スノーボードコラムセピア
どこかでなくしたあいつのアイツ
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2004年11月
前の月 次の月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
最新の絵日記ダイジェスト
2013/12/24 陣痛室立ち会い2DAYS
2013/07/30 鳥海バイシクルクラシック2013
2006/10/11 あの連載が
2006/06/06 下北半島
2005/10/04 Archives

直接移動: 201312 7 月  200610 6 月  200510 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 月 

2004/11/30(火)
この間見た夢の話をします.
その話は先ずアパートを引っ越しするところから始まります.
僕が決めた部屋は,風呂場しかない部屋でした.部屋でくつろいでると,小汚いアラブ系外国人たちが我が家の風呂に入りに来ました.彼らは,我が家のことを地域の公衆浴場だと思い込んでいるようです.しかも奴らはまともじゃなくて,かなりむかつく赤ちゃんみたいな動きをするので,僕は一発殴りました.そしたらやり返されてさらにムカつきました.
それでしょうがないので部屋から出ようとしたんですが,奴らが通せんぼするので出れません.
「やっぱ引っ越しなんてしなきゃ良かったな...」と後悔するところで終幕です.


この話の要点を整理すると
1.引っ越しは極力するな.あと風呂場だけの部屋は絶対借りるな.
2.多勢に無勢.数が多いグループが勝つ.
3.生きていると,ときたま自分が悪くないのにひどい目に遭うときがある.
4.地震,雷,火事より怖いのはオヤジ.とくに言葉が通じないオヤジ.

最近風呂に入ってないから無意識の領域で風呂を過度に欲していたのでしょうか.引っ越しする予定は今のところありませんが,風呂場に窓があるといいなあ,ということは普段よく感じることです.

味方なし,自分ひとりの力で,不気味な侵入者たちと戦わなければいけない状況.しかもかなりの密室で.かなり悪夢です.

人生って不条理です.『悲観は気分.楽観は意思.』と言いましても,楽観主義者はただ鈍感なだけか,幸運なだけなのではないでしょうか.
なんだかんだいっても,精神的に一番怖い存在は,生身の人間です.人間の悪意は一番恐ろしいものだと思います.普段の生活をまともな人たちと過ごしていれば,なかなか悪意というものに触れる機会はないですが,日本にも悪意を」もった人はいっぱい生息しているのでしょう.そんなことを考えると憂鬱になります.

メジャー

追記:大田さん,櫻井さん,学さん,こないだは我がバイト先のカレー屋にご足労頂き大変嬉しく思っております.またどうぞ.

2004/11/29(月) 秋の香り、あるいはポエムなおれ
陽の光だけをすくったような
じゅうたん
イチョウの落ち葉
びっしりと

これはジツは落し穴なのではないか――

期待と不安
どこまでも落ちてしまう――

一歩足を踏みいれる……

失望と安堵

落し穴じゃなかった
何ごともなかったように通り過ぎる……



臭っ!!
隠されていたのは穴じゃなく
うんこだったか――

靴の裏をみる
ふとあたりに目を遣ると
実がつぶれていた

おれは
茶碗蒸しに想いをはせた


automobile

2004/11/25(木) 『ブルーベリーは目にいい』
らしい。これは本当らしい。
今四年生の友達の話。冷凍食品のブルーベリーを、卒論だかゼミ発表の準備しつつ無心でむさぼってたら、気付いたら1/2袋位消費していたそう。そしたら次の日、やけに視界が良好で、やけに白目が綺麗だったそうな。 誰か試したら結果教えてください。
最近疲れ目[*目*]がひどいです。まぶたの上から眼球を押すと変に痛いし涙ぼろぼろ。 コンタクトデビューも近いかな〜

2004/11/24(水) お名前は?
ボクの名前は英尚(ひでなお)。名前を聞かれると答える際にまだ恥ずかしさが残ることからしておそらく自分の名前を気に入ってない可能性がある。それはさておき、よく「子供ができたらなんて名前つける?」って質問ありますよね?いや、ないかもしんないけど。んで漢字とかでイロイロ凝った名前を考えてキャッキャッするプレーです。そこでオレが考えたやつで評判がよかったものを一部ご紹介。
→不安多(ファンタ)・鋭(シャープ)・自由座(フリーザ)・柔尻(ぷりん)
こんな感じで皆さんどんどん案を出してください!
瑠衣須(るいす)

2004/11/23(火) カレー屋と汗と沖縄と新書
今日は夜バイトの日だったんですが,急に休みになりました.夜の分を昼のうちに売り切ってしまったからだそうです.店長が,どうせ今日はこんなもんだろ,と仕込みの量をいつもより少なめにしてたせいで.テキトーな営業だー.
彼(店長)も「コンセプトはテキトー」的人物のように見えます.全く「おれ頑張ってるよ,大変なんだよ.」みたいなことを見せません.僕もそれは好印象です.けど,今日まかないのカレー食えないのは悲しいです.そんくらいここのカレーはウマイんで,向かいの新富寿司ともども,皆さんどうぞご贔屓にしてくんなまし.


「アンドロステノン」笑いました.安堵の香り.それ何部っぽいにおいなんでしょうか.将来シックハウス問題の指定化学物質になって「東北大学建築学科卓球ルームのアンドロステノン濃度は法定基準値のじつに100倍」とか問題になりませんかね.
ライオンって,結構アホな会社なんですね.あとそれを取り上げちゃう毎日新聞もファンキーです.僕は基本的に朝日派ですが,毎日もがんばってますね.


卓球といえば,12/3〜4は研究室対抗建築学科スポーツ大会ですね.桜井さん&学さん頑張ってください.あと,もしかしたら僕も出てるかも知れません.


研究室といえば,僕は建築環境学研究室に入りたいのですが,それは5割方沖縄で就職したいからです.温熱環境関係で就職を目論んでいます.あと,構造系の計算がイヤなのもあります.僕はほんとに計算するのが嫌いです.まあ環境行っても計算はしなきゃいけないっぽいですけど.
僕は人生一度は沖縄に本格的に住みたいと思います.
このサークルはボードサークルということで,寒い地方を好む人が多いことと思いますが,僕は結構寒いのダメです.太陽大好きです.僕は一回だけ3月の沖縄を観光したことがあります.那覇はゴミゴミしててあまり面白くなかったですが,ちょっと郊外の方がが良かったです.同じ日本とは思えませんでした.暖かくて,異文化で,太陽とか海とか,あらゆるものの色が違う,って感じの土地でした.
この南国指向は,最終的にはルイスの両親のようにハワイ!ってこと行き着くかもしれません.
しかし音楽的趣味は,UKとかスウェーデンとか,NYとかデトロイトとかの寒い地方の内省的な感じが好きなんですよね.だから実は寒い土地のほうが僕は肌にあっているのかも.まあ沖縄がダメってことになったら,おとなしく仙台か地元に戻ります.


僕のコラムが目指すは『めぞん一刻』です.一途な想いはなかなか実を結ばない.ほろ苦く切ない,けどほのぼのしてる,そんな純愛コラムを書いていきたいです.


明日は東京事変のアルバム入荷日.楽しみだー.「発売日に買う」っていう行為が僕は好きです.発売日までのワクワク感が良い.「ついに明日だー!楽しみすぎて寝れねー」みたいな子供になれる感じとでも言いましょうか.


書評 :『小説教室』/高橋源一郎(岩波新書)

自分の言語化されていない考えを,平易な文章に表現された、という感覚があります.読んでいて「おれもなんとなくそう思ってたけど,そういう言い方すればいいのか」って感服する感じです.
内容としては,「課外授業ようこそ先輩」で母校の小学生たちにレッスンした「小説」についての筆者の思い,方法論を文章化したようなものです.話しかけてくる文体なので,非常に読みやすい.疲れているときでも楽勝で読めるのでお勧めします.
村上春樹の『羊をめぐる冒険』についての分析の記述には感動しました.筆者が太宰治を好きだということにも共感を覚えます.
コラムをなかなか書けなくて困っている方はこれを読んでみるとよいかもしれません.

メジャー
太田さんへ:ブログで新しいコラム作れそうじゃないですか?いつか坂下が書きたいみたいなことを言ってたような・・・

2004/11/22(月) Can't Help …ing
何を書くんだか忘れたので、先週の続きは書かない。みんなの(傷ついても汗ほとばしるカリビアン・マグワイアをしたいという)要望があれば書いてもいいが、人間はそんなに強くない。

さて、そろそろ卒論も本格的に手をつけねばならない時期になってきた。いままでは、たけやのせいで書いていなかったのだが、もう人のせいにもしてられない。徐々におれのなかの焦りが高まってきている。

これはよい傾向だ。おれは大学に入ってとくにだが、追い込まれなければやらない怪奇!ちんちん男(=ダメ人間)になってしまった。高校受験、大学受験の頃は、それなりに危機感をもって早めに手をつけたのだが(それでもちんちんたらちんちんたらやっていたわけだが……)、今は本当にやらなくなった。キンタマ握られて「潰すぞ!」とか、「左右反転させるぞ!」とでも脅されない限り、事の恐ろしさが理解できない。いや、アタマではわかっても実感として湧いてこない、といったほうが適切か。

というわけで、一応upするが、つまらん。これから卒論提出までは、クオリティが一層下がるであろうことを了解いただきたい。国仲涼子いと抱きたい。書かないこともあるだろう。

それでも、乳首つままれて「とるぞ!」と脅されれば、「ひゃあ!」と跳び上がって書くかもしれない。

おれは、同人誌の『風の谷のナウシカ』を目指したい。


「オートノービル」は廃案になり、「強根(つよね)」が採用されました

2004/11/18(木) ハウル、一足早く観てきました
たまに私の職場に献血カー《いずみ号》がやってきます。本日、人生初献血…!を体験するはずが、直前に血液採取したらヘモグロビンが基準値から0.1足りなくて断念。血採られた左腕が未だに痛む… 血液と引き替えに得たのは、200_gのコーヒー飲料(picnic)と、献血手帳所持の生年月日が同一の方が埼玉県所沢市にいるという事実と、なぜか献血にはまりそうな予感。 献血ルームは献血カーに比べ、必要ヘモグロビンのレベルが低いのだそうな。近々アエルの献血ルームで会ったらよろしく、けんちゃん♪(注:メジャーの本名です[*猫*])

2004/11/17(水) 若いね兄ちゃん
掲示板とかに書いてるようにライブを目前に控え、今ボクの血は最高潮に達している!ライブの話が舞い込んでくるまではタラタラと個人練習していたけど、今では目の輝きやらとにかく今までとは違う!ヒマさえあればギターを手にしている。ペンを握らなければいけないのに間違えてギターを握ってるくらいだ。こんなん何年ぶりだろ?でも自分の演奏コンセプトは「テキトー」なので、プレイの精密度は部屋>スタジオ>ライブとゆー順番だ。それがヒドく気に入っている。本番でいかに「テキトー」にできるか、それは「自然体」ってことです。
佐々木

2004/11/16(火) ちょこっと書き足した
よしのりさんカムバック嬉しいです.はっきり言ってよしのりさんの人生頑張ってる度を1とすると,僕のそれは1/4くらいだと思いますが,忙しい中でも「書く」ことって「素敵!」(これ椎名林檎の口癖)だと思います.

えー,あと宣伝させてもらいます.僕最近カレー屋でバイト始めました.オープンしたての店なんですが,それにしても4時間で客が1組(それが日本語分かる外国人と下手な英語の若者ペア)なんてあり得ないと思います.
なんで暇な時に食べに来てください.「カレー食いたいけどタージマハルはめんどい」ってときに.場所は文化横町です.サンモールのESPという楽器屋の左手の横町を東へ入っていって南側(右手側)にある『GOKOCHI』ってとこです.
オーナーシェフがかなり良い人ですし,かけてる音楽も良い感じです.まさに一番街商店街のこだわりオアシス的空間です.最近毎日店からもらった余りのカレー食ってますが飽きない味ですよ.

==============================
森博嗣(建築材料分野の学者であり推理小説の作家)が「近代,人間は機械化・自動化・合理化を推進して,何もしないでも,何も考えなくても平気で生きられる社会を目指して頑張ってきた」というようなことをどこかで書いていました.普段の生活は文明の利器によって支えられています.良い製品は「fool ploof」です.つまり「馬鹿でも使える」ものが市場で評価されます.

原始的・アナログ的状況(キャンプとか)では,知恵が必要です.米炊きひとつとっても,水加減やら薪の火加減やら,自分で調節するのはなかなか大変です.熟練には結構時間が必要で,「うまい」炊き方ら「ひどい」炊き方までの幅が広い,つまり個人差があります.

現代の電化製品をはじめとするモノ達はが日進月歩で進化を続ける一方,人間の生活のスキルはどんどん退化していきます.現代人は便利なモノ(fool ploofな奴隷達)を使いこなすことで,五感を封印し,fool化していると言えるんじゃないでしょうか.

まあ今さら洗濯板で服洗うってのも馬鹿な話です.もはや「自然に還れ」ないところまで来てしまった感は否めません.

文明による重労働からの開放と
日々の生活にスキルが生きているローテクさ
が知恵が丁度よくバランスしてた時代って日本でいうと60年代くらいですかね?
洗濯機は二槽式で,タイプライターやレコードが輝いていた時代.そんな時代に生まれてみたかったような気もしないでみないです.


メジャー

2004/11/15(月) Save Yourself
いわゆる「自己チュー」でない人間はいない。

すこし前、「自己チュー」なる表現がマスメディアに出てきたときのこと。たしかAC(公共広告機構)だったと思うが、自己中心的な態度をとる(他者への配慮がない)人間を「自己虫」という表現でカテゴライズした。人に迷惑をかける行為である「自己虫の生態」のいくつかを挙げ、いつものように説教臭い広告を出していた。その「生態」のなかに、「でかいバックパックを背負って歩き回る自己虫」のようなことが、書かれていた。邪魔なんだという。

基本的にリュック派のおれは、「ハァ?」と思った。責任逃れの垂れ流しである公共広告ごときに、荷物の持ちかたを注意される筋合いはない。おれだって、荷物が多く、リュックが大きくなってしまうときは人に気を遣って振舞っている。人の邪魔
にならないように、注意している。

怒りがメラメーラと沸き上がってくる。いったいこいつら(説教臭い公共広告)は、何のために存在しているのだろう?と。そもそも「自己チュー」なやつらは、そんな広告をみたところで、何も感じないだろう。だからこそ「自己チュー」なのだ。じゃあ、やつらの説教の矛先はどこに向けられているのだろう?

それは、「誰かに迷惑をかけてしまわないか」と小心翼々としている、おれのような気の弱い善良な人間にたいして向けられている。でかいリュックを背負うことで誰かに迷惑をかけるかもしれないことを恐れている男、それだけで精一杯気を遣って疲れている男に、追い討ちをかけるのだ。やつらは無意識に、無邪気に人を傷つける。しかも肝心の効果はない。よって、存在意義がない。

まあ、注意したくらいでブチギレて殺されるようなこともあるわけだから、「ウルサイ公共広告を即刻廃止して、悪いことを見つけたら高いモラルを持った心で直接注意しましょう」なんて、簡単にいうことはできない。そこには、(少なくとも)日本人のコミュニケーションの構造の問題が潜んでいるし、生活環境の都市化という問題ももちろん含まれている。つまり、ウンコ大学生ごときが扱える問題ではないのだ。この話題に興味があったら、『〈対話〉のない社会』(中島義道、PHP新書)を読んでみてもよい。

てゆうか、今日は別に「公共広告」について書くつもりじゃなかった。じゃなきゃ、最初の一文は意味不明だもんね。続きは来週。たぶん。


オートノービル(新しい育毛剤の名称(案))

P.S. 誰かにMP3プレーヤーを安価で提供したいと考えています。サイズはiPodよりも小さく、内蔵メモリが128MB、外部メモリとしてS!M!(スマートメディア)に対応しています。ボイスレコーダ、FMチューナー付きです。アルカリ電池で約30時間(公称)駆動します。1年とちょっと使いました。マックには対応してません。ちなみに鈴木にいったら、「欲しいです」といったくせに買いませんでした(怨)。興味があれば、j.gjentagelsen-erindring@docomo.ne.jpまで。

2004/11/11(木) 贈り物
っていいものだよね。もらうのも勿論嬉し。あげて相手に喜んでもらえるのもまた嬉し。
離れて暮らす親友が来週誕生日を迎えます。箱に、購入した紅茶の葉っぱ・ジャム・クッキーを入れ、バースデーカードを入れ。そして一番上には先月会って一緒に遊んだ時の、2人満面笑顔の写真。飾りにちっちゃい造花も添えて梱包。誕生日当日指定で郵送。
もうね、この一連の作業、1人でワクワクしながら進めました。ほーんと《プレゼント》って素晴らしい。
でも何よりも一番素敵なのは、そんなことをお互いにし合える・したいと思う存在がいること。と、しみじみ思う私でした☆

2004/11/10(水) チャレンジャー精神
「思い立ったらすぐ行動」今や自分のポリシーとゆーか性壁とゆーか、とにかくこんな側面を大事にしてます。
そんなわけで思いつきでバイクの色を変えてみることにしました。知識は皆無だったのでとりあえずショップに行きあれこれ買って自分なりにやってみました。やっぱうまくいくわけないですね。でもミスをその都度改善していき丸2日かけてもうすぐ完成!結構見れたものになりました。これが実社会でそのまま使えるやり口かはわかりませんが、とりあえず手をつけてしまえばなんとかなるもんです。レッツ・トライってやつですな!
ルイス

2004/11/09(火) 今日3:30に起きて書いた
>Mon(11.08)
[もちろん、これらの要素をポジティヴに言い換えることもできる。
問題はまさにここにある。
いまのこの国では、魔女はふつうに生きることができる。いいことだが、自称魔女のおれにとっては由々しき問題だ。
価値相対主義なんか糞っ食らえ! ]

と大友さんは書いておられました.
[どうでもいいじゃん]的,投げやりな時代の気分を嘆く文であったと思います.

確かに,なんかそういう[おまえが変態でも,別に俺に関係ねーよ]って態度は面白くないと思います.けど,[価値の相対化]はうんこよりマズいことはないと僕は考えます.ってかうんこに失礼ですし.

僕は日本人が絶対的な価値観を持ってのは,WW2よりずっと前からだったと思います.その背景にある世界観は,おおざっぱに言って,非キリスト教的世界観だと思います.

古来より日本人は基本的に無宗教でした.もしくは仏教でしょうか.まあどっちにしても,キリスト教の[聖書]のようなバイブルは有りません.
日本には穏やかな気候のもと,自然や四季の一瞬の美を愛でる価値観が根付いています.
その価値観の根拠となるのは仏教用語を借りれば,[諸行無常,諸法非我]ということでしょうか.[なんだって永遠につづくものなんかねーじゃん.なんだって自分の手の外にあって,もうどうしようもねーじゃん.]という考え方.だからこそ散ってしまう直前の桜を愛でるし,四季おりおりの愛しい一瞬を俳句にして保存するのではないでしょうか.
僕はこういう思想大好きです.ただ,ブッダによれば恋愛は愚劣なものとされてますけど.まあ実際愚劣じゃないとはいえませんけども.


>Wed(11.03)
アン・ルイスってだれ?なんか初期の[どうでしょう]でも登場してたような気が.こういうとき家にネット無いのほんと困るわー.
僕そろそろネット繋ごうと思うんですが,プロバイダを選んだりするのが果てしなくめんどい.


>Thu(11.04)
公務員って良さそうです.僕は民間の企業につとめている家族親類が極端にいないんですよね.なので公務員ってなんか身近な感じです.(父親の家系は教員.母親の家系は市役所)


>Fri(11.05)
[金八]ってなんか響き的に[月9]っぽいですね.


先週はセピアいい感じに(月)〜(金)まわりましたね.今週こそ(月)〜(日)目指して行きましょう.

メジャー
akimo-a.k.a.-measure19840315@docomo.ne.jp


最近僕個人的に日記書いてます.
はじめはここのコラムのボツ原稿の墓場という位置づけだったんですが,これからは音楽/映画/小説など趣味的のもののレビューも書いていこうという気分です.
[読まれるために書く],というより,[思索の言語化訓練所]って趣ですが,URL知りたい人は僕にメール下さい.

2004/11/08(月) 「異端」の再生
今回のは、かなりひどい。



最近、平野啓一郎の『日蝕』(新潮文庫)を読み直してみた。初めて読んだのは高3の頃で、たしか平野が京都大学在学中に芥川賞を受賞したときのことだ。はっきりいって当時は何をいっているのかさっぱり理解できず、なんとなく重苦しい雰囲気しか伝わらなかった。あまりにも理解不能だったので、すげえ大学生がいるもんだ、おれがコイツの歳になったらこんなこと書けるだろうか?とか、ナマイキにも考えたものである(最近なんか高校生が芥川賞とったりしているが、保守的なおれは読む気がしない)。


さて、今はまさに当時の平野と同じ歳だ。クソ高校生(「クソ」は「高校生」の枕詞)の時よりはかなり理解でき、小説としておもしろく読めたのだが、一層深い所でやっぱり理解(追体験?)できたとはいえない。これから定期的に読み直したい作品だ。



以上はイントロダクション。なぜ、『日蝕』を持ち出したのかというと、「魔女狩り」がモチーフになっていたからだ。おれは西洋史はまったく詳しくないが、中世ヨーロッパには魔女狩りの習慣があったことをどこかで何度か耳にしている(常識か?)。何かよくないこと(疫病の流行とか、農作物の不作とか)が起きると、「魔女」を見つけ出し(創り出し)、そいつのせいにして吊るし上げることで事態の改善を図る――。社会不適応者とか、変なヤツを取っ捕まえて殺すことで、不安の解消をする(小説のなかでは両性具有者と錬金術師が吊るし上げの対象になる)。いわゆる、スケープゴートというやつだね。植草教授やマーシーのような不完全変態(脱皮しても形態は変化しないという意味で)が跋扈する現代では、まったく考えられんことだが、事実だそうだ。

前々からいっていることだが、おれも変態だ。捕まったヤツらと違うのは、ただ興奮を感ずる領域が違うだけだ。おれが快感を覚ゆる領域がただ単に法に触れないというだけのことだ。おれなんか中世ヨーロッパだったら絶対に魔女として殺されていた。社会不適応、意味不明、自意識過剰、性欲過多、挙動不審、注意力散漫、内向的、抑鬱、彼女いない、ブリーフ、乳首の毛、情緒不安定、虚栄……その要素を挙げればキリがない。もちろん、これらの要素をポジティヴに言い換えることもできる。たとえば、自分の世界を持っている、個性的、崇高、繁殖力旺盛、好奇心旺盛、繊細、硬派、実はトランクスより通気性がよいブリーフ、皮の薄い乳輪を外部の刺激から守る乳首の毛……てな感じに。問題はまさにここにある。

価値観が多様化した現代の日本では、ネガティヴは見方によってはポジティヴにもなり、その逆も然りだ。要するに、絶対の価値観が存在しない。ファシズムを経験し、学習した(させられた?)日本の価値観は、「価値観の多様性を認めること」「寛容であること」だから、しょうがない。


いまのこの国では、魔女はふつうに生きることができる。いいことだが、自称魔女のおれにとっては由々しき問題だ。なにしろ、明らかにおれが考えていることはおかしいのに、「そういう考え方もあるよね」といって流されてしまう。キレイに畳まれて、タンスに入れられ、二度とあけられることはない。おれは、肩すかしを食らう。おかしないいかただが、魔女は迫害されることによって生の悦びの頂点を迎えるはずだ(もちろん、表面的には苦痛であったとしても)。「自分のことを認めてもらいたい、理解してもらいたい」という欲求は、いちど拒否されることで充実を迎える。拒否され、「わかってもらいたい」という気持ちはより高ぶり、それでもダメなら、「理解できないお前らが劣っているのだ」と、高みに登ることもできる。人は、そんな寂しく、ひねくれた状況にも快感を得ることができる。生きる力をもらうことができる。

価値相対主義なんか糞っ食らえ!
なんて、うんこよりマズい価値相対主義に喰われた男がいってみる。


automobile

先週のメジャーコラムへの反応
へぇー、なるほどねって感じで読みました。おれの超主観的観測も、あながち間違っていないかもしれないなー、と数分感にわたって小躍り。現代社会でも女性の(おれがコラムで書いた意味での)自由奔放さは失われてほしくないわ。それこそフェミニストに怒られそうな発言だけど。
あと、細かいことだけど、ジェンダー(社会的に形成される性差)というよりは、どちらかといえばむしろセックス(生物学的な性差)についての話だな。

2004/11/05(金) 子育てってきっと難しい
私のメインバイトは家庭教師でもう2年半くらいやっているのですが、今まで数々の家庭を拝見させていただいてきて思うのは、なんというか子供が本気で親を尊敬してる家庭はあまりないのではないか(私を含め)ということ。進化論的にはしょうがないのかもしれませんが。。。(生物的なことはよくわかりませんが子世代は親世代より少なからず進化しているのではないかという推論のもと。)
特に母親。子供が母親と話している場面に遭遇すると、たいがい子供が母親を少し馬鹿にした態度で話しているように思う。それはその子供が思春期だからとかそういった理由ではない気がする。実際私も、母親sのあまりの頭の回転の悪さにしばしば馬鹿にした態度をとってしまう。そう、おそらく母親sは家庭のぬるさに慣れてしまって頭を使わなくなってしまったのだと思う。少なからず私の出会った母親sは。いくら若い頃努力した女性でもこれでは子供になめられて当然だと思う。一番子供の近くにいる母親がそんな状態では子供が大人をなめてしまうのはしょうがないように思う。おそらく父親についても同じでたるんだ生活をしていたり、かっこ悪い生き方をしている父親の姿を見て育つ子は、人生そんなもんでいいのかと世の中をなめてかかってしまうに違いない。ゆるんだ親のいくら厳しい言葉は子供に届かない。
子は親の背中見て育つ。子は親の鏡。(byケツメイシ)
私は自分の子供に尊敬されるような立派な人になろう。
な-んて思いながら昨日(11/5)の金八先生を見ていました。
by zoomior

2004/11/04(木) 公務員ノススメ。
定時(17:15)で職場を脱出し、駅から[*新幹線*]に乗り込み14分で到着、18時ジャストから料理教室受講[*台風*] 今日はフィナンシェという焼き菓子を作りました。 で、その後大学時代の友達とカフェで[*コーヒー*]をして(できたてお菓子あげて喜ばれ。)帰ってきました。半身浴。高校時代の友達と[*携帯*]。 明日も六時半起きでGOです。そして嬉しい2連休。

社会人もなかなか悪くないですよ(´ー`)[*ハートハート*]

2004/11/03(水) 偏見の先にあるのは
僕の心を強く奮わせた言葉がある。
「赤ん坊は自分の排泄物の匂いを愛す」
そこには己が命を発現させた母体への強い愛着と同様、やはり自己への愛着が存在することの現れと言えよう。しかし、ある一定の時期より親などによってネガティブ・イメージを刷り込まれることで、それに対する嫌悪感を覚える(一部の人間を除き)。
なんてアン・ナチュラル!なんてアン・ルイス!カール・ルイス!ルイ14世!
ジョン・レノンが生前こう言っていた
「偏見に満ちた世界なんて糞っくらえ…」
すいません、言ってません。
佐々木瑠衣須

2004/11/02(火) ベランダで解けるほど恋したい
昨日の大友さんのコラムに乗っかって,性別のことについて書いてみます.

昨日の大友さんのコラムの論旨である対比は,
・男性的精神=理性と感情をそれぞれ独立したものとして取り扱う(しばしば感情を過小評価しすぎてしまい,混乱に陥ることがある)
・女性的精神=理性の前に先ず感情があって,理性を感情に従属したものとしてとらえる(明快であり,自由である)
ということである僕は認識している.
性別についての一般的な視点から出発し,最後には異性としての女性がもつ自由奔放さへの憧れ,要するに日常のレベルでの恋愛願望の話に着地している,というやや変則的な構成にはじめ戸惑ったものの,そんなに誤解や曲解は生じていないだろう.
ちなみに「理解とは所詮,誤解の総体でしかない」(たしか村上春樹の小説のなかの台詞)というのは僕の好きな言葉だ.そういえばいつか,よしのりさんは「映画作品に込められた意図はいつもひとつしかない」みたいなことを書いていたけれど.

横道にそれてしまったが,今回僕は,昨日大友さんが提出した仮説の根拠となりそうなことがらについて書くことにする.

人間を生物界のひとつの種として見れば,女性と男性は全く異なる,絶対に交換不可能な役割を与えられていることに議論の余地は無い.つまり
「産む性」と「仕込む性」
というふうに.
(社会的にも所謂「男尊女卑」の問題があるが,その問題については別の紙面に譲る.)

・女性は妊娠・出産する(ことが可能である).それは時間的にも空間的にも不自由・不便を被ることであるが,「子供」という非常に即物的,具体的なものをこの世界に産み落とす(ことができる).
・対して男性が出来ることは,新たな生命のきっかけを与えることだけに過ぎない.自分の遺伝子が確実に継承されたかどうかの,フィジカルで確実な手応えには乏しい.

然るに,女性にとって重要なのは具体的,感覚的なるものである.だから抽象的,普遍的であることが要求される理性的思考は優先しない.
それに対して,男性は女性に比べて比較的に潤沢な時間と空間を余計に使って,女性よりもいろいろ抽象的・普遍的なものを思考しがちな性だ.

生物としての構造の違いから,
・男性的精神=理性的.普遍的.抽象的なものを指向
・女性的精神=感情的.感覚的.即物的なものを指向
というステレオタイプに行き着いたわけですが,極度に単純化した,原始社会における性差についての議論で,複雑化した現代の先進国における状況とは全く対応していません.最近では子供を産まない女性もいらっしゃるようですし.

異論,反論,感想,なんでもお待ちしております.
メジャー

ひとりごと:
学祭最終日のキャンプファイアー見ましたか?
そこでのトンペー学祭委員の選曲には毎年のことながらびっくりです.なんでオレンジレンジの「ロコローション」を2度も流すのか(去年は確か島谷ひとみ「ペルセウス」を2度流した).そしてなんでトリを飾る曲が大塚愛「さくらんぼ」なのか.そんなんで跳べる奴の気が知れない.全くあり得ない...

とか思いましたが,これっていまのJ−POP(この単語も凄く嫌いだ)の状況の縮図なんでしょうか.まあ僕は全くテレビも見ないし,詳しくはわかりませんが.詳しく知りたくもないし.



ついつい僕はものごとの暗部,嫌なところ について着目してしまう傾向が強いですね.明るい面を探すことを忘れてしまいそうになります.(邦楽で明るい話題といえば...アジカンはイイと思います.あと東京事変.)
たぶん僕は無意識のうちに「影のある男がカッコイイんだ」って信じ込んでるところがあります.だから必要以上に自分をネガでダメな人間だと思いこんでます.ほんとしょうもない.

2004/11/01(月) Man&Woman〜哀しみのため息、独り身の切なさ〜
今回はおれの数少ない経験にもとづく単なるひとつの見解を書く。相当の偏見が含まれております。

男と女、それぞれの性質にはやはり違いがあるなぁ、といいたい。「性質」といっても相当に漠然としているので、話を限定しよう。テーマは、男女それぞれの「理性と感情」について。繰り返しになるが、このコラムはおれの女性との数少ない交流から書かれているものである。あと、男と女それぞれの性質が違うという前提に立っているので、ある程度の単純化は避けられない。悪しからず。

@「男性の理性と感情は拮抗している。両者は互いに対等な(強弱の差こそあれ)対立項である」
A「女性の理性と感情は拮抗していない。理性は感情を補う役割を担う」
こんな仮説を立ててみようじゃなーい。

@ についての説明
これはよくいわれることだから、わかりやすいだろう。「感情を理性で抑える」といういい方があるように、これは男性の性質に限定されるまでもなく、「感情と理性」に対する一般的な見解である。ここから、これまでの「感情と理性」に関する議論は男性的に語られてきたと仮定してみるのもおもしろい。

A についての説明
まさにこの点がおれの経験則である。観察する限り、そして人から聞いた限り、女性は理性が感情に先立つことがあまりないようだ。女性は、はじめに物事に対する(人間を含め)好き嫌い(「好き嫌い」は感情そのものである)が決定すると、滅多なことでは、それは揺るがない。その好き嫌いにもとづいて目的が形成され、その目的の達成のために理性は用いられる。感情という、不合理が高度に結晶化された目的を、極めて合理的に達成しようとするのである。ここでは、理性はもはや「手段」になっている。感情という主が、よく切れる刃物を振りかざす。アメリカ(ブッシュ)が自由という正義(その実体は世界一の武力)の空爆を行うのに似ている。
それに対し、男性の刀はヘナチョコである。感情に取り憑かれて暴走するか、オンリーワンの名刀ではなくカタチだけの「合理的な」量産品でその場しのぎするだけである。そこでは、感情と理性とは融合しない。
何がしたいのか明確ではない、すなわち感情による強固な裏付けがない理性は、去勢されたサルのオナニーである。

ひと昔前のフェミニズム論者がいうほど女性は縛られていないと思う(もちろん社会の仕組みにはまだまだ問題があり、なんとかならんものかなぁとは思う。また、亀甲縛りをされているひともいるだろう)。これまで出会ってきた女性たちをみていると、少なくとも人間の内面のレベルでは、ほんとうに自由だなぁ、うらやましいなぁと感じる。そんなふうに生きられたらなぁ、と思う。だから、自分にはないものをもっているという点において、妬みを感じるし、同時におれにとっての「最後の楽園」的な神秘を女性のなかにみつける。

さて、「自由」は少しだけその魅力を分けてくれるだろうか?

説明不足も多いし、いいっぱなしも悲しいので、反論、質問など求む。
j.gjentagelsen-erindring@docomo.ne.jp まで。以前・以降のコラムでもなんかあったら、ぶつけてきてください。いつでも受け付けます。
あと、おれは、あやや、石原、仲間、柴咲の順。女優としては仲間。CMのポッキーをもっと太くしてほしい。
 automobile

付録:映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』レビュー
カストロと共にキューバ革命を成し遂げた、エルネスト・チェ・ゲバラの旅行記をもとにつくられた映画。ゲバラのことを知っていて彼の生き方に思い入れがある人、旅好きにはおもしろいと思う。前半の珍道中の描写は、飽きる人は飽きてしまうかも。全体として大きなクライマックスもなく、淡々としている(旅行記なので)のは、好き嫌いが分かれるところ。おれは事情があって(うふっ)落ち着いてみられなかったので、もういちどひとりでじっくりみてみたい。11月6日から上映される同じ監督(ウォルター・サレス)の『ビハインド・ザ・サン』にも注目。『モーターサイクル……』はまだ駅東のチネ・ラヴィータで上映しているはず。興味のある人は是非。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.