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2005/01/24(月)
『冬の花火』
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題名は太宰の短編から. 韓国ドラマっぽい題名ですが僕はこの作品を読んで気分が悪くなりました. この作品に出てくる人間は,みな不仕合わせ(「幸せ」という漢字よりもこちらの方が的確)です.どん底・真っ暗です.
ところで僕は日頃自分は悲観的な人間だと自己認識していましたが,それは間違っていたようです. この作品のとことんダークな世界観にはついていけません. 「読まなきゃ良かった」と思いました. 僕はこれを読んで,楽観的なひとが悲観的な人を忌避する気持ちが解りました.
僕は大団円が嫌いです.「これ嘘だな」と思うからです. でもこれほどまでに救いようの無い小説(戯曲)を読んだ後では,大団円もそれほど悪くないじゃないか,と考えられるようになりました.
子供の頃から今まで,あまりにも欺瞞的な勧善懲悪のストーリーに馴らされてきました. その反動で僕は,楽観より悲観の方が誠実なんだ,というふうに信じるようになったのではないかと思います.どうやら純粋なダークサイドではなかったようです.
太宰の悲観は中途半端ではありません.徹底しています.いわば「ハード陰」といっていいのではないでしょうか. 実は僕はソフト陰だったみたいです. 陽ではないのは確かなのだけれど,あんまり暗いと「それは無いんじゃないの」と生理的に感じます.
自分のなかの悪に気付かないほどの鈍感は最低だ,と僕は思っていました.自分だけ「綺麗でいい奴」ぶることがなにより罪だ,そんなはずはないじゃないか,と.
けれど逆に自分のプラスの可能性を全く黙殺して,ただ「死のう」とばかり思っていることも最低ですよね. これ当たり前のことかもしれませんが,僕には今たどり着いた新鮮な立場なのです.
「自分は生きていても仕方がないんじゃないか」と思い悩むことが,人生で最も充実してる瞬間だ,と僕は思っていました.今もその考えは大枠では変わりません.しかし今や,そうやってくよくよ思い悩んだあげくの「自殺」という解答は間違っている,と自身をもって表明できます.
レディオヘッドを「陰気だから嫌い」という人がいますが,僕に言わせれば彼らはそこまで陰気ではありません.たしかに彼らの曲は自己嫌悪や悲しみや怒りといったネガティヴな感情に溢れています. けれども「こんな世界はくそったれだ.だけど生きていくしかない.真実から目をそらしてはいけない.それは本当にしんどいことだけれど.」という立場に立った上でのネガティヴな音だと僕は思います.
楽観的に生きることは動物でもできること.世間知らずの子供みたいなもの. 悲観は心理的にしんどい.間違って行きすぎて世界に絶望してしまうと自殺してしまう.
パスカルが言うように,僕は中間者.悲観と楽観の間で揺れる矮小な存在. 悲観は必要要素だけれど,悲観に溺れると生きていけない.
そもそも,陰/陽という分類自体あまり意味のないものかもしれません. 「アタマの悪い2元論に逃げると話がつまんないんだよ」と授業で聞いた台詞が頭の中からひょっこり出てきました.(ちなみに計画の小野田助教授です)
曜日間違っちゃだめじゃん 学さんへ:僕は信号赤で突っ込んで見事違反キップ頂戴したことがあります.そのときやまけんと真野も一緒だったのですが,彼ら旧ルールの人々はきっちり停まっていて無傷でした. 岩手県警をなめたらやられます.
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