スノーボードコラムセピア
どこかでなくしたあいつのアイツ
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2004/09/29(水) 嗚呼青春
今あなたは草むらにいます。周囲を気にしながら腰を落とし、ゆっくりスボンとパンツを一緒に足首まで下ろしてください。それでは張り切ってどうぞ!
「…うわ〜!!」
パンツはびしょ濡れに。そうそれが幼少の頃からのボクのトラウマ。ボクは和式スタイルで運子ができない少年でした。そりゃあキツかったです。来仙一年目のある日ボクはアレがしたくなり洋式があると思ってダイエーまで我慢しました。そして扉を開けると…そこは和の世界!ボクは仕方なく全裸でチャレンジしました。がんばりました。おばあちゃんにも誉められました。
π

2004/09/28(火) 虐待グリコゲン
椎名林檎が好きだ.
MTVで観た東京事変のPVは素晴らしかった.
姫の首→鎖骨→肩のラインが赤裸々にあらわになったコスチューム.素晴らしすぎる.わかってらっしゃる.
あとタワレコの広告の椎名林檎も秀逸.何パターンかあるが,どれも素敵すぎる.ポスター売って欲しい.
しかし東京事変にキーボードが居ることの意味が,僕にはさっぱりわからない.姫の悩ましくも力強い歌声をキーボードが邪魔している.
日本語も捨てたもんじゃない,日本人で良かった,と僕が思えるのは姫の歌を聴くとき位だ.
そのうち商店街でも骨からみの話を書きます

2004/09/27(月) 諸刃の剣
こんばんは、滝川クリステルです。

毎日を過ごしていると、たまに自分の小ささにウンザリしたり空しくなったりしてしまうことがあります。今日は、そんな宝石のような瞬間を切り取って、ほんの少しですが皆さんにお届けします。

@ 廊下などの90°のブラインド・カーブで、出会い頭の衝突を避けるために余裕をもってアウト側に進路をとったのに、うしろから他人にイン側を衝かれ、ムッとしたとき。「それくらいで、イライラするなよ」と自分の小ささにガクゼンとしました。

A スノーボードなどで寒いなか長時間活動したあと、トイレに行き、あたかもミニマム(あるいはトード。あっ、でもカメはカエルになるのかな?)をかけられたかのように収縮し、ジャングルに埋もれた股間の自分を見た(あるいは触った)とき。「それくらいでは、ブラブラできないな」と自分の小ささにガクゼンとしました。

B だれかに「やさしい」ことをしようとした瞬間、「いい人」に思われたい(嫌われたくない)自分を発見してその下心に寒気がし、けっきょく何もできなかったとき。「そんなんでは、イチャイチャもできないな」と自分の小ささにガクゼンとしました。

C ひとと会っていて、メシを食うことになり、店を決める際、「どこでもいいよ」といって「寛容な自分」を出しつつジツは自分では決定できないだけ、というとき。「そんな自分は中身のない、スカスカな人間だ」と自分の小ささにガクゼンとしました。
                                 ・・・etc.
まあ、ほかにもいろいろあるんですけどね。ささいな出来事につまずくことは多いのですが、立ち上がらせてくれるのもまた、ささいな出来事だったりします。

滝川クリステルがおおくりしました。では、また来週お目にかかります。
On友

キャンプ、みなさんほんとうにおつかれさまでした。楽しゅうございました。
Off友

2004/09/21(火) 陰影礼賛
ここに1枚のCDジャケットがある.
『HOTEL COSTES 5』STEPHANE POMPOUGNAC
今回のコラムはこのCDジャケットから着想を得た.
薄暗い部屋に椅子に座ったモデルが一人.照明は彼女の流麗な像を浮かび上がらせてはいるが,その表情はほとんど影の中に隠されている.
明と暗のせめぎ合い.その境界領域において,モデルは自己の魅力を表現し,写真家は瞬間の美を切り取り,作品となる.

明るすぎるよりも,暗い空間のほうが面白い.

・暗闇では空間に深みが生まれる.どこまで空間が連続しているのか,境界が確認できない,距離感がつかめないことで有限の長さが無限に感じられる.
・暗闇は私的空間だ.暗い場所には,試しに入ってみようという気がおきないからだ.コンビニなど明るい空間ははじめての者でも受け入れてくれる感じがする.すなわち,ある領域を「暗くする」ことは「部外者お断り」のメッセージたり得る.
・宗教的空間も暗闇をうまく使っている.夾雑物のない純粋な空間を演出するのに暗くするのは効果がある.闇のなかに浮かぶろうそくのかすかな炎や,暗闇に映える色鮮やかなステンドグラス.闇のなかで強烈に際だつ光は「救済」の比喩だろうか.
・影と光のコントラストとグラデーションによって,造形的な魅力(線の流れ,ふくらみとへこみ,肌理の荒い細かい,等々)に起因する美しさが誇張される.暗い空間であればこそ,普段発見することのない微少な,しかし優れた造形的美しさを発見するかもしれない.
・100%丸見えよりも,想像力の入り込める余地としての,隠された領域があったほうが刺激的だ.それにより好奇心を刺激し,想像という無限の営みを喚起する.
・空間が暗ければ,視覚にたよることが少なくなくなり,視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の五感を総動員することをせまられる.つまり暗い空間は,理性が支配的でない,原始的・野生的な非日常の世界である.

さあカーテンを閉め切って,自分(たち)だけの世界に没入しよう.

メジャー80
商店街ものは5月のところにあります.

2004/09/20(月) イライラしているときに読まないでね
今日は、書くことがなくなったので「辞書のページをて亀頭に開いてイチャモンつけるシリーズA」をやろうと思ったのだが、最初に開いたページに、
びおん【微温】なまぬるいこと。【―的】物事が中途半端な様子。不徹底な様子。
(前掲書、p.1166 )
とあったので(実話)おれのことをいっているように感じて、鬱になった。それで、やっぱりやめることにした。ということで、今日は果てしなくどうでもよい自分の疑問をぶつけてみる。
けっきょく中途半端なのはいつも変わらんのだが。

テーマ:「モダン焼き」におけるモダニズム
おれのバイト先には「じゃがいもモダン焼き」というメニューがある。チーズ、マヨネーズ、ニシンなどといっしょにオーブンで焼いた料理だ(けっこううまい。ニシンがいける)。そこから疑問がわいたのだ。いったい、どこがモダンなのだろう。

これを知るためには、まずお好み焼きの一種である「モダン焼き」に手をつけねばなるまい。ネットで調べてみると、公式に「モダン焼き」という名称が使われたのは1972年の大阪でのことだという。比較的新しいことだ。どうやら、お好み焼きと焼きそばをいっしょにすることで、アヴァンギャルドな感じを出したかったようだ。つまり、常識を覆すという行為を通じて、時代の最先端を謳ったと解釈できる(大げさだが)。わがバイト先の「モダン」も、そんな感じを演出しようとしたのだろう。答えは出た。しかし、まだ終わらない。他の可能性も追究する必要がある。筆がノッてきた。エイヤァアアア!

「モダン」という時代区分をひとことで表現することは不可能だ。訳語にしたって、「現代」だったり「近代」だったりする。しかし、その要素としては、メジャーの建築の話でもないが、合理主義や機能主義をあげても間違いではないだろう。この合理主義や機能主義を強引に考慮すれば、「モダン焼き」のもうひとつの可能性がみえる。すなわち、ふたつのものをいっしょにすることで得られる、調理および食べる時間の短縮や省スペース化がそれだ。

しかしながら、この仮説は直ちに否定される。たとえば、うんこが漏れそうだがお好み焼きも焼きそばも食いたいひとりの男(あるいは女)がいる。そいつが「よぉし!モダン焼きならば、すぐ食えるから、うんこはとりあえずガマンだぁ!」と括約筋を意識下におきながら、モダン焼きを食うだろうか?答えは否、である。うんこを優先するだろうし、食った気がしないはずだ。そもそも急いでいるやつは時間のかかるものを食わない。したがって、「モダン焼き」を合理的・機能的なものを志向した食い物だとはいえない。

では、先に「アヴァンギャルドな感じ」といった「モダン」は、どう捉えられるだろうか。強いていえば、価値相対主義的な「ポスト・モダニズム」だといえるだろう。いいかえれば、「何でもあり」的な状況の産物である、ということだ。この状況のなかで、「モダン焼き」は、商品としての新奇さを志向して誕生した。このような、商品間の差異付けは、モノを売るばあいに不可欠な戦略である。これは、消費者の欲望を喚起する資本主義システムの本質だ。資本主義はいうまでもなく、モダンを語る際には不可欠な要素である。したがって、「ポスト・モダニズム」といえど、「モダン」の枠を出ていない。

以上の考察より、「モダン焼き」は非意図的であるにせよ、極めて「モダン」な食い物であることが明らかになった。

だからなんだというのだろう。              つづかない
〈aut◎m◎bile]≡≡3

2004/09/17(金) 近況
最近一番ムカついたこと。化粧品を買いに(きれいになろうと思って)お店に行き、どのチークがいいか店員さんの話を聞いていたら「お客様は少々カジュアルなお出で立ちでいらっしゃるから...」と何の悪びれもなく言われたことです。カジュアルな人に向かってお出で立ち?!バカにするのも程がある。と煮えたった心を抑えながらその勧められたチークは買わせていただきました。(説明は親切でした。ありがとう)
最近一番悲しかったこと。バイトの飲み会で居酒屋に行き宴もたけなわになりグラスもたくさん溜まってきた頃に店員さんが片づけに来たので善意でその店員さんの持っているお盆にグラスを乗せていたら「あの、(お盆が)グラグラするので乗せないで頂けますかぁ」そりゃそうでしょうけどそんな言い方...。お盆を机の上に置くなり何なりあるでしょうに。すっかり意気消沈いたしました。シュン。
最近一番うれしかったこと。去年のリベンジ(もう死語だったりするんですかね)で受けた転学科試験の学科で合格しました☆(これが言いたかった(^_^)今面接とかの総合結果待ちです。まあまた面接で落ちたら笑ってやって下さい。きゃんぷ楽しみです。何か手伝うことあれば言って下さいませ。ZOO-MIO-R

2004/09/15(水) 流すか流されるかの境界線で愛を叫ぶ
今BiViでトイレに行きました。それはもうキレイなトイレでした。そんなキレイな場所で汚いプレイでウッフンしたわけです。素で毛渡し。
そんでビックリビックリBiViックリ!みたいな痛み。。。座ったらアナウンス流れちゃってるし!「こちらのトイレはセンサーに手をかざすかドアを開けますと自動的に水が流れます♪」
そんなん決まってますワイ!ドア開けますワイ!後ろめたさはそこにはない。迷うことなく進めばイイ。満足ヅラしてアレを置きっぱなしでね!
ごめんなさい、来週はがんばります。
佐π木

2004/09/14(火) すべては再び新しい
先週末,現実逃避をはかって街に繰りだした.おれはけっこう溜まりやすいので,こうゆう種類のヌキもたまには必要なのだ.

発作的に,映画を観に行こう!と思い立ち,最終日の『スチームボーイ』を観た.自分の誕生日を祝うという意図もあった(ちなみに去年は『座頭市』を発作的に観に行きました.さらにちなみに,3年前はアルカイダが計画的なショーをみせてくれました).

客の入りはまばらで,同年代の人間がほとんど.孫らしき2人をつれたおばあちゃんもいた.こどもたちは最初こそはしゃいでいたが,だんだん飽きてきたらしく静かになった.おばあちゃんははじめから映画には興味がなさそうだった.
それでも,3人には「いっしょに映画を観に行った」という思い出は残っただろう.それをみていたおれにとっても、それは間違いなく現実だった.

現実から逃げるつもりだったのだが,またしても現実をつくりだしてしまった.

現実から逃げることはできないけれども,「現実逃避」というコトバにおれは助けられているのかもしれない.ただ気持ちいいだけかもしれないけれども,自慰という方法におれは助けられているのかもしれない.

(思いがけず火曜日の)m!jャー

2004/09/13(月) 東京ツンドラ通信
先週の金曜日に国立西洋美術館(上野)に行ってきました.
当たり前かもしんないんだけど,やっぱ川内の県美とは格が違いました.もともと建物のほうに興味があって行ったんだけど,展示品のあまりの有名っぷりに圧倒されました.ロダン,ルノワール,モネ,ピカソ,等等.
僕はもともと絵画はそんなに好きじゃないです.とくに抽象的なのとか全然わかんない.でも美術館で実物を目にすると,内容がわかんなくても結構充実した時間を過ごしてる気になれます.
好きだと思った絵は,人物画(とくルノワールの「帽子かぶった金髪の女性のやつ」)です.ぼくはもともと花とか風景とかみてもあんま感動しないたちで,静物画とか「うまいけど、だからなんなのかなー」って考えてしまいます.けど,人物画は直接心に訴えてきます.「こんなん描かれたらモデルは絶対画家に惚れちゃうよ」っておもいますよ.すんごい綺麗です.100年以上前の名も知らぬモデルの女性の美しさに圧倒されました.絵を描くってことは,美しい一瞬を,永遠に保存することなのかなーて思いました.
ただ,写真で同じモデルの人を見てもこれほど心を動かされることはないでしょう.絵だと画家のもつモデルへの想いや,鑑賞者の想像力といったいろんな物語が入り込む余地があるから感動しやすいんだと思います.
また上野に行く機会があれば,もっといろいろ見てまわりたいと思います.

メジャー

2004/09/08(水) トマト
最近チャックを開けたままバイクに乗ってる機会が多い。しかし事態は思いのほか深刻だ。なぜならチャックが開いているからだ。
さてさて、最近ではそれと同じくらい回文にはまっている。トマト・新聞紙・竹藪焼けた・竹谷焼けた・竹谷さんのウ○コ・お騒がせ長谷川さん…etc.
もうなんでもかんでも回文にしたくて仕方ないボク。久保井奈貴志と仕方ないボク。ってくらい仕方ない。何はともあれ「上から読んでも下から読んでも○○」思いついたら佐々木まで連絡ください→no.q-.-p@ezweb.ne.jp
(ππ)

2004/09/07(火) "Less is More"→"Less is Bore"(256)+the Grate Escape
時間があり,かつ書きたい気分になったので足そうと思います.

3年の夏休み.ある晴れた朝,単車がおれを呼んでいる.
「おい,家で寝てばっかりしてねーでどっか行こうぜ」
と.旅の荷物をまとめる.
「観光ガイドなんて持つなよ.あらゆるフィルターを介さないこと.お前が見たもの,そこで感じたことだけがお前の真実なんだ.客観的・普遍的に楽しいことなんてない.感動は本質的に主観的・非論理的なもんだろ.」
「ウォークマン?いらねーだろ.朝,鳥の鳴き声で目覚め,走ればおれのエンジン音はお前の聴覚に最高の興奮をあたえる.川辺で休めばせせらぎの音.夜は虫の声に囲まれて眠る.つまりお前が旅立つ世界は,聞くべき生の音楽が絶えることは無い.」
「携帯は持ってないとまあ困るだろうな.けどかかってくる電話に出たりなんかしてたら旅する意味無いだろ.あらゆる日常のめんどくさい束縛からの解放・逃避が旅ってもんだ.非常時以外電源はオフにしとけ.」

目的地は決めていない.
「とにかく南へ向かうんだ.過ぎ去ってしまった夏を追いかけるんだ.太陽に向かって走れ!」

走り出せば風を感じる.対向車線の通勤ラッシュを尻目に,まだ見ぬ世界へ旅立つ.
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"Less is More"→"Less is Bore"(256)

形式だけモダニズム建築を模倣した白い四角い箱建築の氾濫に異義を唱えたヴェンチューリ(米)は著書「建築の多様性と対立性」において,建築の各要素を単純化・抽象化する近代建築の禁欲的姿勢は退屈だと主張した.
このヴェンチューリによる建築理論は,建築分野のみならず日常のレベルにおいても適用の可能性を持っていると僕は思った.
例えば服.僕は中学生のときから,「自分のスタイルの確立」をテーマに服を選んできたと思う.しかし実は多様性・対立性を排除することで思考停止という楽な状態を求めていた,という解釈もできる.

メジャー

2004/09/06(月) 「オオトモくん、チャックがあいてるよ」といわれる快感
人間がいちばん無防備な表情をみせる瞬間は、眠っているときだと思うが、意外と忘れられているのが「横顔」という存在だ。

おれだけかもしれんが、写真なんかで自分の横顔が写っているのをみて、びびびっくりしたことがある。イメージしていたカタチと違ったからだ。「こいつはおれか!?この干し芋(茨城県名産)のような形状をした物体がおれの頭部なのか?これではナスビと罵声をあびせられても反論できないではないか!」と。動揺した。録音された自分の声を聞いたときのキモチワルさだ。

そう、ふつうに生活していたら、自分の真横からみた顔など拝めるはずもない。日常的に自分の顔をモニターするといったら、鏡ぐらいしかない。真横からの顔を見るためには2枚の鏡が必要になるが、普段そんなことはしない。鏡でみた経験があるので、正面や斜め前からならば、左右反転はしているものの、自分が今どのような表情をしているのか察しがつく。だから、ある程度自分の表情のコントロールは可能だ。しかし、横顔の場合は違う。自分の表情を制御できているつもりでも、他人にはおそらく自分のイメージどおりには見えていない可能性が高い。

「無防備」だと冒頭でいったのは、以上のような事情からだ。自分で自分のことをわかっているつもりなのに、勘違いしている(「勘違い」という言い方は適切ではないが、他にちょうどいいコトバがないので)。単純に最近のわかりやすい例でいい切ってしまえば、生えていないと思っていた尻の毛を他人に発見された場合のようなもんだ。

ステキな横顔にドキッとした、とかいう詩や小説のいち場面もあるような気がする。実際、集中しているスポーツ選手の横顔には心うたれるものがある。ある人間が横顔をこちらに向けているとき、そいつはこっちに集中していないし(別のものに集中している)、さらに先にいったように、そいつが思っている以上に無防備な表情をこちらに晒している。そのとき、そいつの素の表情をみることができるかもしれない。

だから、人間は(少なくともおれは)、全裸で歩いているようなもんだ。しかも、自己認識と他者による認識との間には絶望的な乖離があるから、どんなに服を脱いでも脱ぎきれない。

ということで、みんな脱げ!脱げ!脱げええええええ!

びゅっ!くj


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