重兵衛の独り言
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2009/09/29(火) 核兵器廃絶で平和?
米国のオバマ大統領が核兵器の廃絶を訴えたが・・・・
なぜか、唯一の被爆国である日本で発言したのではなく、プラハである。
本来ならば広島か長崎に来て発言すべきではなかろうか?
どうもおかしい・・・・
本気なのだろうか?
この発言に、軍が猛反発したという話が聞こえてこない・・・
ついつい裏に何があるのか・・・と思ってしまう。

核兵器が抑止力としての役割を果たしているが、実際に核兵器を使うことは現実的には不可能に近い。
しかし、抑止力だから持っていなくてはならない。
ということは、使えない、または使わない兵器の維持に莫大なお金をかけ続けるということになる。
核兵器を廃絶すれば、その経費が削減できる。
もしかして、その削減した経費で、通常兵器を増やす気じゃあるまいな?
そうなると核兵器廃絶=世界平和とは必ずしも言い切れまい?

米国は航空自衛隊が欲しがっている最新鋭のF22戦闘機を日本には売却しないという。
しかも、米軍は三沢基地のF16を撤収したいらしいし、嘉手納基地のF15も削減したいらしい。
おかしい・・・何かある・・・・(笑)

日本は本気で自分の国は自分の手で守ることを考えた方がよさそうである。
核兵器廃絶で平和になるなんて安易に喜んでいるどころではないのでは?

2009/09/23(水) 定員オーバー
お彼岸の連休・・・
高速道路だけではなく電車もかなり混んだようである。
乗車率100%を超したりしたらしい。
が・・・そこで疑問が・・・・
電車の場合、定員というのをオーバーしてもいいのだろうか?
調べてみたら、「定員」はあくまでも目安だからいいのだそうだ。
なんとも腑に落ちない・・・・
「定員」と言っておきながら「目安だ」と逃げている。(笑)
たとえば、乗用車などは例えば定員5名という場合、その定員をオーバーしたら警察に捕まって罰金を取られるのだが・・・
これは、乗用車などは「保安定員」ということで、罰則規定があるためだという。
これに対して、電車の場合は「保安定員」ではないので、定員をオーバーしても違反ではないというのだ。
他人の命を預かっているというのにねぇ〜
おかしくないか?
しかも、新幹線は時速何キロで走っていると思っているのだろうか?
昔の蒸気機関車のスピードとは大違いなのである。
「超特急」であるにも関わらず、定員をオーバーしてもいいのだろうか?
少なくとも新幹線の場合は「保安定員」にすべきではなかろうか?
全席指定にして、デッキに立っていることも、通路に新聞紙を敷いて座ることも禁止すべきではなかろうか?
多分、定員以内に収めるということが絶対できないということで、「保安定員」とはしないのだろう。
改善をするという気が全くないということか?
定員オーバーによる事故で死者でも出ない限り改善する気はないということか・・・
なんとも釈然としないのである。

2009/09/10(木) 国際自殺防止の日
今日は「国際自殺防止の日」だそうだ。
ハッキリ言って余計なお世話である。
人間に生きる権利があるなら死ぬ権利があったっていいじゃないか?

「死ぬな、死ぬな」と言うのは簡単だけど・・・
じゃぁ、自殺しようという人間の悩みを解決してくれるのか?
自殺を思いとどまった人のその後のことまで面倒を見てくれるのか?
多額の借金は肩代わりして支払ってくれるのか?
収入が途絶えた人間の生活の面倒を終生見てくれるのか?

いい歳した大人が自ら死ぬ事で始末をつけようと決めたんだからいいんじゃないか?
死にたい奴は死ねば・・・
問題は、子供たちである。
子供は視野が狭いから解決策を見つけることができまい。
これには助け船を出してやるべきだろう。
子供たちには先がある。
大人は・・・自分で考えろ!・・・である。
借金が増えたのも自分の責任である。
会社をクビになったのも自分が会社に絶対必要な人間にならなかったのだから、ある意味自分に責任がある。
必要不可欠な社員を会社は安易には解雇しないのが普通である。
事業の失敗はまさしく自分の責任である。

どうも世の中は過保護過ぎる。

最悪の状況に陥っても、普通は周りの誰かが少なくとも精神的な支えになってくれるものである。
気にかけてくれる人間がいれば、自殺という選択はしないはずだ。
そういう人間が近くにいないというのは、その人間の普段の行いの結果である。

子供たちには、自殺を防止するというより、物事の解決策として「自殺」を選択するという考え方が間違っていることを教えねばなるまい。

物事の責任を取って自殺(いわゆる自決)する人間は今の日本にはいない。
物事からの逃避行動としての自殺しかない。
自殺を選択する人間は、所詮、その程度の人間である。
基本的に自殺する奴は黙って自殺するものである。
相談をかけて、大騒ぎする奴はただ誰かに相手にしてもらいだけである。

だから・・・自殺防止などとは笑止千万だと思うのである。

それより、自殺を決意した人間には教えてやった方がいい。
他人を巻き添えにするような自殺はすべきじゃない。
飛び降りやガスを使った自殺に巻き添えになったら、そっちの人の方が可哀そうである。
死にたくないのに道連れになるんだから・・・
死んでもいいけど他人に迷惑をかけるような方法で自殺はすべきではないことを教えてやるべきだ。

防止するより、こっちのほうが大事じゃないか?

2009/09/04(金) 電気自動車は環境にいいか?
ふと・・・思ったんですけど・・・
電気自動車・・・・
あれって、本当に環境にいいのだろうか?
電気で走るから排ガスは出ないので環境に良いとされているが本当だろうか?
電気自動車は電気で走るのです。(笑)
しかし、その電気は外部から手に入れなくてはならない。
つまり「充電」という作業が必要です。
その充電のための電気はどこにあるのか、どこで作られているのかというと発電所です。
現在、ガソリンで走っている自動車が電気で走る自動車に代わるというと、当然、車に充電するためにも今より電気をもっと多く作らねばならない。
当然のことですが、各家庭で一斉に車の充電を始めたら町中が停電になるようでは困るわけです。
それを避けるためには、火力発電所や水力発電所、原子力発電所を今より増やさなければ対応できないのではないだろうか?
さて・・・そうなると果たして電気自動車の普及は本当に環境にいいのかどうか大いに疑問である。
ハイブリッドカーは、自分で電気を作って走るわけだから、多少ガソリンを使うとしても、こっちのほうが最終的にはいいのではなかろうか?
「自家発電」ならば発電所を作らなくていいもんね。(笑)


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