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2004/10/11(月)
シレンシオ・ド・エクストリモ・オリエント@
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先週はイントロダクションで、今週から本編ということにしときます。
前回までのうらすじ; ロングロングアゴー。 ジャポォンの一般的な家庭に生まれた「おれ」は、おやじの「レスラーになってほしいアウラ」をかわすために旅に出た。その旅の途中で卒業論文を書くことになり、デルポイ神殿(ダンジョンになっている)にいるタントウキョウカンにハンコをもらいにいった。そこで「おめほどのバカァアンはいね!(訳;君ほどのバカァアンはいない)」という神託を受けた。タントウキョウカンの激しい猛攻のなかで、武器を持たない「おれ」は「沈黙」を武器として戦う術を覚え、ほっとひと安心していたのだが...
秋という季節は、闇をこれまでより早く連れてくる。外は、もう夜だ。 とりあえずハンコをもらうことはできたものの、次に何をやったらいいか見当もつかず、おれは途方に暮れていた。 いつだってそうだ。おれの行動は、いつも何かに対する反作用にすぎなかったし、今でもそうだ。すべてが受け身。そもそも、おやじとケンカして家を飛び出したのもそうだ。ほかに確固たる目標があったわけではないのに。ことの発端は、おれがレスラーになりたくないあまり、おやじのレオタードの股間部分をくり抜いたというしょうもないものだったが(次の日、出チン状態で準備体操をするおやじの姿には、哀愁が漂っていた)。他人が戦士や魔法使いを目指して日々努力する姿を見ながら、おれはカタチだけの夢をつくりあげ、空しいマスターベーションを続けた。孤独な踊りを続けた。そのときは、もちろんそれが単なる刹那的なオナニーであるとは気づいてもいなかったのだが。
はたしておれは、「意思」してきただろうか。
カッコだけはいい「意志」は掲げた。でもその「意志」は、おれの「意思」と結びついていただろうか。最近のおれは、よくそんなことを考える。こんな考えが頭をもたげると、やりきれなくて、おれはもう床につくしかなくなる。眠りに入るまでが勝負だが、入ってしまえば、次の朝まではなんとかなる。できれば夢も見たくない。絶対の無。振動する空気がない、ひとつの点。自分が存在しないという感覚すら存在しない、極無彩色の世界。
けれども、死は選ばなかった。選ぶことができなかった。死は最高の魅力であったが、ただ、偶然のみがそれを自分にもたらすことを期待した。ここでもやはり意思はなされなかった。あるいは、断片的な要素が妄想の城を構築するチラリズムのように、そして、まさにその点においてエロティシズムがひとつの頂上を迎えるように、死の全体が見えてしまえば、その悦びもまた失せるのではないかとも考えた。けっきょく、「死を死ぬ」ことができないことに絶望していた。 そしていつも、朝は残酷に、やってくる。
今日の残酷は、雨と風とともにあった。旅費もそろそろ底をついてきた。稼ぎに出ねばならない。 おれは、無と有とを隔てる布団をのけて、再び帰ってくる。生活の糧を得るために外に出る。今日も生を否定しながら、生を肯定する。 (Inspired by Soren Kierkegaard,1849“Sygdommen til Doden”)
「下の名前はジュンです。」
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