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2004/09/06(月)
「オオトモくん、チャックがあいてるよ」といわれる快感
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人間がいちばん無防備な表情をみせる瞬間は、眠っているときだと思うが、意外と忘れられているのが「横顔」という存在だ。
おれだけかもしれんが、写真なんかで自分の横顔が写っているのをみて、びびびっくりしたことがある。イメージしていたカタチと違ったからだ。「こいつはおれか!?この干し芋(茨城県名産)のような形状をした物体がおれの頭部なのか?これではナスビと罵声をあびせられても反論できないではないか!」と。動揺した。録音された自分の声を聞いたときのキモチワルさだ。
そう、ふつうに生活していたら、自分の真横からみた顔など拝めるはずもない。日常的に自分の顔をモニターするといったら、鏡ぐらいしかない。真横からの顔を見るためには2枚の鏡が必要になるが、普段そんなことはしない。鏡でみた経験があるので、正面や斜め前からならば、左右反転はしているものの、自分が今どのような表情をしているのか察しがつく。だから、ある程度自分の表情のコントロールは可能だ。しかし、横顔の場合は違う。自分の表情を制御できているつもりでも、他人にはおそらく自分のイメージどおりには見えていない可能性が高い。
「無防備」だと冒頭でいったのは、以上のような事情からだ。自分で自分のことをわかっているつもりなのに、勘違いしている(「勘違い」という言い方は適切ではないが、他にちょうどいいコトバがないので)。単純に最近のわかりやすい例でいい切ってしまえば、生えていないと思っていた尻の毛を他人に発見された場合のようなもんだ。
ステキな横顔にドキッとした、とかいう詩や小説のいち場面もあるような気がする。実際、集中しているスポーツ選手の横顔には心うたれるものがある。ある人間が横顔をこちらに向けているとき、そいつはこっちに集中していないし(別のものに集中している)、さらに先にいったように、そいつが思っている以上に無防備な表情をこちらに晒している。そのとき、そいつの素の表情をみることができるかもしれない。
だから、人間は(少なくともおれは)、全裸で歩いているようなもんだ。しかも、自己認識と他者による認識との間には絶望的な乖離があるから、どんなに服を脱いでも脱ぎきれない。
ということで、みんな脱げ!脱げ!脱げええええええ!
びゅっ!くj
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