日本文学科
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2004/04/26(月) 友情と人格を巡る事件A   ゆたか
(@を先に読んでね)
中1の2学期ぐらいに仲良くなって一緒に帰るようになって、2年になったら同じクラスになれたらいいなあ、なんて思ってたけど、結局別々のクラスになっちゃったし。当然部活とかも違ったし。

そして悲しいことに、2年生になった頃に悲しい知らせが。
J君は3年になってすぐ、海外へ行かなければいけなくなってしまったのです。

学校にいづらくても、毎日通ってたのは、彼がいたからなのに。
いなくなった先のことを考えると毎日気が重くて、一日学校で辛い思いをした後に、彼と一緒に帰ってくだらない話をしながらCD屋に立ち寄ったりなんかした日には、家に帰って一人、「いなくならないで」と心の中で何度も繰り返しながらひたすら泣いたものです。思春期だったからねえ…。

中3になってすぐ、修学旅行があり、それが終わるともう彼は海外に行ってしまうという時期になってしまいました。

あの時わしがもう少し人付き合いが上手で、大人だったら、あんな事態は招かなくて済んだんだろうけど。
その当時のわしが許せないことが3つ重なってしまい。
他の友達と仲良くしてること。
修学旅行の日に、わしの部屋まで来てくれるって言ったのに、来てくれなかったこと。
そして、旅立つ日を、最後までわしに教えてくれなかったこと。

どれも些細なことだけど、わしはあくまで「彼の中の一番」でありたくて、でも怒りを表現することすら苦手だったわしは、怒りを「彼を無視すること」で表現しました。

初めはJ君もあんまり気にしないで話しかけてきたけど、あんまりこっちがしつこく無視するもので、今度は向こうから無視されろようになってしまい。
一緒に帰ることも、学校で会っても一言も口を聞けないまでに、険悪なまま。
こっちから、「ごめん」と謝る勇気がなかったこと。
当時のわしにそれだけの勇気があれば、関係も変わっていたかもしれないとつくづく思います。

旅立っていった日、見送りにも行けず、ただただ泣き続けたことは言うまでもありません。

本当なら転校したした後も、手紙を書いたり、まあEメールとか送ったりして連絡を取り合ったりしたんだろうけど。
旅立っていく前、わずか10日の間で、わしとJ君との友情はきれいさっぱり跡形もなく消え去り、一切の連絡も取っていません。ちなみに当然のことながら、その後J君は日本に何回も帰ってきてるようですが、わしには一切連絡は来ていません(汗)。

この絶交事件そのものは後悔してるけど、その反面、わしを変えるきっかけになったのは事実です。
唯一絶対の存在だった友達にまで嫌われて、何かふっきれたし。
その後しばらく一人でい続けて、一人でいるのが平気になったし(しばらくして友達、できちゃったし)。

この時期になると、そんな彼との思い出と、絶交した時の胸の痛みをしばし思い出すのです。
それでももうあれから7年経って、ずいぶんと自意識過剰なまでに成長して、もう当時のわしの心の痛みは、思い出そうとしても思い出せないものになりつつあるのかも。特に大学に入ってからは形だけ思い出そうとして、本質にある、痛みを思い出そうとしなかったな。
今回、書くにあたって、そんな心の痛みを、詳しく思い出してみたつもりです。大げさだったかな。

そして最後にJ君へ。
わしを変えるきっかけと、その前の楽しい時間をありがとう。
誰からも好かれる人なんて、この世にはいないんだから。
もしキミがそうだとしても、J君、わしは、わしだけはキミを一生嫌い続けてあげよう☆
そして、ここまで傲慢に育ったわしを、ずっと知らないでいてください♪


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