スノーボードコラム
涙なしには語れない
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2005/03/27(日) エリ
この間、とある企業のOB訪問に行ったんですよ。まあOB訪問やるくらいなんで大企業ですわな。今まで行ったのはOB1に対し学生1ってタイプだけだったけど、今回はOB2に対して学生5だったんですよ。

1on1の時はなんか世間話風にいろいろとざっくばらんに聞いたり、って感じだったのになんか今回は前半に少しだけ質問の時間が与えられて、後半はオレらの自己紹介、自己PR、OBの質問に答えるってスタイルだった。これじゃあまるで集団面接じゃないか。相手めっちゃメモ取ってるし。違いは場所が喫茶店で飲み物があるかないかくらいのものだ。

そんな感じで始まったんだけど質問タイムの時にやたらとウザイ質問する奴がいんのよ。社内ベンチャーがどうのとか。そんなん入社できるかもわかんないのに訊くことじゃねーべ。専門用語とか使っちゃって、私は企業研究してますってか、いやらしい。

そのあと自己PRとか質疑応答を1人ずつやっていったんだけど、なんかみんな結構ちゃんと答えられてない。オレは3番目だったんだけど、なんだか、意外なことに自分が一番うまいこと答えてる。まあ内容はみんな似たり寄ったりだけど、なんつーか、答えにつまったりしないとか順を追ってしっかり喋るとか突っ込みに対してうまいこと切り返すとか話術レベルでは勝ったかなーと。

んで、最後にウザイ質問してた奴の番になった。お手並み拝見しようじゃないかフフ。しかし彼もこういう場で慣れてんのかなかなか流暢だ。ほほう、なかなかやるじゃないかとか調子こきながら黙って聞いてたらなんだかすごいことを言い出した。外国の研究室と共同で100人体制のプロジェクトやってるだの、週に2日は徹夜だの、テーマはニュートリノだの、ノーベル賞の小柴さんがナントカした研究所に出入りしてるだの、国際学会に3回出ただの、自分の研究成果で10億円のマシーンが導入されただの自信満々に喋る。

え、え、エリートじゃあー!こいつバリバリのエリィートさんじゃないか。すげー、オレの人生でここまであからさまなエリートに出会ったことはないぜ。なんでこんな奴が混じってんだ。例えたらアレだ、みんな日の丸弁当だと思って蓋を開けてみたら1個だけうな重(特上)だった、みたいな。OB共の食いつきも明らかにオレらのときと違う。

それに比べたらオレらがさっきまで繰り広げてた争い、「野球部出身で体力には自信がある」「剣道部でいろいろ学んだ」「留年するくらいボートに打ち込んだ」なんてタクワンの切れっ端が一枚多いとか梅干しが少しでかいとかそんなレベルだ。「話術レベルでは勝ったかなー」て。ダセー、この上なくダセー。しかもオレ「スノーボードサークルを創りました」って言っちゃった。嘘ついてまでアピールしたのに。ダセー、この上なくダセー。

しかしアレだね、彼のようなエリート君は面接官が極端にアンチエリートな考えでもない限り確実に受かるよね。忙しいはずなのにやたら企業研究してやがるし。非の打ち所がない。まさに企業選び放題。羨ましい。目の色変えて質問をするOBを横目に、オレはただ黙ってテーブルの上の水を飲み続けるしかなかったのです。

帰り道、まあ経歴や実績だけで彼が本当に尊敬すべき頭のいい人かはわからんよね、でも仕事が出来るだろうことは明らかだよね、などと頭に浮かぶいろいろ考えを振り払うように「うるせい、オレはうな重よりカツ丼の方が好きだあ!」と心の中で叫びつつかつべえに突入するのでした。


……とまあここまではその日のうちに興奮状態でわーっと書いたんだけどその後よしのり(3/19)や奈津子さん(3/17)のコラムを読んで、むむっと思いました。でも忙しいんで考察はいずれまた。じゃあ東京行ってきます。
オタ

2005/03/26(土) 新弟子、前へ!!
先週の続き。続きになるかわかりませんが。

僕は20歳のときにテロにあってきました。今考えれば、本当にただとりあえず行っただけで、何も身に付けることはできなかったなーと思います。
ニューヨークと言えば…みたいにお約束になって会う人会う人に話す話しがあるのだが、それはいづれまた。

そのホームステイ先には日本人が俺以外に二人いました。一人は俺と同じ日に来た、一個上で慶応のマサル。クラブとか好きな奴で、ラッッパーでもあり。おれが、すげー!そうゆうのすぐ思いついちゃうの?ッて聞いたら
「お前の付けてる腕時計 とりあえず今は埋めとけー」
と言われ、何それ、だじゃれじゃんといったら不機嫌になったのでその後突っ込みはしませんでした。
まぁ、そいつとはそんなに仲良くもなれなかった、かなー。

でもう一人はショウゴってやつ。彼は俺らの二ヶ月前に既にNYに行ってて、もう軽くは話せる感じでした。
性格は、いろんな意味で男っぽい。
興味ない話題はスルーで、けっこう勝手。男前でガタイもがっちりしてて、強気。外出したり、何人かで動くのをすごく嫌ってた。
まぁでも何となく優しかった気がする。どちらかと言えばマサルとショウゴのほうが仲良かったかな。今思えば関東人独特のドライなトークなんだろうけど、おれはまだそうゆうのにうまく対応できなくて。そのせいもあったと思います。

んで、ショウゴについて。(これ書いてねーよな?もしもう書いてたら教えてください。)
マサルが先に日本に帰ったので、おれの滞在ラスト一週間はショウゴと二人でした。で、ある日二人で話してたら自分の今までに付いて語りだした。

彼は中学からでかい族に入り特攻隊長?だとか
高校ではサッカー都選抜
バンド・音楽のアレンジ?(実際稼いだりしてたらしい。)とかもやりつつ
で、法政大の付属校だったのでそのまま上あがったんだが、大学があまりにもつまらなくてやめて。
アメリカの大学はいるためにNY来たとのことでした。

当時の俺にはかなり衝撃的な経歴でした。

んで、俺は今と変わらず「すげーなぁ…。俺なんか…。。。」みたいなりアクションをしてたんだけど。彼がした話が印象的でした。

その話は 明日死んで満足できるか?と言うものでした。
ちょうど、テロとかあったから。
おれは即座に絶対嫌だと答えたけど、彼は「俺は満足して死ねる」と言ってました。
おれが『今目指してる目標があるのに何で死んでいいの?』と聞くと、「夢はもちろん果たしたいけど、今までの人生に悔いはない」的なことをいってました。
まぁいまいち論理はかみ合ってないし、かっこつけてる部分もあったとは思います。でも、当時の俺は(そして今も)その言葉には全く共感できませんでした。同時に、そう言い切ってしまえる彼に対して、羨望というか尊敬と言うか、とにかくすごいなーと思いました。

その後僕は戻ってきて、ショウゴとホームステイ先のおばちゃんに手紙を書いたり電話をしたりしました。彼らのことをすごく好きだったし、尊敬もしていたのですが、あまりにもつまらない自分のことを書くのが嫌で連絡を取るのがなにかとてもきついものになっていきました。そこで、僕は部活で結果を出せたらそれを報告しようと。思ったけど負け。院に受かって進路が決まったら言おうと。思ったが落ち。で、今に至るわけです。今思えば、ちょっとしたライバル意識というか、ただの情けない奴と思われたくないって思いがあったんだと思います。別にそうゆうもんじゃないのにねぇ。


その話しを去年インドから戻ってきた友人(福島大卒・現在東京で新聞配達しながら専門通う)に話すと、その気持ちわかる!と言ってました。そして、それに付け加えて「そいつが死んでもいいといえるのは、きっと全てを自分で決めて生きてきたからだ」と。

そいつ自身、「大学時代だったらそうは言えなかったろうが、(一応は)自分の力で自分のやりたいことを決めて実行している今ならそう思える」と話してました。

日々自分の意思で「生きて」いるからこそ、死に対しても責任が持てる=死んでもいいということなのでしょうか。俺には友人のその理由付けが何となくしっくり来ました。

だからと言って、自分で決めればいいとゆーもんでもないかとも思います。厳密には、ほんとに『自分で決める』ことに意味があり、錯覚では主観的な価値しかなくなってしまう(たとえ前者の価値が主観面の満足が大半を占めるものであるにせよ、多少なりとも一般的な評価の対象となる、という前提の下)。
例えば、おれはいまこのままフリーターとして生きていくということを決意して、自分の『決断』にしたがって生きていくこともできるわけで。でも、俺がどんなに錯覚しようと、それはただ楽なほうを選んだだけで、自分で決めたわけではない。
まぁとにかく、本当の意味で自分の意思で決めて生きたい。この点については大友のコラムを読んで少し考えます。


同じ質問を先週の女性にもしてみたいですが、そうゆう観念的な話題には一切付き合わないタイプ(だと思う)なので、即答で「死んでいいわけないじゃん」と冷めた目でいわれるのがオチです。

結局は人それぞれなんだろうが、僕は「死んでもいい」と思ってみたい。

ショウゴにはいつか連絡しようと思ってます。返事は期待できませんが。

最近、他人の話が多くて。だって自分の書くことがないんだもの。

よしご飯ですよ・江戸むらさき

2005/03/22(火) acknowledgement
ひさしぶりにコラム書きます。というかコラムじゃないです。感想と御礼です。

先日の送別会、しかしながら俺とまなぶは仙台残るのでもっと適切なネーミングがあるような気もしますが、大学卒業という節目に素的なgadgetとビデオレター、サークル行事を記録した膨大な写真たち(太田さんプレゼンツ)とえんどぅ姉さん寄贈の写真とコメンツ、祝電、普段は聞けないし言えない第一印象、人となり、思い出、謝辞。。。みんなの笑顔とサクライの涙。まさにpricelessな品々で送り出していただいて本当にうれしいです。

本日(3/20)改めてビデオレター見直しました。白木屋ではみんなで楽しみながら見たメッセージも、改めてひとりで見ると泣いちゃいそうになります。よしのりさんとB'zとの対談もちゃんと見れました。
きっとこの1枚のメディアに入っているデータは5年、10年ともっと年を重ねるごとに色あせるどころか、もっともっと輝きを増すんだろうなと、ふと思っちゃう。
太田さんが焼いてくれた写真のほうも今日見ました。そんなにいっぱいは無いと思っていたらぎっしり3年分もあり全部見るのに1時間くらいかかりました。
写真もいいっすね。太田さんのスノーボードサークル記録班としての記念すべきfirst album大事にします。2003年度海はよしのりさんの写真集になっていてマニアにはたまらないと思います。
あとケツ毛撮るのまずくないっすか、しかも本人は知らないだろうから盗撮で(笑)〜2004年度合宿より。

最後になりましたが今回の会を企画してくれたヤマケンや鈴木に感謝します。4月からは初心に返り、また1年生としてがんばろうと思います。gadgetは置くところが無くて困っています。とりあえずテレビの上が第一候補です。

2005/03/20(日) 詩を書くのが得意だ→NO!!
「黒は女を美しく見せるんだから!」 オソノ『魔女の宅急便』

##

なんか卒業生向けにお別れポエムを書こうと思ってたんだけどやっぱり無理でした。詩を書くのに最大の敵は「照れ」でした。ちなみに書き出しはこんなの↓


別れはつらい

会えなくなるのは寂しい

でも一番哀しいのは

君が変わってしまうことだ


ぎゃあー、ここまででも死ぬほど恥ずかしい!追いコンの翌日に飲んでるときに考えてたんだけど、酔っていたとはいえ信じられないフレーズが飛び出したわ。やっぱりオレには性格的にもセンス的にもこういうのは合わないみたいね。

##

なんか就活でよく性格診断みたいなの受ける機会がある。もう10回以上やった気がする。最初のうちは結構面白がってやってたけどもうすっかり飽きた。めっきり飽きた。完膚なきまでに飽きた。

やってて困るのが選択肢のどっちにも当てはまらないのにYES・NOで訊かれる場合。あとなんか同じ質問を何回もしてくるのとか。その二つが合わさると前になんて答えたかなんて覚えてなくて同じ質問なのに違う答えしたり。

さらに困るのが質問の意図が謎なとき。

・私は陸上選手で言うと
   1.短距離選手タイプだ
   2.長距離選手タイプだ

いや、それは単純に走りの距離の得意不得意のことをたずねているのか、それとも仕事とかをするときに瞬発力あるいは持続力を発揮するタイプなのかというのが訊きたいのか。まあどっちの意味にしろオレにとっては「どっちでもない」わけで、こんな感じでいつも当てはまらない質問に無理に答えているので、オレという人物像が正確に評価されているかは甚だ疑問だ。回答は当てはまり度合いを7段階くらいで書けるようにしてくれるととても助かるのだが。ただ、正しい評価が下ることはオレの就職にとってまず間違いなくプラスにはならないだろうからこれでいいのかもしれない。
オタ

2005/03/19(土) 投げやりに生きる
いやいや。マジ落ちそうでやばい。

三月ももうあとわずかですが、桜井の涙以上にセンチメンタルになりたい人は、
さよならcolor/スーパーバタードッグ
日々のあわ/ハナレグミ
がいいです。日本人で聞きやすい。邦楽詳しい人にはもう評価されてんだろけど。サークル民があまり聴く音楽ではないかと思い。暇な人は。

最近しったんだけどさー。
何でもやっていいみたいですよ。

予備校で唯一尊敬できる人がいます。俺の人生で辻村みよ子(東北大の憲法教授)の次に頭のキレにビビラされた女性です。27歳・女性(慶応の政治学部卒)。

その人と最近はじめていろいろ詳しいこと話して、聞かしてもらったんだけど。まー学歴というか育ちも別次元の人で(実家が日本橋とか)、普通に生きてたら確実に接することはなかったなーとか思ったが、そんなことは二の次。話し聞いたら行動力に逆にへこんでしまった。

大学二年で政治から法学部に転科
行政書士の資格とって稼ぎ、長期の休みは常に独りで海外。
四年で司法書士に受かったから既に決まってた就職を蹴る
一年働いて単身台湾へ(中国語は全くしゃべれず)
知り合ったおっさんに、自分がやりたい事業についてレポートまとめて提出→大企業の偉い人を紹介してもらう。
その人んちにホームステイ→毎日与えられた題材を図書館で調べレポート提出
二ヶ月滞在後、帰国。その後も台湾のえらい人からゴルフのたびに呼ばれ、中国人の人脈を増やす。
日本では弁護士事務所で事務員として働いた後、独立。
日本と中国の人脈や、台湾のマーケット調査で得た知識を元に貿易等の仲介やらで稼ぐ。
現在もSKYPE使って毎日中国人の誰か捕まえて話てるんだと。
中国でやりたい事業があるんだが、書司じゃー中国人の信用がないから弁護士の資格取るんだって。

さらに、おれがすげーすげー言ってたら
「そんなことはない。大学時代に一緒にいた友人は、ユニセフ職員(インド・デリー)、雑誌ライター(ニューヨーク)、バーレーンで貿易の何とか・・・とにかくあたしが一番ダメだと言われる。」

絶句ですよ絶句。

俺としては、慶応ってそんな違うもんかなーって感じだったんだけど(能力的に)、能力とかはわかんねーが、(というか能力がどうこうとか言うのはもう意味ないのかもね)行動力・意識の高さがすごい。

今まで同年代で事業起こしたりする奴とか、すげーとは思うけどなんか知性5野心80暑苦しさ15、みたいなかんじでいけすかねーなぁって思ってた。でも、27で彼女見たいになれんならそれわるくないんじゃねーかと思わされた。

彼女の人間性は、優柔不断とは対極にいる感じ。自分の欲求に真っ直ぐで、思ったことは言うし思いついたら即行動。すごくわかりやすくて、ある種自分勝手だが、傍若無人ではなく最低限の気遣いはできる。Pen4の1みたいに事実を淡々と話す感じで、それがさらに俺を縮みあがらせます。世の社長達が彼女と仕事したがるのもわかります。

おれは、惚れてるわけでも彼女みたいになろうとも、また、彼女と同じ人生を歩もうとも思わないけど。なんか自分が情けなくて悔しくなりました。

何となく思ったのは「遠回りしても無駄じゃない」って台詞、失敗した奴のいいわけ見たく使われてるけどサー。あれ、ほんとなんだろうけど、何より大事なのはその瞬間ごとは目標に向かって最短距離を目指すってことなんじゃねーかと。目標に向かってまっすぐ走ってんだけど、いろんな障害があったり途中で目標が変わったりして結果的には遠回りになっちゃった(後日談)ってことでしょ?

で結論。俺らはあほみたいに必死になることが必要。23で悟った振りしてんじゃねーぞ、と。頭の悪い高校生みたいな結論に至ったわけです。その人にも20代はほんとに何でもできるから何でもやったほうがいいといわれました。ほんとそう思いました。一回破産するぐらいの勢いで。だから、田京の張り紙もミオの転科も鈴木の住み込みバイトも桜井の関東進出もマノがマリファナやりにタイに行くのも山犬が脱臼しまくるのでさえ、いいことだと思うのです。

まとまらないけど、俺としては君らみたいな人間が活躍(抽象的だが)する世の中のほうが面白いし、今後また会うたびにそうゆうの聞けたら嬉しくなっちまうなーと思った。もちろん、変わらないとこを見るのもいいんだけど。骨は拾ってやるから行っちゃっていいよと。そして俺の骨はあの丘に埋めてと。

せっきょうくせーな。
サトウ校長ノリ

EヨEヨEヨEヨ
追記(3・26)
先日この女性と話してたら、「私、左脳が無いの」とさらりと言われ、また動揺させられちゃいました。数年前にスキャンするまでわからず、左脳部分は体が勝手に生理水で埋めてくれてたんだって。ちなみにアインシュタインも同じだそう。どんだけや。

2005/03/13(日) 楽天に挑む悲観主義者
すいません。最近忙しくてコラム適当になってます。全体的に忙しいとちょっと暇ができてもコラムを書こうという気にならなくて。そう考えると以前のオレは相当暇だったんだなあ、と。でもまあ本当に忙しい人から見れば、その程度で多忙ぶってるんじゃねーと言われそうだ。そんなこんなで、2/20の続きは、書く時間ができたら書きます。わざわざ言わなくても誰も待ってないだろうけど。あとこんなに引っ張っておきながら恐らくはかなりつまらない話になるはずですぜ。

##

なんか誰かにはもう話したんだけど、就活でかの有名な楽天の選考を受けてきた。もう結構前のことだ。選考はグループディスカッションだったんだけど、もうオレこういうのホント嫌いで。だってアレですよ。初対面で得体の知れない人間と意見をたたかわすわけだからね。5人で1グループだったんだけど、六本木ヒルズという迷宮をクリアするのに時間を食わされてギリギリに着いたらなんかもう3人が席についてナニゴトかを仲良さげに喋ってんのね。もう打ち解けてんのか貴様等。はいはいよかったね、社交性があって。そんな上辺だけ仲良くなったってしょうがねーだろ、2時間後にはもうバラバラで二度と会うことはねーんだからよ。などとかなり「馴れ合う気はないからオーラ」を出していたのだが、そんなものは全く彼らの社交性には通用せず、間もなく自己紹介をさせられた。ぼそぼそと自己紹介をすると、「へー、仙台から来たんだ。でも全然訛ってないね」と。訛るかボケ!東京モンってのは東北人がみんな訛ってると思ってやがる。

ディスカッションのテーマは4つの案からグループで1つ選んで代表者がプレゼンするってやつだったんだけど、各々の意見を言うときに、オレは他の案のダメなところを理由に1つに絞ったんだけど、「そういう、最初から○○は無理ですみたいな考え方は楽天としてはNGです。もっと他の案のいいところを探してください」とか面接(?)官に言われた。OH!会社名のとおりポジティブな考え方がお好みってわけだね。じゃあ残念ながらちょっとオレにはアレかもしんないね。

グループの中には対立意見に対して半切れになるやつとか面接官に対して無駄に失礼な質問をしたり(例:楽天は潰れたりしませんか?)するやつとかわずかな時間の中でも人柄が垣間見えたりして、なかなか面白かった。ただどっかのグループで仲良くなったのか知らんけど男が女に「俺Mixi(よくわからんが友達を作るサイトらしい)やってんだ。今度見にきてよ」とかナンパまがいのことをしてるのを帰り際に見て実にとても非常に不愉快になった。

あとやっぱりというかなんというか、楽天は落ちました。
オタ

2005/03/12(土) このド☆ち苦笑ども
矯正のため歯医者へ。診察中に「以前抜くと言ってた歯は抜かなくていいのか?」と聞くと『オーゥ。そうだった』と完全に忘れていやがった。抜歯のための紹介状を書くといわれたが、診察終了時、会計時にも忘れていた『オーゥ』。紹介状もって抜歯のための歯科に行くと、既に抜いたはずの誤記してやがり、電話で確認後『オーゥ』。昨日はコンタクト作りに眼科へ。炎症が起きてると言われ炎症だとどうなるか聞いたら『クッ。炎症は炎症だよ。クッ』一週間眼鏡と目薬を宣告され、それだけでよくなるのかと聞けば『そりゃよくなりますよね。クッ』。お前ら。

ヨEヨEヨEヨE

追記・不安だったので眼科変えたら、『炎症?うーん…だいじょうぶだよ?』だと。どっちがあってんのかしらねーけど、勘弁してよね。コンタクトやってる人はメルスプランおすすめです。いいみたい。

2005/03/06(日) 自分で思い出してびっくりした話(後編)
前回までのあらすじ:かつて使っていたPHSに残っていたメールを約5年ぶりにチェックすると、加藤景子(仮名)なる全然知らない人物からのメールが残っていた。加藤景子のことを必死で思い出そうとしたオレは約10秒後とある記憶が電撃的によみがえり、玄じょうの如く「思い出したーーー!!」と叫んでしまった。果たして何を思い出したのか!!?


あれは高3の頃のことだ。曖昧ではあるがおそらく部活を引退した後なので夏か秋くらいだったはずだ。受験勉強をしていたオレは当時、割と頻繁に図書館に行っていた。自分の家じゃあんまり集中できない人だったのでね。

んで、勉強していたオレの元に女子高生がやってきて「あの〜、すいません」などと言ってきた。今なら女子高生に話しかけられるなんてことがあったらなんだかものすごくコーフンしたりあるいはケーカイしてしまいそうだが、当時はオレも高校生だったので特に動揺することもなく「ん?なんだこの小娘は。オレは来るべき受験に向けて本日の二科目目、英語を鋭意学習中であるというのに」と信じられないほどクールで訝しげなまなざしをその女子高生に対し向けた。

「あの…これ…」と言いつつ手紙のようなものをオレに手渡し、女子高生は足早に去っていった。ナンデスカコレハ…とわきあがりつつある若干の動揺を抑え、手紙を開封する。それには自分は加藤景子という名であること、手紙をオレに手渡したのは自分の友達で自分はその隣の席にいること、オレがかっこいいのでPHSの番号を教えて欲しいこと、などが書かれていた、と思う。

そこで手紙を置いていった友人Aが戻った席のあたりを見るとその加藤景子と思しき人がこっちを見ていた。ただ、オレはあまり視力が良くなく、加藤景子の容姿をうまく確認することが出来なかった。

おお、これは逆ナンというやつではないか、オレもなかなかやるときはやるじゃないか!と優越感に浸った。などということはまるでなく、どどどどどうしようと完全にうろたえてしまった。テンションはむしろ下がった。数分後、先程の友人Aが番号を教えるのかどうか聞きに来た。なんだか断りきれぬまま番号を紙に書いて渡す。

すぐにPメールが入ってきた。殆ど覚えてないがオレの名前とかどこの高校かとか聞かれた気がする。オレはオレで相手が何者なのか聞いたはずだ。市内の高校の1年であることがわかった。

それから何日かに一回の頻度で加藤景子からPメールが来るようになった。でもオレは相手をアブナイ子なんじゃないかと思いっきり警戒していて、当たり障りのない返信しかしなかったし仲良くなろうともしなかった。こっちからは絶対にメールを送らなかった。

ある日、また図書館で勉強していると、加藤景子からメールが来た。

「イマスキナヒトイマスカ?」

いない、と返信すると

「アタシハスキニナッチャイマシタ」「ツキアッテクダサイ」

ええーーー!!ですよ。だって一回も会って喋ったことがないし(電話をしたかどうかはどうしても思い出せない)、オレは相手の顔すら知らない、その程度の仲なのに。好きて。有り得ねーべ。

やっぱりアブナイやつだったんだーと思い、受験に集中したい、忙しくて付き合ってる暇がないとかいうような適当な理由をつけて断った。

それからもたまには向こうからメールが来て、それがPHSに残っていた「ゴソツギョウオメデトー」につながったのだと思う。

もしあそこでOKしていたら、そうじゃなくても一回くらい直に会って飯でも食いに行ってたら、オレの人生も少しは変わっていたのかもしれない。もしかしたらとてつもなくもったいないことをしたのかもしれない。でも当時のオレにはそれが出来なかった。それはそれでしょうがない。しょうがないんだけど、せめて顔ぐらいは確認しとけばよかった、と今も少しだけ悔やまれるのであります。
オタ

2005/03/05(土) 疎通しない意思・深まる友情
先日マックに一人でいたらぶっさいくなギャルが二人入ってきた。

A この席でよくね?

B てゆうかこの席しかあいてないし。

A すげー疲れたんだけど。あるきすぎじゃね?

B てゆうか足腰弱ってんじゃね?

A 言い過ぎだし。爆笑

B てゆうかうけすぎだし。爆笑

A つーかさー、つーか最近どうなの?

B いまいちじゃね?

A 何それ?つーかお前、タカシのことどう思ってんの?てゆうか告られたっしょ?(笑)

B 告られた。マジ受けるんだけど(笑)だって全然態度に出てなかったんじゃね?

A そんなことなくね?タカシわかりやすすぎじゃね?(笑)

B まあね。ちょっとはわかったけどー。

A ウチ○○がわかってることわかってたけどー(笑)

B ウチもそれ△△がわかってるの何となく気付いたけどー。でも断ったし。うち好きな人いるし。

A えーでも先週遊んでたんじゃね?

B だって断ったのにタカシから言ってくるからさー

A そんなの行くに決まってね?つーかさー、タカシのこともてあそんでんじゃねーよ!!(急に切れだす)お前キープしてんじゃねーよ!!

B …

A まーわかってる。お前 ユウの事すきなんでしょ?

B …すきー。

A (ハーッ)だってユウ絶対無理じゃん?何ですきなの?

B だって好きなんだもん!!

A だからー 絶対無理なの! わかれよ!!

B …

A まーいいけど。好きなら好きでしょうがないけどー。ウチは応援はしないから。

B 別にいいし。

A 応援はしないけどー 心の中では応援してる。けどそれは見せない。お前にはきづかせないけどー応援はしてる。心の中でね。

B うん わかる。ありがと

A 見せないけどね

B ありがと

A 心の中でね

B わかる ありがと

多少補完しましたがほぼ再現できたと思います。一人で聞くのはとてもつらかったです。指をさして「お前らは呂比須ワグナーに日本語ならウェ!!!」と言いたかった。

合宿は楽しくないですかそうですか。

サトウ・独り・ヨシノリボッチ


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