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2009/09/10(木)
国際自殺防止の日
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今日は「国際自殺防止の日」だそうだ。 ハッキリ言って余計なお世話である。 人間に生きる権利があるなら死ぬ権利があったっていいじゃないか?
「死ぬな、死ぬな」と言うのは簡単だけど・・・ じゃぁ、自殺しようという人間の悩みを解決してくれるのか? 自殺を思いとどまった人のその後のことまで面倒を見てくれるのか? 多額の借金は肩代わりして支払ってくれるのか? 収入が途絶えた人間の生活の面倒を終生見てくれるのか?
いい歳した大人が自ら死ぬ事で始末をつけようと決めたんだからいいんじゃないか? 死にたい奴は死ねば・・・ 問題は、子供たちである。 子供は視野が狭いから解決策を見つけることができまい。 これには助け船を出してやるべきだろう。 子供たちには先がある。 大人は・・・自分で考えろ!・・・である。 借金が増えたのも自分の責任である。 会社をクビになったのも自分が会社に絶対必要な人間にならなかったのだから、ある意味自分に責任がある。 必要不可欠な社員を会社は安易には解雇しないのが普通である。 事業の失敗はまさしく自分の責任である。
どうも世の中は過保護過ぎる。
最悪の状況に陥っても、普通は周りの誰かが少なくとも精神的な支えになってくれるものである。 気にかけてくれる人間がいれば、自殺という選択はしないはずだ。 そういう人間が近くにいないというのは、その人間の普段の行いの結果である。
子供たちには、自殺を防止するというより、物事の解決策として「自殺」を選択するという考え方が間違っていることを教えねばなるまい。
物事の責任を取って自殺(いわゆる自決)する人間は今の日本にはいない。 物事からの逃避行動としての自殺しかない。 自殺を選択する人間は、所詮、その程度の人間である。 基本的に自殺する奴は黙って自殺するものである。 相談をかけて、大騒ぎする奴はただ誰かに相手にしてもらいだけである。
だから・・・自殺防止などとは笑止千万だと思うのである。
それより、自殺を決意した人間には教えてやった方がいい。 他人を巻き添えにするような自殺はすべきじゃない。 飛び降りやガスを使った自殺に巻き添えになったら、そっちの人の方が可哀そうである。 死にたくないのに道連れになるんだから・・・ 死んでもいいけど他人に迷惑をかけるような方法で自殺はすべきではないことを教えてやるべきだ。
防止するより、こっちのほうが大事じゃないか?
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