけしてくれと言ってはそれを高いという。

本当に職人がやることを素人がするのだから、それだけ責任持って買い物しろよっていいたいし、できなくて頼ってくるなら職人の工賃一人前かかることくらいわかれって。
大の大人が300円とか子供の小遣い以下みたいな値段で仕事する買ってんだよね。

半日一人の大人が動くことを考えられない。
専門の職人がするからあっという間に取り付けられるのであって、それですぐ終わったんだからそれは高いとか言っちゃいけないんだよ。
あんた、自分のお父ちゃんが人んち行ってちゃちゃっと仕事して5000円しかもらえなかってみ?
絶対怒るよね、そんなやっすい仕事するなって。

お金を出すときともらうときの差ってなんやろう。



なんかさ、イライラばっかりたまってるからか、顔の形が変になってきたよ。
自分でも目つきおかしいって、思うもん…
人のせいにしちゃいけないんだけどね。

なんかやっぱり、言ってることが支離滅裂。

2014/04/04(金) 自由
先日の読書感想文。
旦那さんに話しました。

なぜか、あまりいい顔せず聞いていて、聞くだけ聞いて旦那さんの感想。

「何でそんなもん買うんかって思ったわ」だと。


え?
そんな感想?
それはわたしに対する感想だけど、まさか批判されるとは。

なんで買ったなんて、読んでみたかった、それだけの理由。
ほかになんかある?
本なんて、読みたいって理由のほかになにがあるん?

感動をありがとうばっかりが本じゃないやん。
よかったかどうかなんて、読んだその人それぞれの感想があるはずやし、感じ方もいろいろでいいんじゃないん?

不満が残るんなら読むなって、それこそ無理やろ。
読まなきゃなにも生まれないのに。

もしかして、感動ものだと思っていたのを違う方向から見たから?
わたしが、自分の身の回りに置き換えて読んで、そうはならんやろって発言したから?

主人公がスーパースターすぎて、そんな取り巻きのする事なんて当たり前やとでも言いたかったんかな?

悔しかったらそれだけ本人が頑張らなアカンて?
わかってるわ。
息子がこれを読んだとき、どんな感想を持つか興味はあった。
でも本読むことが苦手なのも知ってる。

旦那の中では、どうせあいつは何にも変わらないと思ってる。
そしてわたしがそんな息子に目をかけるのをいやがっている。
いったいどっちが子供なんだか?

母親が息子を応援することを子離れしてないとか、甘やかしてるとか、なんか違うと思うんですけど。

いつまでも、手取り足取りしてれば、それは過保護だろうけど、今はたかだか食事の用意や洗濯、朝から晩までクラブで頑張ってる息子を陰で支えるのは親のツトメではないの?

いちいたおまえは過保護すぎる、気持ち悪いって言われる。

あのさ、一緒に風呂入るわけでもなし、一緒に布団で寝るわけでもなし、なにが不満?
旦那だけに向いてないのが不満?

...だよな。
自分の話聞いてもらえなかったら、もういいってすねる。
子供か!
さながら、兄弟みたいなとこあるよなぁって。
疲れるー。



読書感想も本音で話せないなんて、マジしんどい。

2014/04/02(水) この月の日記はありません
4月に入りました。

少し時間があったので、久しぶりに本屋さんに行きました。
活字から離れてるので、読めるかな?と思ったけど、やはり本を目の前にすると、読みたくなります。
読書好きにしてくれたのは、多分母です。

ジャンルを問わずにいろんなものを読むようになったのだけど、最近は実生活に近いものが目に止まりがちかなぁ。
でも雑誌は買わないですね。ははは

ふらふら文庫本のコーナーを見て回っていて、ふと目に飛び込んできた文字。

「左手1本のシュート」

息子さんがバスケをしているからだね。

テレビや雑誌なんかでもたくさんとりあげらてているらしいのだけど、知らなかった。
バスケで優秀な選手がある日脳出血で倒れてからの日々を追ったドキュメンタリーなんだとか。

買ってすぐにグイグイ読んだ。

バスケと言う種目や、年齢も近いせいか、きっとどこか重ねる部分があったのかなって思う反面、リアルなのにどこかノンフィクションでない?みたいにも感じながら、ドラマっぽく読み進めた部分があったりと、変な気持ちが入り乱れる本だった。

高校入学直前に、クラブ遠征先で突然脳出血で倒れた。
意識不明、緊急搬送、緊急手術。
手術をしても植物人間になるか、麻痺が残るという苦しい未来。

ミニバス(小学生からはじまる)時代から優秀な選手で、高校でもバスケットボールをするためにと周囲から期待されていた彼。
そんな彼がまだ入学前のクラブ遠征先で倒れた。

遠征先で倒れたことで、引率の監督が病院についてきてくれた。
県外であったけれど親も呼び寄せられ、中学のときの監督にも連絡が入る。
普通、一人の子が倒れたことで、中学のときの監督にまで連絡が行くのかな?って不思議だった。
山梨から神奈川までかけつけてくれることの方が、すごく特別に思えた。
それだけ彼は有望視されていた選手だったからだろうけど・・・

ものすごく皮肉に思えた。
過去に優秀な経歴もない、ただバスケがしたい程度のなにもない選手だったら、ここまで手厚い待遇はないんだろうなって思う自分がいた。

不幸中の幸いで意識も戻り、本人がとても努力家で、バスケに対する思いがとても強い子で、またバスケをしたいという熱意がすごかったので、苦しいリハビリにも耐え、小さい身体ながらに復帰できるための努力をし続けてきた。

学校側がそれに応えるように、1年遅れでも入学できる手はずをしたり、入学してからは通学のための送り迎えをしたりと、普通ではありえない対応をしていた。
やっぱり特別な子っているんだなって。

麻痺が残る体で、一般の学校に通うのだけでも大変なのに、学校側の配慮で通学の補助をしたり、普通クラスでの勉強もできたり、周囲からの大きなイジメもなく過ごせていたことは、本当にラッキーなんだと思う。

もしこれが有力選手ではなかったら?
中学側も高校側も、こんな待遇はしてなかったんじゃないか?
その子が人一倍努力家であったとしても、麻痺が残る体でのクラブ在籍すら認められないんじゃないか?

そんなことがグルグルわたしの頭の中を回っていた。

病院での名医ある担当医に診てもらえた事、リハビリなどPT、OTの良い方たちとの出会いに恵まれ、1学年遅れで入学できた高校での勉強、クラブ在籍。
いくら良い先生方の出会いがあったとしても、本人の努力なくしては復帰はできないのはわかる。

でも土台が違いすぎるのでは…という気持ちが、どうしても離れなくて。
彼の環境だけは素直によかったねと思えない自分がいる。

突然倒れ、麻痺が残る体になったのは誰のせいでもない。
一番悔しいのは本人だし。
大好きなバスケのためになら、苦しくてもなんだってする。
人の倍以上の努力を惜しまない彼は本当にすごいと思う。

でも、環境がある程度よくなくては、どんな努力家でも具現化できずに終わってしまう可能性だってあったはずだ。
周囲の大人たちがそれを整えてしまうほど、彼はすごい選手なのだろうけれど。

すごい選手だから助けられる、そのほかの光らない子は別にそんな扱いもされずに消えていってしまう。
そこがわたしにはどうにも腑に落ちないのだ。

うちの子にいろんなことが降りかかったとき、中学の顧問だけはとても熱心に接してくれた。
ミニバスのときは完全に見捨てられていた。
高校になった今もまた見捨てられている。
中学のときの顧問は本当にとても熱心だった。
バスケだけでなく、人として、という根底から熱い人だった。
怖かったけど、心底子供たちを愛して、バスケを愛してやまない人だった。
それだけに、ミニバス時代や今のクラブにはあまりいい印象はない。

そんないろんな気持ちを抱えながら、この本で登場人物の一人ひとりを身の回りの人に置き換えたりしながら読み進め、何の感動もなく終わった。

ドラマを見ているような、そんな感覚でしかなく、あんまりな感想しかなかった自分が気持ち悪い。

息子さんにこの本を読ませたらどう感じるだろう?と思って、本を見せてみたら、やっぱり知ってた。
さすがは業界(笑)有名人だ。
テレビでもやってたし、すごい話聞いて感動したわって言った。
今でもウルッとなると・・・

子供にとっては、病気で倒れて、麻痺が残る体で最後の試合に出させてもらって、左手しか使えないのにパスをもらい、ゴールを決めたという場面が輝かしく見えたらしい。

そっか。
そんな風な感想でいいのか。

わたしはどうしても周囲の取り巻きのほうが気になって仕方なかった。
人それぞれ観点は違うし、感じ方も違うんだなって思った。

子供がバスケをしていなければ、もっと違った見方、感じ方があったかもしれないね。


息子が中学時代の顧問に、もう一度会いたくなった。
そして今の状況を話して、先生はどう思うか、先生ならどうするか、聞いてみたい。


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