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2009/02/26(木)
テノヒラメモ
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●自らの定めた領域以上の領域を超えることは出来ないので、常に「次」に超える領域を自らつくり続けなくてはならない。
また規制の領域は大抵、自らを守るために高く積み上げられていることが多いのでこれらを問題とする時は、領域の中にいる自分で対峙するのは問題外で、全身全霊を持ちどこにも所属することの無い生の自分で対決する以外に規制の領域を真に打ち破ることも、その規制の領域の大きさを実感することも出来ない。
海を眺めていても、深さは解らないし、温度は解らないし、海の味も解らない。
死ぬかもしれないけれど飛び込んでみてはじめて解ることがある。
●思考し実践することを繰り返すことで、想像が実現出来、また「次」の想像をすることが出来るようになる。
その瞬間の為だけに何かをつくっているといっても過言ではないくらい「次」の想像が出来た時に得られる充足感は心地よい。
誰かが出来ることは誰かに任せておく。
誰かの仕事をなぞることなく、自分が見たいものを追及して行こう
●最近は展覧会をつくることも面白い。
展覧会企画者と出品作家と来場者、地域を一つのラインで繋ぐ展覧会。
そこには全ての人に主体性が求められる。
●自然科学と芸術の根本的な相似点を実感できるような展覧会をつくりたい。
●「住するところなきを、まづ花と知るべし」という言葉をある本で見つけた。「停滞しない流転の最中にこそ花は生じる」という意味らしい。「流転の結果」ではなく「流転の最中」というところがとても良い。おそらくこれは第三者からの視点だろう。「流転の最中」には自らは確認できず、美しい花が咲いていたとしてもそれに気が付かない。いい言葉だ。
●対象をみたとき、何によってその対象の価値を決めているか。おそらく自分とは遠い場所でその価値決定をしてしまっている。
今日の『一写一想』 http://blogs.yahoo.co.jp/a_s_a_1_9_8_2/58828229.html
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