|
2004/12/21(火)
イントロダクション +
|
|
|
さっきまで書いてたものをボツにしました.
イントロダクションなし,僕の私見・偏見で終始しているものをアップしても駄目だと思ったからです. なにか抽象的な話題を語る時には,具体的・現実的な題材に取材したイントロダクションが必要です. あと笑い・ユーモアなんぞを織り交ぜていけたら理想に近いのではないでしょうか.
いつも僕の文章は,読み手のために書かれていないように思えてきました.言いたいことを言う,それで言いっ放し.しかも自分のユーモアには絶望しているので笑わせる意識がない.
だれかが「手紙には自分の言いたいことなんか書く必要はない.読むのは差出人ひとりだけなのだから,相手が書いてほしいことを書けばいい」と言っていたような気がします. しかし,相手のご機嫌取りは必要なことだとは思いますが,なんかどうも腑に落ちないところがあります.
老若男女みんなに愛されるポップスを書きつづけるポップ職人は確かにすごいとは思いますが,僕はそういう歌をあまり聴きたいとは思いません.
自分のスタイルを確立することは立派なことだと思います.しかし一度成功したスタイルの2番煎じで成功してもあまり凄くないと思います. 自分が固めたスタイルを捨てて,新たな地平に向かっていく姿勢.そっちのほうが凄い生き方だと思います. そのためには従前の自分に良くしてくれた人たちの期待を裏切ることになるかもしれません.「あいつは変わった」と言われてもそれに屈せず,新たなスタイルを見つけるタフさが必要です.
僕が知りうるなかでそんな生き方の人は,松本人志とトム・ヨーク(レディオヘッドのヴォーカル・ギター)です. 受け手に媚びない,自分がいいと思ったことを勇気をもって発信する.ときにそれは「難解」だといわれるが,時代が下れば評価が彼らの先駆性にやっと気づく.
ぼくは彼らのような天才ではないのに,かれら先駆者の「自己中」と「難解さ」だけに憧れ,受け手のことをないがしろにしていたかもしれません. 凡人が天才の猿真似をしても全くだめですね.
メジャー
追記: パブロ・ピカソも自分の型を打ち壊しながら創作していった人かもしれないですね.美術史とか全く詳しくないので僕の個人的イメージの域を出ませんが.
あと田京さんのコラム読んでちゃんとしたビンディングとブーツが欲しいかも,と思いました.ちなみにauツリーは僕的にはぜんぜん美しく見えませんが皆さんどう感じますか? 定禅寺通りの並木が等間隔で光っていて,透視図法の絵のように見えるという連続性・画一性がページェントの魅力であると思います.auツリーなんか無い方がシンプルでずっといい景観のような気がするのですが.
|
|
|