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2004/11/02(火)
ベランダで解けるほど恋したい
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昨日の大友さんのコラムに乗っかって,性別のことについて書いてみます.
昨日の大友さんのコラムの論旨である対比は, ・男性的精神=理性と感情をそれぞれ独立したものとして取り扱う(しばしば感情を過小評価しすぎてしまい,混乱に陥ることがある) ・女性的精神=理性の前に先ず感情があって,理性を感情に従属したものとしてとらえる(明快であり,自由である) ということである僕は認識している. 性別についての一般的な視点から出発し,最後には異性としての女性がもつ自由奔放さへの憧れ,要するに日常のレベルでの恋愛願望の話に着地している,というやや変則的な構成にはじめ戸惑ったものの,そんなに誤解や曲解は生じていないだろう. ちなみに「理解とは所詮,誤解の総体でしかない」(たしか村上春樹の小説のなかの台詞)というのは僕の好きな言葉だ.そういえばいつか,よしのりさんは「映画作品に込められた意図はいつもひとつしかない」みたいなことを書いていたけれど.
横道にそれてしまったが,今回僕は,昨日大友さんが提出した仮説の根拠となりそうなことがらについて書くことにする.
人間を生物界のひとつの種として見れば,女性と男性は全く異なる,絶対に交換不可能な役割を与えられていることに議論の余地は無い.つまり 「産む性」と「仕込む性」 というふうに. (社会的にも所謂「男尊女卑」の問題があるが,その問題については別の紙面に譲る.)
・女性は妊娠・出産する(ことが可能である).それは時間的にも空間的にも不自由・不便を被ることであるが,「子供」という非常に即物的,具体的なものをこの世界に産み落とす(ことができる). ・対して男性が出来ることは,新たな生命のきっかけを与えることだけに過ぎない.自分の遺伝子が確実に継承されたかどうかの,フィジカルで確実な手応えには乏しい.
然るに,女性にとって重要なのは具体的,感覚的なるものである.だから抽象的,普遍的であることが要求される理性的思考は優先しない. それに対して,男性は女性に比べて比較的に潤沢な時間と空間を余計に使って,女性よりもいろいろ抽象的・普遍的なものを思考しがちな性だ.
生物としての構造の違いから, ・男性的精神=理性的.普遍的.抽象的なものを指向 ・女性的精神=感情的.感覚的.即物的なものを指向 というステレオタイプに行き着いたわけですが,極度に単純化した,原始社会における性差についての議論で,複雑化した現代の先進国における状況とは全く対応していません.最近では子供を産まない女性もいらっしゃるようですし.
異論,反論,感想,なんでもお待ちしております. メジャー
ひとりごと: 学祭最終日のキャンプファイアー見ましたか? そこでのトンペー学祭委員の選曲には毎年のことながらびっくりです.なんでオレンジレンジの「ロコローション」を2度も流すのか(去年は確か島谷ひとみ「ペルセウス」を2度流した).そしてなんでトリを飾る曲が大塚愛「さくらんぼ」なのか.そんなんで跳べる奴の気が知れない.全くあり得ない...
とか思いましたが,これっていまのJ−POP(この単語も凄く嫌いだ)の状況の縮図なんでしょうか.まあ僕は全くテレビも見ないし,詳しくはわかりませんが.詳しく知りたくもないし.
ついつい僕はものごとの暗部,嫌なところ について着目してしまう傾向が強いですね.明るい面を探すことを忘れてしまいそうになります.(邦楽で明るい話題といえば...アジカンはイイと思います.あと東京事変.) たぶん僕は無意識のうちに「影のある男がカッコイイんだ」って信じ込んでるところがあります.だから必要以上に自分をネガでダメな人間だと思いこんでます.ほんとしょうもない.
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