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2009/08/14(金) チャイムが鳴った!「5750分」展の終了とこれから@
・8月8日〜11日、KAPL(コシガヤアートポイント.ラボ)にて行われた「5750分展―生き残れ美術教育!」展が無事終了しました。

この一連の「時間」を通して、感じたことや考えたことをレポートします。


1:はじめに

今回の企画は、美術教師としてではなく、「美術」に携わる人間一個人として「美術教育とは何か?」を問う具体的な行動である。

またその問いは「美術とは何か?」を問うことでもあった。

平成24年度より全面実施される新学習指導要領で選択科目から美術科が消え、中学校三年間で生徒に与えられる美術の時間は「5750分」(115時数×50分)のみとなった。

美術教育の中で騒がれている危機感…授業時数の問題やそれに伴う美術教師の数の問題(各校に美術教師は一人いるかいないか)…が声高に訴えられる中で、本当に美術教育の危機、問題はそこにあるのだろうかと疑問を感じていた。

「美術教育とは何か?」という問いに対し、私たちは「十分な伝達を実感を持って生徒に、社会にしてこれただろうか?」

「目の前の生徒に与える題材一つ考えても、本当に自分自身がリアルな実感を持っているか?」

解決できない大きな問題だからと、誰かが解決してくれるのではないかと、自ら具体的なアクションを怠ってはいないだろうかと私は常に反省する。

今回、「美術」に携わる者一個人として、この問題に対し具体的なアクションを試みたいと考え、同じ問題を抱えている4人と「5750分」展を企画した。

2:自分が変化できる「場」

今回の「5750分」展の大きな成果があるとすれば、それは、参加した自分自身が変容した点にあるだろう。

以下は、展覧会を終えた時の感想を紹介する。

・大学を卒業して、教育の現場に入り、自身が「つくること」と「教えること」のギャップを強く感じた。

その「つくること」と「教えること」の間にある溝はまだ深い。
現場に入ってすぐの頃は、その溝の原因が何なのか分からなかった。

分からないまま時が過ぎ、いつの間にか「つくること」の本当の楽しさや苦しさの実感が自分自身に無くなっていき、その「つくること」の本当の楽しさや苦しさはただ「教えるもの」だけになっていた。

その時、両者の間にある溝はさらに深くなっていく感じがした。その問題に目を背けるたびに、溝は深くなった。

しかし、ある時、自分から具体的なアクションを起こしていくことで少しずつだけれどその二つは寄り合うことに気づいた。

その時、常に自分から行動しようと思った。今回の「5750分」展もその一つ。

つくることは、自分でも何だかわからないものに挑んでいく戦い。その姿を目の前の生徒にみせていくこと、ものをつくることの楽しさや苦しさを共有出来たらと思う。先生も悩んでいる、戦っている。

美術の他教科にはない魅力はこの点にあるのではないか?時に同じ地平で物事を考えることが出来る。それが一番言葉ではないか?

自分が今持っている問題についてリアルな実感を得たいと持った時、やはり自分で「場」をつくり発信していかなくてはならない。

なぜなら、誰かが用意してくれた「場」で誰かの責任で何か体得できたものは自身にはリアルな実感を伴って残りにくい、全責任を自分で負うという覚悟が一つの言葉でありたいと考えるし、それがつくるということだと信じたい。

ひとつのアクションが終わると次のアクションが具体的になる。次のアクションに向けて動き出したい。 浅見俊哉

・迷ったり、悩む時間の楽しさを再確認した。教える側だけになったら生徒のこの時間をなかなか抽出するのは難しい。

自分が作品制作をしているときに現れる悩みの楽しさを生徒にも伝えたいと思った時、やはり自分の作品をつくっていたい。 柴直子

・4日間はあっという間だった。現場に入って3年目になって形が出来てきて、「美術とは何か?」や「美術教育とは何か?」と、考えることをどこかでやめてしまっていた自分に気がついた。

自分でつくった形に甘えてた部分があった。常に自分が考えていなければいけないし、発信しなくてはいけない。これからも、いろいろ考えてやっていかなくてはならない。 廿楽紘子 

・大学を卒業して現場に放り込まれて何だかよくわからないもやもやしたものが自分の中にあったが、自分でチャレンジすることでそのもやもやが少し消えた。

自分でできることを整理出来た。今回の行動が、私の二学期からの力になった。 島田温子

何か分からないものを分かろうとする行動が出来る場は、どれだけあるだろう?

全てが目的化され、成果を求められる中で、分からないからやるという言葉が認められる場はどれだけあるだろう?

目的や成果から手順を考えるのではなく、結果からその問題を考えるのではなく、分からないからやる、検証できる「場」を今回つくりたいと思った。


・「次へ」のエネルギーの創造

私の尊敬する人が「いい作家は、人を作家にする」と言っていた。いい作家はいい作品をつくるのではなく、人を作家にするのだという。

次にその人がアクションを起こしてしまう、そんな行動が今、社会は求めているのだと思う。

自分で自分の問題に立ち向かうエネルギーを湧きあがらせる行動をこれからもしていきたいと強く感じた。

(5750分展覧会ノートより一部抜粋:記録者・浅見俊哉)


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