asa. Diary
asa.の「今日」です。
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2009/06/23(火) 走りたい
・何かの拍子に全力で走ってみたくなる時がある。

初めの1、2歩から、3歩、4歩…

次第にスピードにのってくると日常の景色が段々と認識できなくなり、そのうちに身体性も失われてフワっと体がなくなったような感覚を得られる。

この時、確認できるのは見えないものたち

風と、自分の身体性。

目に見えないものにも価値を見出したい。目に見えるものと同様、それ以上に。



・美術の一番最初の時間に三つの質問をした。


「あなたのすきな色は何色ですか?」

「あなたのたいせつなものはなんですか?」

「あなたの一番美しいと思うものはなんですか?」


美術とはこれらを生涯にわたって見つけていくことだと思う。


今日、「あの質問って道徳みたいですよね」ってある生徒から言われた。「美術と道徳ってすごく似てる!」とその生徒は続けた。

「どんな所が似てる?」と尋ねると笑って生徒は「答えがないところ!」と答えた。


・今日の一写一想
『認識の速度』(#430)
http://blogs.yahoo.co.jp/a_s_a_1_9_8_2/60026284.html

2009/06/22(月) カプルカップル!
・KAPL(コシガヤアートポイント・ラボ)のアート情報マガジン

『KAPL CPUPLE―カプルカップル』を配信します。


チラシをダウンロードして持参した方にドリンクを差し上げています。

ぜひ『カプルカップル』を片手にアートを見に来てください。



六月の展示は前回お知らせさせていただいた『白昼夢にて』という展覧会です。

詳細はコチラ
http://kapl.exblog.jp/


お待ちしています。

2009/06/21(日) 「個」として
―「個」で対等に話がしたいと思ってもなかなか難しいのは、社会という場ではしょうがないことなのだろうか

所属やダレダレ先生の師事などを一切抜きにして、目の前にある作品と自分の「個」で話をすることは出来ないのだろうか―

アートに可能性があるとしたら、私は誰もが対等な平地に立てることだと強く実感する。

「個」としての制作者は、その作品に対して、100%の責任を持つ必要があり、またその作品を観るのであればそれに対等な、つまり「個」として100%で対峙する責任があるだろう。

商談などはそれをしてからにしよう。

人間と人間でまず何が生み出せたか、

それを見ずして、話を進めたくはない。




 現在の社会が混沌としている一つの理由に、責任の所在の不明確さがある。ミスを誰かのせいにして自らを守る連鎖。

自分の責任を自分の仕事に100%持つことが出来ないから、仕事が曖昧になり、責任のなすりつけ合いが始まる。

「個」として自らの責任を100%持ち、皆が立てばもう少し社会は良くなるはずだろう。

皆、何かをつくっているアーティスト。

常に100%の責任を持ち目の前の事柄に対峙したい。



今日の「一写一想」

『アンサア』
http://blogs.yahoo.co.jp/a_s_a_1_9_8_2/59998642.html

『自鳴琴』
http://blogs.yahoo.co.jp/a_s_a_1_9_8_2/59999264.html

2009/06/11(木) 面白い大人
―面白い大人になりたいと思うし、面白い大人に出会いたいと思う。



今年度から、SMF(サイタマミューズフォーラム)という埼玉県立近代美術館が中心となっている組織に協力委員という形で携わらせていただいているが、ここでの議論がとても熱い。


面白い大人が様々な意見交換し、議論が進んでいく。


アート関係者に向けて発信するとアートに携わっていない方には全く興味がない内容になり、アートに向けて発信するとアート関係者には面白い内容にはならない。

そこにあるラインのこっち側とあっち側をどう考えていくべきか。

私は、作品というものを今まで以上に大きな視点で捉えていく必要があるのではないかと考えている。

モノとしてのアートなら美術館の展示室やギャラリーのホワイトキューブで事足りる。

しかし、今、アートは人々がアートによって生じる関わり合いに価値を見出し、それを無視できない状況に来ている。

ホワイトキューブではアートは収まりきれなくなってきているし、目で見えず、数字でも表せないモノをどう捉えるかがとても重要になっていると私は考える。

SMFは美術館があるのに、あえて野外での活動をしようとする矛盾に満ち溢れた組織だ(笑)

その矛盾の中に、アートが持っているダイナミックさや血の通ったリアル感が息づいてくると私は信じている。

私は、矛盾とは、二つの事象に気が付いていなければ認識することのできないものであると考えている。

つまり一つの問題点を二つの視点で捉える事が出来なくては矛盾に気がつくことができない。

大竹伸朗氏は作品制作の動機は矛盾にあると言った。

私も矛盾を抱えながら行動していこうと思う。

面白い大人になろう!

2009/06/10(水) 矛盾の溝と理想
・理想と社会の間には大きな溝がある。

その矛盾の溝を寄り合わせていくのが私の毎日。

溝に落っこちてしまえば楽なのかもしれないが、落っこちてから這い上がってくる自分のイメージができないので私はそれをしない。

矛盾の溝を寄り合わせていくのは一日や二日で一致させることができるようなものではなく、昔教科書で習った大陸移動説ほどの長い年月が必要となるのかもしれない。

生きているうちに「これだ!」という手ごたえがつかめればそれはとても運のいいことなのだろう。

いつだって「そんなこと無理だよ」という連中は、挑戦し続ける自分をイメージし具体的に行動することを止めてしまった人たちだ。

また「そんなにやってどうなるの?」という人たちは、進んでいく人間が主体的に行動することをカッコ悪いものとして自分の檻の中で自分を可愛がっている人たちだ。

自分で行動することでしか自分の理想に到達することはできないことは皆感じている。

しかし、社会の中でその青い理想を声高に叫び続け、実践することの難しさは本当にとんでもないエネルギーを必要とする。

自らの理想を社会に迎合しねじ曲げてはならない。

毎日の反省を心がけ明日の理想に向かおう。

今、まだできることがあるはず。

よし!気合が入ってきた!

もういっちょいきましょう!!

2009/06/03(水) 子どもと一緒に絵を見る
サムフランシスの「ポーラレッド」を子供たちと見た。

五分間じっと絵を静かに見続け、思いついたことをワークシートに書く。

殺人現場、人が三人ダンスをしている、左下の黒いしみが人の顔に見える、そのしみが魚に見える、文字で「カス」と書いてある、雑に絵具をばらまいた、花畑みたい、道路が広がっている、鳥居の形、赤の面積が多い、色の工夫をしている、死体、魚のうろこが飛び散っている、明るい絵、怖い絵、グロテスク、戦争、だんだん楽しくなって沢山のいろをばらまいた、晴れているのに雨が降っている…

意見を発表してもらい

自分の意見にはないものを「友人の意見」の欄に書く。

他者の意見を聞いてもう一度絵をみると、驚くことに本当にそう見えてくる。またさらに新しいものを発見できることもある。


友人の意見と自分の意見が似ていたら線を結ぶ

例えば、「殺人現場」―「死体」―「戦争」等


子どもたちは「死体」などというイメージが浮かんだことがいけないことだと思い発表するのをためらっていた。

しかし、「戦争がおきて人が死んだ絵」という発表をした子どもが「同じような意見はありますか?」と尋ねたところ、約2/3の子どもが共通のイメージを絵から受けていた。

この意見の後、自分の抱いたイメージが自分ひとりの「変な考え」ではないことを実感した子供たちは自由な発想をし、それを友人に伝えては絵を見直し、自分の意見を友人に話し、伝えるという時間が続いた。

この体験の感想には、
「自分の意見を人に伝えられてとても安心した。」
「人の意見を聞くことで自分の発想力が高まった」
「自分ではどうしても納得のいかない意見もあった。」
「作者が本当は何を考えてつくっていたのかしりたい」
「はじめはただのぐちゃぐちゃな絵だと思ったけど、形をいろいろ考えることで見えてくる不思議な絵だと思った」
「作品は時間をかけてみるとそこに何が描かれているかわかった」
「細かいところに集中してみる人もいれば画面全体を見る人もいて面白かった。」

などの感想が飛び出した。


自分の意見を他人の意見と比べてみる。

そして双方の共有できるところを共有し、共有できないところはとことん話し合う。

話し合えば大抵は、喧嘩になることもなく「確かにそう見えてくるね」とお互いの意見を尊重し合った。



 子どもと絵をみてみよう!

その時に自分も意見をもつこと。

それは作者の画歴や時代背景の情報ではなく、自分の絵を見て生まれたイメージをもつこと。

それを闘わせてみることで、自分がどれだけ情報でものを見、それに閉じ込められてしまっているか実感できる。

明日も子どもと絵をみてみよう。


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