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2005/01/27(木)
回顧録
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私は小さい時、好奇心の旺盛な子でした。自分の目で、手で確かめたい子でした。 1 ナイフは本当に切れるのか? 料理包丁が切れるのは知っていたけど、テーブルナイフは切れる気がしなかったので、自らの指で試してしまいました。・・・流血。
2 炊飯器と加湿器から出ている気体は同じでは? おばあちゃんのいた老人ホームにあった加湿器に興味を示し始めた幼き日の私。炊き上がり間近の炊飯器から吹き出る気体を見て同じものを連想し、手をかざしました。というか、噴出口の銀色のとこ思いっきりさわりました。・・・火傷。
懐かしいなぁ小学校時代。今、そこらへんを走り回っている小学生を見ると、「うっわ〜 無邪気だな〜 何も考えてないんだろうなぁ。辛いこととかないんだろな〜」とかつい思ってしまうけど、あの時の自分を思い出してみると、実は色々考えてたり、思い悩んでたりもする。その時の感情がいきなり蘇ってきたりして、「えー、あんな小さい体でそんなこと考えてたの?!」って昔の自分に驚いてみたりね。
話とぶけど、小学校時代の先生って、すんごい大きな存在だよね。絶対的な影響力。って私は人並み以上に左右され過ぎてたかも。 小学校低学年の担任は非常〜に厳格な先生でした。私は「高橋道子せんせい」の従順なシモベでした。何をするにも先生の目を気にしてばかりいました。
うさぎの絵が書かれた上履きシューズ(分かるかな〜 片足ごとに半分のうさぎが描かれていて、両足揃えると1匹のウサギになるやつ!)が流行ったときも、「欲しいけど、学校で履けないよぉ。だって道子せんせいは『うさぎの絵が書かれたシューズを履いていいです。』なんて言ってなかったもん!」
学校に持っていく荷物が多くてランドセルには入りきらなかった時。姉は私にサブバックを勧めました。隣接幼稚園に通っていた時に使っていた黄色いビニール製のトート型?のバッグ。でも、私は「持っていけないよお。だって道子せんせいは『黄色いバッグを持ってきていいです。』なんて言ってなかったもん!」
ELLEとかのマーク入り靴下が流行った時もそうでした。「履けないよぉ。だって道子せんせいは・・・以下省略。」 (余談ですがELLEはあの当時の小学生女子に絶大な人気を誇っていました。福島のみならず水戸でもそうだったそうな。ロゴ入りのトレーナーなんかを誕生プレゼントに買ってもらった日には相当うきうきしちゃってました。)
なんて哀れな子だったんでしょう。学校という公の場面ではとても大人しい静かな子だったっけ。私生活ではそんなことなかったから内弁慶の外仏ってとこかしら。道子先生は決して悪い先生ではなかったけれど、しっかり・がちがちしすぎていたというか・・小学校低学年児にはちょっと手強過ぎた。 存在がこわかった〜
そんな私も、3年生になって出会った先生によって変わりました。一言で言えば明るい子供になりました。その先生は20代半ば〜後半位の若い先生。「松村直子先生」は、日焼け肌で体育が得意そうな、いかにもジャージが似合いそうな女先生。 大好きだったなー 休み時間には生徒がみんな寄ってって、我先にと話しかけてました。私もその中にいるうちに低学年時代の消極的なところが改善されてったわけです。
あー、なつかし。 あー、ながっ
長い文章書くの慣れてなくて色々とうまく書けなくてもどかしいな〜 みんなよくまとまりのある「コラム」書けるよねぇ。ほんと尊敬です。
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