スノーボードコラム
涙なしには語れない
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2004/09/30(木) into you
この夏休みで最も、くだらなさすぎる、ビビりをしました
それは今日やった麻雀での事です 
面子は同じ学科の4人なんですが、普段からあまり親しくはしていない2人を交えてやったんです 
というか相手をしてあげました(ここ重要)ッサッサ
その1人に我々から”教授”と呼ばれる若干21歳の若造がいました 教授と呼ばれる理由には大きく分けて2つあります 
そう!
1つは勉強が出来る子なんです テスト前になると数年分の過去問を誰よりも先にやり、キレイに見やすくして友達に問題と答えを付けて与えてくれるのです 僕は何度もそれに救われました 
もう1つの教授呼ばれる理由は、おたくっぽく、若々しゅうないというかエネルゲイアがないんです(本人はあるようです) 特にお顔が 僕はあまり老けてはいないと思うのですが、周りが…っ でもとてもいい子なんです 
まぁそんな訳でいつもお世話になっているから遊んであげようと… 
いざ麻雀を始めてみると、お金を賭けなきゃやらないと言い出すんです まぁいいよいつもお世話になっているんだしと 
しかし、つっぉ強いんです
(今夜が山田)
僕なんていうものは3局行い2回しか上がれないのです 当然負けた訳ですが、僕らがやるいつもの麻雀は話しでもしながら、あっーやべー振り込んじゃったみたいな こいつらは違うんです ”振り込んだぁー、やベー”→じゃない、すぐ点数計算です 
僕はキミみたいな学生の鏡が如何にして大学生活を楽しんでいるのか、どうして真面目でいられるのかとtalkも交えたいと 
僕なんかは点数計算なんて出来ないので、その数字があっているのかわからないまま、let it be ... 
流局の後は必ずその流れてしまって放っておかれているテンパイ棒を狙って、”特急券”などと訳のわからない、おめーらの中ではなんの違和感もなく使用されているであろう言葉で、名の通り素早く、安い手でお上がりになる始末 
そんなお金の動く世界に住んだ事のない僕なんては”そんなぁー”みたいな 僕なんてのはそんな流局後のテンパイ棒は上がった後のおまけ的なもんだろと思うのです 
まぁそんなことされたらお金の動く世界ではビビる以外の動揺はないわけで、シコタマ、びびりました 
何度も漏れそうになりながらも、淡々と麻雀をシコタマ続ける以外に我々に道はないのです 
教授らはシコタマ面白いように上がりお得意の二極化が進むばかり まじこれからはススム君とシコタマ呼んであげよう 
そこで気を紛らわすためにラーメンを食べに行こうと言ったのですが、雨が強いからダメみたいな 
”えぇーキミは外見た一瞬でも”
麻雀が室内で行えるゲームである事に、ここまでデメリットがあるとは思った事はありません
最後の最後にツキがようやく来たのですが、その二人以外の子から上がってしまう始末 
結局一度開いた二極化の波は強まるばかりで、もろに負けました
しかし最後に終わった後のユニフォーム交換程度にラーメンを誘ったのですが、渋る始末 
なんとか食べに行ったはいいが、そこでの会話もあんま楽しゅうない訳です 
僕 :”高校の時、何部だった?” 
きょ:”秘密”
僕 :(うそぉーん) 
僕 :”なかなか、がっちりした腕してるね” 
きょ:”そう?”
きょ:(見せてすぐ隠す) 
僕 :”野球でしょ?” 
きょ:”ブー”
きょ:(ニヤ) 
僕 :”じゃーテニス” 
きょ:”ブー”
きょ:(ラーメンに集中)

…続く
最終的にクイズ形式で8回目あたりで正解が出たわけですが、”PINGPONG”だそうです
結局ラーメン食べた後に解散したんですが、忘れ物していきました
その忘れ物が、またどこで販売されているのか分からない様なお茶で、
その名も”ウコン麦茶”(筆)
”シコタマかなわねー”と圧倒され、
”今日は実は僕が遊ばれていたんだっ”
放心状態のまま風呂に入り床に就きました
シコタマ誇張して書いていますので、誤差はお許しください

2004/09/26(日) 今日の出来事 完全版
ネタがないっていうのもあるし、たまにはこんなのもいいかとも思うので今回は今日(9月28日)にあった出来事をただダラダラと書きます。つまり日記ですね。

今日は古紙回収の日で、その係であるところの私は朝10時に出勤し速やかにその職務を遂行しました。すると適度な運動と古紙のインキの匂いに触発されたか、私の胃、小腸、及び大腸はにわかに活性化し、その持てる機能を使役すべく前向きに善処する方向で検討を開始したというかなんというか、まあつまり早い話がうんこがしたくなったわけです。そこで私は農学部の学生の一割もその存在を知らないであろう秘密の花園・ウォシュレットに於いて、体内に蓄積されたエネルゲイア( (C)大友)を解放し奉り候。

私の内臓諸器官はまことにもって単純明快な構造を有しているようで、出すものを出したら、今度は腹が減ってきたので生協に一人、否、独り赴き、かけうどんセットに小松菜トッピング計400円也を食し、研究室に戻りにけり。すると今度は眠気をもよおしたので机に突っ伏して居眠りしているとメールが届きました。メールはよしのりからで「めしくった?」とのこと。ほんの数十分前に咀嚼・嚥下し今なお胃の中で私に栄養を与え、新たな排泄物と成るため食品道を目下邁進中であろううどんセットに想いを馳せ、「くいました」と送信しようとする。ところが、「よしのりはもう埼玉に帰ったはずではなかったか、飯を食ったかどうか訊いてくるということはオレと飯を食う気であろうか、だったら無下に断るのも気が引ける」と考え直し、食ってない旨の返信。なんて優しい男。

よしのりが到着するまで再び居眠り。こんなに眠いのは未だにキャンプの疲れが取れていないからだろうか。よしのりと合流し2度目の昼飯。さんま・飯・みそ汁の黄金三点セットで男らしくキメる。小一時間雑談。よしのりは極真の部活に出るといい私の愛車「銀アトム3号」を奪い川内方面に去っていった。

よしのりと晩飯を食う約束をしたものの、まだ時間がある。実験するか、髪を切るか10秒ほどの逡巡ののち、結局髪を切りに行くことにする。チャリを貸してしまったので車で行きつけである長崎屋の向かいの「Face」に行く(以前行ったお洒落な理容店「easy」はお洒落すぎてあれ以来行っていない)。店員に「髪型を変えず全体的に短く」と注文。無口な店員で殆ど話しかけてこないがその方が気楽でいい。

学校に戻ると助教授の考案した英語の勉強会が待っていた。すっかりその会の存在を忘れていた私は「チッ」とゴルゴ13風の舌打ちをし、聞いているんだかいないんだかわからないような表情を作りだし虚空を見つめることしかできなかった(英文の内容は完全にスルー)。

よしのりと再度合流し、飯を食いに行くことにする。彼の帰る電車の時間の関係で、近場に住んでいる人間に声を掛けることにする。すると鈴木がつかまったのでタージマハルに行くことに(来れなかった人はいずれまた)。何度か道を間違えながら到着。今日は貸切ではなく、むしろ客は私たちだけだった。タンドゥリーチキンやシシカバブーなどの新メニュー(600円)になぜか笑う。途中トイレに行った際、髪を切ったことを忘れていて鏡に映った己の顔面にちょっと驚く。まるで初期の広末涼子のようでMajiでKoiする5秒前。

ナンカレーを必死で摂取していると女子高生らしき数名の客が、店の前で「やーだー」だの「ありえなーい」だの連発し結局店に入らず帰って行きよった。帰れ帰れ、ここは貴様等のような輩が来る店じゃない。店を嗤うのは勝手だが、食いもせずに見切りを付ける愚か者に食わせるカレーはない、と言いたい。店員のインド人に代わってカタコトで言いたい。

鈴木と一緒に駅までよしのりを送ることに。なぜか学割を持っていた鈴木が切符を買う。改札口の前に着くと少し時間が余っていたので、写真撮影をすることに。仙台駅の「仙」を体で表現する力作などを撮っていると、近くからなにやら騒々しい声が聞こえたので見やると、外人が胴上げされておった。どこかの研究室の留学生だろうか、流暢な日本語で「3年後!3年後ね!」と言いながら笑顔で改札の奥に消えていった。素敵な別れになんとなく心を動かされた私と鈴木は、よしのりにビデオレターを撮ろうということになり、なぜか本人(よしのり)も参加でEXILEのなんかグルグルした動きのあとに「よしのりさん、がんばれー!」と応援メッセージを込める、という極上のデジカメ動画を撮影。見るたび涙が溢れることうけ合いだ。

その後恒例の拳あわせでよしのりと別れ、鈴木を家まで送って、帰って寝ました。

なんのヒネリもオチもないけど、日記とは、日常とは、そして人生とはそういうものなのです。
オタ

2004/09/25(土) 春い青
で、これで終わりだと前振りが意味無い。多分ここがおれの部活のピークだったんだなと思う。結果を出してから周りの評価は変わった。「部活なんかやめて、勉強を…」って言ってた担任は何も言わなくなった。バスケ部は練習中にコートに入ってこなくなった。部費が出るようになった。他校と練習試合ができるようになった。状況は好転しているかに見えた。

だが、内情はぼろぼろだった。自信を深めたレギュラー組と、未経験者との意識の違いは表面化して衝突し、彼らはどんどんやめていった。僕ら3人もまた関係は悪化していった。新人戦が終わった頃からツヨシはバイトを始め、怪我のせいもあって部活を休みがちになった。来てもメニューをちゃんとこなさず、文句ばかりをたれるようになった。また、おれは結果が出たことや、他人からみとめられたことなどにより、自信を持ち、自己主張するようになっていた。その頃には、おれは部内ではエースになり、ツヨシに負けることはもうなくなっていた。そんなちょっとしたプライドや、ツヨシの練習に対する不真面目さへの不満などが重なって、ツヨシはツヨシで、自分が部を強くしたのだと言う自負と、俺が勝って天狗になっていると思ったらしく、おれらはしばしば衝突していた。スガヌマは、レギュラー組と未経験組との対立、俺とツヨシとの対立などに気を揉み、また、自分が伸びないことに悩んでいた。とにかく部内の空気は最悪だったし、まじめに練習するボクとスガヌマと、「不真面目な」ツヨシとの間には大きな溝ができていた。

部活はぎりぎりの状態で何ヶ月かが過ぎた。たまにある大会では思うような結果が出ないようになっていた。すごく好きだった彼女とは、理由もわからないまま別れた。しかも自分から。当時自分が何を考えてたかわからんが、確か部活が上手くいかないことが一因だったはず。

四月になると県で一位の新入生が入ってきた。こいつがまたひどいパキ野郎だったんで、さらに部活はかき回された。そのころには俺とツヨシの仲は最悪で、ダブルスを組むことは考えられなかった。ツヨシも同じことを考え、俺とツヨシでその一年生の取り合いになった。この一年はひどい気分屋でご機嫌取るのは一苦労だったのだが、そのときはツヨシと組むよりはマシと思っていた。

完全に別メニューを行うツヨシを無視しつつ、俺と一年はそこそこは勝てるぐらいになっていった。ツヨシの孤立のため、高総体のオーダー決めはなかなか決まらなかった。特にダブルスは俺とツヨシが誰と組むのかが全く決まらず、話が進まなかった。
しかし、提出4日前になってそれまで俺と組むことをかたくなに拒否してきたツヨシが突然態度を変えてきた。「お前と組んでやってもいい」。彼には彼なりの考えがあったのだろう。実際、新人戦の時点では当時県内で二強の一角を唯一フルセットに持ち込んだとして、僕らのダブルスは県内で少しは認められてた。だがボクは、一日悩んでもそれを受け入れる気にはなれなかった。それまで散々ツヨシに我慢してきたんだからもう必要ないだろう、最後くらいはやりたいようにやらしてもらう、それがボクの答えだった。

ボクは一年と組むことを決意し、ツヨシにそれを言おうとした。だが彼はその日から三日間部活を休んだ。最後の日、提出前にナントカ話をしようと携帯や実家、バイト先に電話をかけたが、かれはつかまらなかった。結局、不満を言われることを覚悟で、スガヌマに頼み込んで俺の一存でオーダーを決めた。

2日後部活に来たツヨシは、当然のように烈火のごとく切れた。おれも若干の負い目にふたをして切れ返した。結局高総体まで練習はみんなばらばらで行った。最後の結果はかろうじて団体は県三位に入ったものの、あれほど悩んでわがままを突き通したダブルスは地区ですら優勝できず、県でもすぐ負けた。シングルスにいたっては地区予選でなんでもない相手に負けた。それぞれが本気でIHを目指し、出れると信じていたはずなのに、負けた時なぜか僕らは泣けなかった。帰り道みんな別々に帰った。駅に着き、迎えに来た母の車に乗った。「残念だったね。」という母の言葉を聴いた瞬間、突然感情が溢れてきて声を出してないた。情けなさややるせなさやあきらめや、いろんなのが混ざってないた。ただ、努力が報われなかった純粋な悔し涙ややり遂げた感動の涙とは違った気がする。

あの日ツヨシと話せていたら、ツヨシと組んでダブルスを組んでいたらどうなっていたのだろうと思ったりもする。でも、あのときの自分は彼と組むことはできなかった、とも思う。結局、いまだに後悔も肯定もできない。その後僕らは三人で集まることはなかった。それぞれ個別には会ったが、お互いに部活の話しをすることも無い。五年たった今でさえまだ話せる気がしない。

2004/09/23(木) NO WASHing, NO GAP
コラムと言う借金が溜まっています もし桃鉄の様に徳政令カードがあったなら使いたい気分です
もしくは、ワープゾーンで飛びたいです
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
最近一番カッとした事、(いや、今日でいいや)は洗濯後に起きました 
それはティッシュを入れたまま洗濯をしてしまったことです
キャンプで汚れた服でやってしまったので、そのショックはよりダメッジが大でした なぜならキャンプで汚れた服は僕の中での汚れ具合は10段階中8から8.3はあるんです
洗濯と言うものは僕の中でこの世の中で一番簡単にギャップを得られるものなのです 
そのギャップとは、汚れたものをクリーンにするというギャップです 
そんな訳でカッしました 
さて、その処理の仕方で困りました 
そこでベランダから身を乗り出して、パタパタしたんです そしたら紙吹雪を撒いてる気分になりドンドンその、サ行、をしました
二枚目に達しようとした時、下の歩いている人に気づかれたんです すぐに隠れました 
これでは処理できないと思い、ベランダでパタパタして払いました 
そしたら当然ベランダが汚れるわけです 結局最後のlast one までやったのですが、少し隣の部屋に飛沫したんです 
いかにしてそれを回収するか考えたんです そこで掃除機の登場だと思い満を持して呼び出しました 
結果は完勝! 我がベランダまできれいになり、普段の洗濯では味わえない位の充実したギャップを得たんです 
いかにしてギャップを乗り越えるのかを久しぶりに学んだ気がしました 
こんな訳で、しばらくコラムを書いていなかった自分を更正する意味(10段階中9)を含ませたこんなコラムで今回は終わります
僕がなぜジムに通うのか理由は多くの方は勘違いしていますっ

本当理由は筋肉をつけてこれ以上身長を伸びさせない様にするためにとった慎重な選択なんですっっ 
ジャンプやマガジンなどの最後のページに載っている身長を伸ばすために引っ張る器具からヒントを得たんです
縮めれば伸びねぇー 
★このコラムの背景って和風なファブリックです★ ∬

2004/09/19(日) 連講哀歌
金曜に書いてます。日曜はTOKYOにいるから。

9月に入ってから立て続けに3つも4つも連続講義があった。4月に取る講義を決める時に、毎週きっちり出席するのが面倒だという理由で連講で単位を稼ごうという浅ましい考えを持ち手当たり次第にいれてしまったが、いざこれに出る段階になると面倒でしょうがない。去年農学部の研究室の区分が変わり、わが研究室は殆どが学部時には他の系だった研究室ばかりのグループに入ってしまい、その関係でとる講義も全くの異分野を扱うものけっこうある。最近受けた連講も蛋白質機能開発学特論などという、知識も興味も皆無のものだった。1限からというから滅多にしない早起きをして行ってみれば講義は10時開始とか張り紙がしてある。ふざけんな、とか思いつつもまあいきなりやられるよりましか、などと思い直してみる。

程なくして講義が始まったが案の定何を言っているのかさっぱりわからない。犬のような顔をした教官がパワーポイントの画面を出しながらなにやらボソボソ喋るだけ。しかも画面中の説明が全部英語なのね。学会資料の使い回しか?もうこの時点で最初から1割もなかった聞く意志が完全にゼロになる。だだっ広い講義室に学生は15人くらいしかいない。これじゃあ寝るに寝れねー、とか思ってたけど早起きの反動か普通に寝てしまった。でもかたい机の上で寝れるのなんてせいぜい1時間くらいのもので、残りは小説を読んでた。遅れて始まったのもあってかそんなに長いと感じることもなく午前はなんとか乗り切った。

午後の部が始まったが午前に寝てしまったので眠気はなく、あまり面白くもない小説に無理矢理のめりこもうとする。が、いかんせん小説がいまいちなので、すぐ飽きてしまう。それでも普通の講義ならボーっと考え事などしているとカチャカチャと筆記用具をしまう音なんかが聞こえてきて、ああ、もう終わったのかなんて思ったりするが3、4限ぶっ通しの丸3時間ともなるとそうもいかない。

なんとなく顔をあげて講義の画面を見るとタンパク質の拡大写真やモデル図なんかが出ていたりする。心から興味がない。世の中には「タンパク質フェチ」とか「タンパク質萌え」なんてものがあるのだろうか、そういうの厭だなオレ…などと果てしなくどうでもいいことを考える。しかし長い講義だ。教官はさっきから何回も同じ内容を話している気がする。気がするだけだろうけど。小説を読んではやめてを繰り返し、ふと時間が気になった。3時過ぎてなきゃ死ぬーとか考えながらポケットから携帯を引っ張り出して時間を確認するがまだ2時半。心の中でゴフッと吐血。先は長い。

あまりに暇なので便所行って来まーすみたいな顔して部屋を出て生協に行く。好物の菓子(ぷっちょ)を購入し、ベンチで一息つく。そういえばあの講義は出席を取ってなかった、もし最後に小テストをやられたりしたら何もわからない。そうなったら「アミノサプリはアミノ酸飲料売り上げナンバーワーン!」とか書いて逃げよう、などと真剣に考える。10分くらいして戻ろうとすると、なんだか妙に知った顔とすれ違う。嫌な予感がしてダッシュで戻ると講義終わってた。ショック!!最後の最後まで裏切ってくれる。でもまあなんとか出席は書けたし小テストもなかったので今日という日が無駄にならずに済んだ。

っていうかこの連講4単位であと3回もあるんですけど。心折れずに単位修得までこぎつける自信がない。あ、修得ってよりは拾得だね、気分的には。
オタ

2004/09/18(土) 長いだけの話
学ぶらのコラムに触発されて部活の話を書こうと思っていたのだが、確実に長くなるのでいまいちふんぎりがつかなかった。九月はまともなコラム書いてないから今こそ書くべきなのだろうと思い、書きます。でもほんとに全部かくから、無駄な前提とかもあってマジ長いと思います。

まず、俺は中高とバドミントン部でした。これだけで、このコラムがどんなに感動的であっても三割減の感動になってしまうんだけど。

俺の市はバドミントン(以下バド)なぜか盛んで、毎年、俺のとこを含めた中学3校のうち必ずどこかが県で入賞してました。俺個人は中学の中で4,5番手、いわゆる使えないやつでした。団体戦で、ポイントに数えられないやつ、みたいな。

高校もまた隣りに県で連覇してる高校があった。俺の高校は進学校でバドは死ぬほど弱かった。初めて部活に行ったらバスケしてた。バスケ部の横でバスケ。さすがにバド部だけあって、バスケ自体もまぁひどい。俺のタメはなぜか20人近く、しかもほぼ未経験者が入部しました。そんなかでまともな経験者は俺を含めて3人。一人はスガヌマ(気弱め・頑固)そしてもう一人はツヨシ(わがまま)。それぞれ別々の中学で、俺とスガヌマはボチボチでしたがツヨシは個人で県三位の実力を持っていました。僕ら三人はお互いを微妙に知っていたこともあって仲良くなり、部を強くすることを誓いました。

弱い、且つやる気のなかったバド部は校内でも校外でも完全になめられてました。練習場所はしばしばバスケ部や卓球部に追いやられ、部費もほぼありませんでした。大会に行けば、応援場所さえ与えられず。他校のバド知り合いや中学で一緒だったやつなど、全員から見下され、本当に居場所がなかった。他の学校のコーチたちに教えを請いにいっても、高校名を言えば相手にされませんでした。いわゆる完全な「逆境」ってヤツです。そんなこともあって、僕ら3人は固めの結束とハングリー精神ぽいのを抱えながら頑張っていきました。

一個上の先輩も徐々にやる気を出してくれたこともあって、僕らは徐々に力を付けていきました。相変わらず回りの評価はお寒いものでしたが。結局二年の夏の高総体では、前よりはよかったものの周りの評価を覆すだけの結果は残せませんでした。

高総体が終わって、メインは僕らの代に移りました。僕らはいかにも青春ぽくそれまでからは考えられないようなきつい練習を続けました。コーチや先生などおらず、ひたすら体力だけを鍛える。自己主張の強いツヨシと自分でいっぱいいっぱいのおれではなく、比較的オトナシメで人当たりのよいスガヌマが部長になりました。練習方法は三人で考えました。三人はいつもいろんな2対1になって意見をぶつけ合いました。それでもぐずぐずにもめなかったのは、三人とも強くなりたいのと見返してやりたいという意識が共通していたからだと思います。また、その頃から、息抜き程度の部活を期待していた未経験者達から不満が噴出し、それに対峙することでも僕らは仲間意識をつよめていきました。
その頃僕らの実力関係も変わっていました。バドにはシングルスとダブルスがあるのですが、一年の頃にシングルスだけしかやらせてもらえなかったおかげで、僕は飛躍的に実力が伸びていました。実績でも実力でも、ツヨシは俺らより強い、だったのが俺とツヨシが同じ位でスガヌマがちょい弱い、になってました。プライドの高いツヨシはそれを認めようとはせず、自分がダントツに強いと思っていたので、ダブルスのパートナーになった俺に対してガンガンあたってきました。シングルスでは俺が勝つ感じだったので、不満はありましたが、ツヨシの実績とスガヌマの支えによって自分を抑えることができていました。

話しは変わってその頃僕は初めて彼女ができました。その子は同じ部のやさしい子で、学祭のミスコンで一位になっちゃうような子でした。何であの子の彼氏がうんこバド部の変なめがねなの?って感じで、本当に不釣合いでした。僕はそんな彼女ができて嬉しい反面、先輩やタメの男にその旨のことを言われたりもしたので、激しい劣等感も感じていました。そして、せめて部活で結果を出せば少しは相手に近づけるのではと思い、結果を出せることを心のそこから願いました。

新人戦の地区予選、会場の人たちは勝ち進む僕らに本当に驚いていました。僕らが勝つことなど、僕ら以外は誰も予想してなかったと思います。団体で一位通過を決め、ツヨシと組んだダブルスでも一位になれました。シングルスではそれまで相手にもしてもらえなかったような人たちに勝って僕は決勝まで残りました。シングルスの決勝は、体育館の真ん中にそのコートだけを残してみんながそれを見守るという状況で行われます。静かな体育館の中で、一打決まる毎に歓声や応援の声が響く。おれは隣の強豪高のエースと決勝でした。試合はフルセットでジュースまでもつれました。マッチポイントをとられたところで、その日一番のコースに僕のスマッシュ!しかし、線審の判定はアウト。仮に抗議しても、線審以外誰からも見えていない。試合終了かと思ったとき、予想外に相手が審判のところへ駆け寄って行った。「今のは入ってた。アウトじゃない」スポーツマンシップだよまさに。その後俺は逆転して優勝したが、そのときのことは忘れられません。また、そのときは頭ん中で彼女のことしか考えてませんでした。「これに負けたら、彼女と付き合う資格無い。」って本気で思ってた。勝ったときは死ぬほど嬉しかったー。

いやーちっちゃい。すんげーち−っちゃい話ですまん。地区大会なんて取るに足らないんだろうがそのときは自分らにとって感動的だった。その後県では団体三位、シングルダブルは8、だったかな。とにかくそれなりの結果だった。ほんと狭い話しだ。次週に続く

2004/09/16(木) wasted
偶然にも、うれしい事(十月十一日)
鼻をかみたくなった時に、たまたま近くにティッシュがあった時 
CMに入りチャンネルを変えたら、たまたま同じCMが見れた時 
突然黒糖ふ菓子を頂いた時 なんてふ菓子は平和な食べ物なんだ 
OHバンデスの取材に自分の背中がSHOOTされた時 それが機で久しぶりにOHバンデスを見て宗さんがまだレギュラーでいれた事を知った時 また深夜のNHKで当時の若い宗さんが出ていて、御ひげが今と変わっていない事 
いざ出かける時に鍵と財布が見当たらなく探していると、財布と鍵が同時に見つかる時
携帯をふと見た瞬間にメールが来たとき ブルブルッ
おばあちゃんが、原付バイクの事を“ポンポン”と言った時、すぐに“原付の事だな”と理解できる自分 そんな感じでお小遣いをもらえた時 ポンポンと ・九種ヤオチュー牌

2004/09/13(月) 働くために生きるのか、生きるために働くのか
お久しぶりです。皆さんお元気ですか?僕は元気です。

「働くために生きるのか、生きるために働くのか」

突然だけどこんな問題提起をしてみる。俺の意見から言わしてもらうと後者。「働くことが人生の目的になってしまうのは変だ。楽しいことを切り捨てて、人生楽しめるか?」というのは、働き始めてからは特に忘れてはいけないことだと思う。とかまだ社会に出たことがない俺が言ってみる。
前者の意見を否定する気は全くなくて、働くことを通して人生の喜びを見出すというのも、これまた大切なことだと思う。けどなんか高尚な感じ。俺にはこんな考えに到達することはない気がする。働くことに喜びを見出すにしても、働くこと以外に喜びを見出すにしても、大切なことは、「人間らしく生きているか」ということだろう。“人間らしく”と一言に言っても漠然としているが、例えば精神的にも肉体的にも健康であること。恋人や友人を心から愛していること。人の役に立っていること。人にやさしくできること。などなど、数え切れないほど挙げられる。人それぞれで“人間らしさ”の定義も違ってくるだろう。

最近の日本を見てると、不景気、リストラ、年金法改正、BSE、少年犯罪、幼児虐待などなどネガティブなニュースが多い。周りを見渡したって、先行き不安だ、仕事がきつい、サービス残業だ、就職難だ、年収はいくらしかない、みたいな話しが多い。だけどちょっと視点をずらしてみれば、日本という国は世界有数の経済大国なわけだ。そんな国に生まれた人間が、どうしてこうも現在に、未来に不安を抱いているんだろう。現状が、先行きが不安だと言っている人間が、どうしてブランド物を身につけて、毎日腹いっぱい食って、いい車乗って、エアコンつけて、プラズマテレビを見てるんだろう。すごく奇妙な光景が、目の前に当然のものとして広がっている。いつの間にか、誰かに築かれた生活のスタンダードに離されないように、必死で自分の“人間らしさ”を削って生きてはいないだろうか? “人間らしさ”を削る前に、削れるものはいくらでもあるんじゃないだろうか?

自分の“人間らしさ”を失いたくなかったから大学辞める。なんてかっこいいもんじゃないです。大学卒業したから“人間らしさ”を失うんじゃないし、就職したからって“人間らしさ”を失うわけじゃない。ホントそれらを否定するわけじゃない。
今まで、少なからず現代日本人らしく大した挫折もせずに生きてきた。だから何の疑問も抱かなかった。抱く必要が無かった。

これを機会に、これからは世間体やプライドや肩書きより、自分の気持ちに素直に生きてみようと思っている。

みなさん、どんな道に進もうとも自分の「人間らしさ」を忘れないで下さい。幸いにもこのサークルにはいい友達がたくさんいます。「人間らしさ」を忘れそうになったらここにいる友達が助けてくれるでしょう。       ぶ

2004/09/12(日) 女性差別論
新潟県は小千谷市の片貝花火大会を見てきました。今年で二回目だけどやっぱりすごかったです。桜井君、学君、写真勝手に載せてごめんよ。では本題へ。

タイトルに初めて「論」なんて付けちゃいました。そのぐらい今日はマジで書いてますのよ。

結構前の話なんだけどね、テレビのトーク番組に田嶋陽子が出ておったんですよ。で、途中から見たんでそれまでのトークの流れはわからないんだけど、田嶋センセイは概ねこのようなことをのたまったんです。
「お袋さんの袋っていうのは、子宮のことなんです。こんな風に呼ぶってことは男が女を子供を生む道具にしか見てないってことなんですよね」
ええー!何いっちゃってるの?この人。もし、お袋って言葉の語源が子宮だったからって、そんなこと知ってる人は殆どいないだろうし、そんな差別的な意味で使ってるやつなんているわけがない。むしろ敬意と親しみをこめてお袋さんって呼ぶんじゃないのか。森進一が聞いたらなんというか。センセイはこう続けました。
「男は女をバストとヴァギナとしか考えてないんです」
あのねー、明らかに放送禁止用語が混じってるのは百歩譲って流すとして、オレは言いたい。んな!わけ!ねーだろ!ばっっっっっかじゃねえの。フェミニズムだかなんだか知らんけどね、お前が過去にどんな酷い男に騙されたか知らんけどね、こういうどうでもいいような差別語に噛み付いたり、ずれた被害者意識もってるやつってすんごいタチ悪いわ。

昔ウチの高校で卒業生の中から成功した人を呼んで講演してもらうってイベントが年一回あったんですけどね、その中でなんか結構でかい会社の重役までいった女性みたいな人が来たことがあったんです。なんでもその会社は社員の6割が女性で、給料や出世も一切男と差がない、みたいなことを言ってました。なんだかいかに社会で女性が差別されているかって話から、自分の会社は大変素晴らしいって話になって、自分の立身出世の自慢話みたいなものに変わっていって、あまりにもつまらないから途中で寝ちゃったんですけどね。その社風は大変結構なものだと思うんですけどね、そのナントカ女史のいうことを聞いてるとなんだか男女平等がどうこうっていうよりは、男の方が無能なのに社会で女が認められないのはおかしいっていう風に聞こえるのね。こういう人には男女平等社会を作りたいのか、女性上位社会を作りたいのかはっきりしてくれ、と言いたい。男女平等を謳うならパチンコ屋のレディース専用台とか女性専用キャッシングとかそういうものにも抗議するのかい?と問いたい。

あとまた高校のときの話になるんだけど、生活一般っていう家庭科チックな授業があって、テストで「売春がなぜ起こるのか説明しなさい」って問題が出たのね。んで、この問題の正解は「男性が女性の性を商品としてみなす、差別が原因」っていうようなことでした。オレ、この答え知ってたんです。教科書読んだら書いてあったから。でも、どうしても納得がいかなかったんで「買いたい男と売りたい女がいるという需要と供給の利害が一致して商売が成り立つから」って自分が思ったことを書いた。当然×でした。しかも答案に赤ペンで「?」とか書いてあった。なーにが「?」だ。ぜってーオレのほうが合ってるわ。アホ教師め!イシヤマナリコめ!性を売り物にしてるにはしてるけど、どっちかっつーと差別というよりそれを尊いものと見てるんじゃないの、買う人は。だってそうでしょう。オレが街中に出掛けてってその辺にいるマダームに「3万円でどう?」とか言ったら張っ倒されるか警察呼ばれるよ。別に売春を支持する気なんて毛ほどもないし、売るやつも買うやつもああ、馬鹿なのね、と思う(プロにお世話になるのは別にいいと思う)。ただ、それを女性差別って言うのはなんか違わねえか、と思うわけ。

そんで、結局何が言いたいのかというと、男と女は生物として異なる。だから「男らしさ」、「女らしさ」があって当然だしあった方いいと思う。だからそれを考慮しない平等論はチャンチャラおかしい。区別と差別を混同しないでくれ、と。だから女性のためのキャッシングとかもあっていいと思うよ(レディース専用パチンコ台は納得いかないけど)。あと重箱のスミを突っつくような差別語探しとかはマジ論外。オレは差別語に関しては語源とか本来の意味なんかより使う側の意図の方がよっぽど重要だって思ってますんで。まあ本当にいわれのない差別とかで苦労してる人もいるんだろうね。それに関しては気の毒だとは思います。

まあ言いたいことはちゃんとは伝わってないかもしれないし、これ読んで不快になった人もいるかもしれない。なのでまあ異論、反論がある方はいつでもどうぞ。
オタ

2004/09/11(土) 痴漢とトンカチ
まさか…五十嵐の白髪、イカサマ!?

伊藤はニポポには疎い。

カナダ、竜巻真つ只中。

大友とおお タイにいた

なんかあれですね。いまさらこの辺のコラムかいても誰か見てるんすかね。誰かが不意に発見して、こんにちわ22歳のよしのりさん!て思うことを期待して、もしくは直後にこれを見て誕生日おめでとうと言ってくる輩を期待せずに、23歳三日目のおれがカき汁そうと思う。

この日、たしか9・12の女性差別論についてかこうと思っていたはずだ。

差別を無くするのは、相当の力を要する。というか、めちゃめちゃ頑張っても解消されないばやいのほうがおおいと思う。おれの定義づけでは、差別とは、力を持つ集団が、自分達と異なる力をもたざる集団を排除しようとすること、かな。まーそんなかんじ。同じ力関係だったら対立になるものね。
こういうのって、理屈でどんなにその差別が根拠のないものであるのか説明されても、解決できないから難しいんじゃないかと思う。一般的なのだと肌の色とか、部落とか?
うーん。やめた。女性差別について中心に書こう。一般論はだめだ。

余談だが、予備校のヤツで、一緒に話すけどどうしても共感できないやつがいて、そいつの話で何が嫌かっつーと、すぐ話しを一般論にもってって教訓みたいにするの。もちろんネタ(例・運転の荒い車を見て『確かに抜くと気持ちいいのはわかるけど、やっぱり抜いてばっかりいると危ないよね。)ではなく。そいつの話はさー、「ばあさんが立っているのに優先席に堂々と座ってる若いやつがいた」→『結局法律は救ってくれないんだよねえ。』って。えーーーですよ。1、まず、普通に最近の若いやつは、、、的なコメントでも論理は成り立つがうっとうしい。2、コメントの根底にある、法律によって救われるべきという考えが間違っている。そんなときに法律が出るべきじゃないことは明らか。そのコメントは、少なくとももっと大きなジレンマを抱えてる場面で使うべき。
つまり、1、偉そうに一般論語るのがむかつく。2、その一般論がまちがっててむかちく。3、結論に至るまでの論理過程に穴がありすぎる。なんかうまくいえないけど、わかって。。(だからといって、何かの経験を経て得た教訓とかは、一般論みたいになっちゃうけど、そのすべてを否定しようと結うつもりでもない。うーむ。あとで修正しときます)

あーねむい。またあらためて直します。

2004/09/09(木) t00th
2001年6月X日

・前から下の歯に痛みがあった
・歯の奥からから押される痛みだった
・当時自分で親知らずではないかと疑い、歯医者に行きレントゲンを撮った レントゲンを見ると奥から二本の親知らずがダイビングヘッドで圧迫していた
・成長が止まることを祈り放置した

2004年9月6日

・親知らずが心配になった
・長期休みがとれる事がもうないと思い、もう痛みはなかったが、レントゲンを撮った
・成長していた それは自分の歯並びが悪くなっていたことからもわかったいた
・歯医者は進めなかったが自ら抜歯を決めた

3日後

・入院で手術をした
・睡眠麻酔だったので、覚えていなかった
・看護婦さんが優しかった
・その日の夜は隣に寝ていたおっさんのいびきで寝れなかった

次の日

・退院 あとから手術をしてくれた歯医者から、”きみ呪文唱えていたよ”と言われた
いつもの寝言だ。と思った



・僕は寝ると寝ぼけるので、キャンプも心配だ

2004/09/05(日) 「汝の隣人を愛せよ」「いや無理、マジで」
なんかずっと前に掲示板に、オレが引っ越したばかりのアパートの隣の部屋から、いわゆる女性の喘ぎ声的なものが毎晩聞こえてきて、いやはやすごいところに引っ越してきたものだ、なんてことを書いたことがあったんですが。まあ結局のところそのアレは間もなく止んでしまって、果たして隣の男がそのタイミングで恋人と別れたのか、あるいは行きずりの恋だったのか、はたまた大音量のエロビデオだったかはわからずじまいで。

まあつまりウチのアパートはものすごく壁が薄くて音が筒抜けである、と。

ずっと前に友達と飲みに行くときに、一回ウチに集まってからみんなで行こうって事になって。行く直前になって友達が便所行くとか言い出したから玄関の外で待ってたのね。そしたらどっかからいきなり「おい!」とか声が聞こえてくるわけ。すんごいびっくりして周り見回したけどだれもいない。で、もう一回「おい!」って声が上から聞こえてきて、そのとき初めてそれが2階のオヤジが言ってるってことがわかって。
「おい!」
「はい?」
「おめーのよ」
「はあ」
「ドアの開け閉めの音がよ」
「はあ」
「バッタンバッタンうるせーのよ」
「はあ」
「おめーが何時に出掛けて何時に帰ってきたとか全部わかんだよ」
「はあ、すんません」
「ほんといいかげんにしろよ、コノヤロウ」
「はあ、気を付けます」
まあ実際にはこの2、3倍くらいの長さのやりとりがあって、すげー謝らされた。なぜか友達も。解放された直後はなんか驚きと恐怖でアゼンというかボーゼンというかガクゼンというかまあそんな感じだったんだけど、なんだか落ち着いてきたらフツフツと怒りが沸き上がってきて。うるさいってことが言いたいならもうちょっと言い方ってもんがあるだろ!こっちは初対面なんだからよ!とか何時に帰ってきたかわかるって、てめーはいい歳したおっさんのくせになんでいっつも家にいるんだよ!働けよ!とか。で、結局そのあと飲み会っていうか合コンにいったんだけど、オレすげートガリ眼で、切れ気味テンションで。彼女作るチャンスを一回完全に棒に振ったわ。もうね、悔しくて悔しくて(合コン失敗したからじゃないよ)、まあ確かにうるさかったのはこっちが悪かったから翌日からは直すとして、なんかこのまま奴に屈するのは気分が糞悪い。だからその日の帰宅時に渾身の力でバッターーン!!ってドア閉めてやった。その行為にビビッてウチに寄ってくハズだった友達は帰りやがったけど。

まあかくして今なお続くオレと2階のオヤジの戦争が始まったわけです。

わかる人はわかるかもだけどウチでサークルの学祭のビラ書いて結構夜遅くまで騒いでたら、あの野郎ウチまでピンポーンて来やがって。シカトしたけど。そしたらみんなが帰るときに2階の窓からじっと見下ろしてたとか。うわー、いやらしい。気持ち悪い。でもあの日は楽しかったなあー。ホント楽しかった。

1年以上前、ネット始めたらPCで音楽聴くことが多くなって、当時ノートしかなかったんだけどノートPCのスピーカーってショボショボじゃない。だからなんかスピーカーが欲しくて、ホームセンターでウーハー付きの安いやつ見つけて衝動買いしたんだけど。でもアパートの壁は薄々なんですごい音が響くらしく。それ以来ちょっとでも低音きかして音楽聴いてると上のオヤジがドン!って床を鳴らすのね。それを聞いてあ、いけね、みたいな感じで音下げて、よく考えたら別に大してうるさくねー、と思うと腹が立ってきて天井にティッシュの箱を投げつけて抵抗、みたいなやりとりを日常的にしてるわけで。
そしたらつい最近になって彼奴は堪忍袋の尾がブチ切れたらしく、深夜12時を回ってるにもかかわらず我が家に攻め込んできたわけです。最初はドアをノックしてくる(今はインターホンが壊れてる)から友達がきたのかと思ってドアのあの穴からのぞいたら、レンズ越しにパンチパーマのおっさんが。もう完全に2階のオヤジだってわかったけどこのまま放置してドア蹴り壊されてもいやだなと思ってしょうがなく開けた。意外とチビだ。そしてデブ。完全にやくざのいでたちと態度。他人んちに来るのに煙草なんぞ吸いやがってコノー。
「おめーよ」
「はあ(うわー、来やがった)」
「音楽うるせーんだよ」
「すいません(音下げただろ、ボケ)」
「今何時だと思ってんだよ」
「すいません(おめーこそな)」
「ズンズンズンズンよお」
「ホントすいません(うーむ、この場合全く相手の眼を見ないというのもまずいかな)」
「おめーだけが住んでんじゃねえんだよ」
「はい(かといってあんまり見すぎるとガンつけてると思われるかな)」
「んっとによお」
「はい(もうちょっと弱々しい返事のほうが早く帰るかな)」
「いい加減にしろよコノヤロウ」
「気をつけます(わかったから早く帰れ)」
「おめーだけが住んでんじゃねえんだよ」
「すいません(それはさっき聞いたよ)」
みたいな感じでこのときは全面的にへりくだってすまなそうにしつつ内心は実に冷静にいかにしたらこいつの溜飲が下がるのかとか考えて、セリフも「すいません」と「気をつけます」ばかり連呼。なんか結構あっさり帰ったからとか手玉に取ったつもりで「勝った」とか思ったけどよく考えたらもうウーハーで音楽聴けないじゃん。くそう。次やったら殴られるか事務所連れてかれるかもしんないし。
というわけで戦争は圧され気味です。右手に包丁持って応対すりゃあよかった。「料理中ですけど何か?切れたら何すっかわかんないけど何か?」みたいな感じで。
つーか隣の部屋の奴のドアの開け閉めがうるさい。やばい、絶対オレのせいにされる!

まあそれ以外にも鍵が掛かったか50回位ドアをガチャガチャやって確認する変態少年がいたり、春になると部屋に蟻が出たり、部屋の前にはドクダミがツタやたら生えたりとウチのアパートは問題が山積みです。引っ越したい。引っ越して大音量、重低音ガンガンで思う存分カントリー・ロード(「耳をすませば」主題歌)を聴きたい。

長くてごめんね。読んでくれた人、どうも。
オタ

2004/09/04(土) 銭湯・千尋の’神’隠し
長年の夢だった銭湯を開店した直後に急逝した夫の遺思を継いだ妻・千尋。的な。「う」をつけたことによって、「神」が何かの暗喩に聞こえてしまいます。おれの中ではおじいちゃんのしわくちゃなヤツ。銭湯でおじいちゃんのそこに何が。。。共感できない人はするーして。

いま銭湯がアツイ。おれん中で。極楽湯などのスーパーなヤツではなく、ザ・リアル戦闘。これ読んだ人も是非周りで探してみてよ。引っ越したりした後、しばらくしてから又は何年もしてからその場所へ行ってみて、昔行った銭湯があると異常に懐かしい。実家でもそうだけど、前仙台で久々に駒の湯見たらめちゃめちゃ懐かしかった。いや月1で行きますけどさ。
いま住んでる約東京の戸田市ってとこは大体4.5km四方の市内に、軽く見ただけで10件近くある。これらを制覇したら心置きなく東京に入っていこうと思います。

本日のfightはサン光湯。まずは達筆な手書きの料金表が出迎える。雰囲気出している。番台のおばさんに財布を馬鹿にされながらも、のれんをくぐってバトルに突入していく。まずはジャブ程度にドライヤー20円に目を奪われる。天井はかなり高い。女湯開通タイプだ。浴室に入ると脱衣所が無駄に広かったことにきづく。
出会い頭のカウンター!当然のようにシャンプー・石鹸がない。
ちなみにここからちょっと離れたスーパー銭湯の料金は680円。ここの料金は380円。お客様のために300円を削ろうとする経営努力がいたるところで見受けられる。ありがたいことだ。

浴室の備品はケロリン桶一本。ここから施設に突入していく。最初の風呂は変わり風呂。日替わりらしく、看板の「今日の湯は、」の下には『蕃昌(バンショウ)』。手書きの文字がまぶしい。しかしよく見るとこの看板、効用の部分も印刷済みである。すなわち、中身を変えても効用は変わらないということ。品質を落とさない心意気と、「風呂で健康になるかよ」という突き放した潔い態度が見受けられる。

隣の白湯は熱い。やはり銭湯はアツイ。浴槽の温度計は34度を指しているが、これはフェイクだ。明らかにみんな入らないもの。

白湯を早々にスルーして、次はスチームサウナ。タイルの熱帯魚と同様にオシャレな雰囲気。入ろうとすると入り口横に、森林浴の文字。森にいるかのようにリラックスできるんだと。入ってみると期待通り完全に便所の臭い。芳香剤だけではなく、便所臭の本質まで再現しているかのような香りで、軽いトリップが楽しめる。

最後は露天風呂。備え付けの窓からは国道の車たちが見える。相変わらず熱めの湯につかって空を見上げると、そこには屋根がついている。てゆうか、露天は一角を除いて囲われてる。その一角からは雄大な鉄塔が見える。それしか見えない。露天風呂の目的は、外気と鉄塔を楽しむということなのだ。

風呂から出て着替える。最初は気づかなかったが、上を見るとなぜかカーブミラーが備え付けてある。これだけはまったく意図が理解できなかった。電気がガンガン消されていく中で、脱衣所を後にする。

帰りのBANDAIには爺さん。NHKを凝視する彼には、おれのありがとうございましたの声に一瞥もくれず、「んあ」と言葉にならない声を投げかけてくれた。風呂上りの姿は誰しもあまり見られたいものではない。はずだ。彼の優しさが胸を打つ。

そんな感じ。ナマステ。

9月8日(水)19:00 スイスペ! 「藤岡弘探検シリーズ第5弾・大自然を背景にした冒険エンターテインメント」テレビ朝日。
CM見ただけでも強烈な臭いがプリプリしてきます。おれは見れそうにないので、見た人はどこかに感想かいてください。

ドッチーモ

2004/09/02(木) result was the past form

reasults ,anytime, have to be the past form.
when we describe them , always they must make the past form.
even they didnt want , though they had to be it.


書いていて恥ずかしい… 誰も読まないといいな。
アァッオ(マイケルJ風に)


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