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2004/09/07(火)
"Less is More"→"Less is Bore"(256)+the Grate Escape
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時間があり,かつ書きたい気分になったので足そうと思います.
3年の夏休み.ある晴れた朝,単車がおれを呼んでいる. 「おい,家で寝てばっかりしてねーでどっか行こうぜ」 と.旅の荷物をまとめる. 「観光ガイドなんて持つなよ.あらゆるフィルターを介さないこと.お前が見たもの,そこで感じたことだけがお前の真実なんだ.客観的・普遍的に楽しいことなんてない.感動は本質的に主観的・非論理的なもんだろ.」 「ウォークマン?いらねーだろ.朝,鳥の鳴き声で目覚め,走ればおれのエンジン音はお前の聴覚に最高の興奮をあたえる.川辺で休めばせせらぎの音.夜は虫の声に囲まれて眠る.つまりお前が旅立つ世界は,聞くべき生の音楽が絶えることは無い.」 「携帯は持ってないとまあ困るだろうな.けどかかってくる電話に出たりなんかしてたら旅する意味無いだろ.あらゆる日常のめんどくさい束縛からの解放・逃避が旅ってもんだ.非常時以外電源はオフにしとけ.」
目的地は決めていない. 「とにかく南へ向かうんだ.過ぎ去ってしまった夏を追いかけるんだ.太陽に向かって走れ!」
走り出せば風を感じる.対向車線の通勤ラッシュを尻目に,まだ見ぬ世界へ旅立つ. -----------------------------------------------------------
"Less is More"→"Less is Bore"(256)
形式だけモダニズム建築を模倣した白い四角い箱建築の氾濫に異義を唱えたヴェンチューリ(米)は著書「建築の多様性と対立性」において,建築の各要素を単純化・抽象化する近代建築の禁欲的姿勢は退屈だと主張した. このヴェンチューリによる建築理論は,建築分野のみならず日常のレベルにおいても適用の可能性を持っていると僕は思った. 例えば服.僕は中学生のときから,「自分のスタイルの確立」をテーマに服を選んできたと思う.しかし実は多様性・対立性を排除することで思考停止という楽な状態を求めていた,という解釈もできる.
メジャー
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