日本文学科
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2004/09/26(日) 懸賞論文をアレンジしただけ@   ゆたか
 「〜的には」ということば。わしも含めこの言い方は、最近じゃ皆使ってるように感じるけど。年配のアナウンサーであっても時々使っているのを耳にすることがある。
「〜的には」が使われる例を示すとこんな感じ。
@「わたし的には、こう思うんですけど…」
A「○○さん的には、どうですか?」
B「テレビ的には、おもしろいけど…」
C「年齢的には、親子でもおかしくない年の差が…」
 もし、これらを正しい言い方に改めるとしたら、どういった表現が適切であるだろうか。
 以上の例を「〜的には」ではなく「〜としては」という言い方に変えて考えてみる。
(ここらへん原文のまま↓)
 @、Aはそのまま置き換えて違和感はなく、正しい言い方に改めたといえる。Bについても、意味はそのままで通じるのだが、「〜としては」だけでは補う言葉が足りない印象を受ける。Cについても同様だが、「年齢」という熟語と結びつくと、「的」を用いても比較的自然なものである印象を与える。この場合「〜としては」ではなく、「年齢を考えた時には」「年齢だけを見ると」などが相応しいと思われるが、そういった細かい表現を考える手間も省き簡略化することができる。「〜的には」と言えば、「相手側に適当な言葉で補っておいてもらえる」のである。
 こうして見てきて分かるとおり、「〜的には」という表現で、本当に重要なのは「〜的」ではなく「には」の部分なのである。
「××的」とつけば、その前につくものが人称であっても、カタカナ語であっても、助詞「には」にかかる一つのまとまり(複数文字構成の熟語のようなもの)と認識されるようになってきているようだ。この他にも「若者的な」「イメージ的に」といったように、次の文節へつなげて使おうとする助詞と結びついた「〜的」は、その前につく体言(名詞・代名詞とも)を選ばなくなり、よく聞くと違和感を覚える表現になっていることが少なくない。
何で文法的に間違ってるって言えるかって、「〜的だ」「〜的である」「〜的で、…だ」と、言い切りの形で上記@〜Cの下線部の語句を当てはめてみると分かるでしょう。
しかしながら、それでも使うのは、一つにはくだけた言い方であることから相手との距離を近づけた印象になるのかなあ、ということ。
 以上のことから「〜的には」という表現を分析した結果、
・ 余計な言葉を補わなくて済む手軽さ
・ 色々な言葉に組み合わせて使える便利さ
・ くだけた印象から、相手との距離感を近しいものにする働きがある
これらのメリットから、「〜的」は便利な言葉で、若者はおろか多くの世代で使われるに至ったのである。


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