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2008/05/20(火)
プロジェクトにおける「作品」とは何か?
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プロジェクトにおける「作品」とは何か。
ギャラリーで発表する作品とプロジェクトにおける「作品」には異なる点がいくつか存在すると感じる。
今回のプロジェクトにおける展示への言及は、街に存在する商店での展示を行ってきた経験に基づく。
・空間性
限られた空間で作品を良く見せる工夫は、ギャラリー、商店に限らず同じであるが、商店などの店先で「作品」を展示する際、商店はすでに商店主の商売促進インスタレーションの中であるという条件が加わる。
その条件を「作品」と関連付けたり、観る人に意識させたり、「作品」のメッセージやコンセプトをより伝えることのできる要素として意識し、活用する必要があり、また上記のことを意識せずにただ作品を置くだけでは、商店という場所に「作品」を展示する必要性がない。
・一番の鑑賞者は店主
商店に「作品」を展示するということは、常に「作品」展示空間に店主がいる。つまり一番長く作品を鑑賞するのは店主である。そして、その店主は自分の店に強いこだわりを持っている。その条件があることで、自分の好き勝手な「作品」を展示することはしにくい。またそれを現実にする為には、店主との密な相互理解が必要になる。
・「作品」を観る目的でない人が展示空間に訪れる
商店は人々が生活するうえで欠かせない存在だ。美術館やギャラリーは作品を観に来るという目的で人が訪れるが、商店は「作品」を観に来る目的の人はほとんどいない。そういった状況で「作品」を展示するということはどういうことか。それは「作品」そのものを問うということではないかと私は考える。
・「作品」の価値をどこに求めるか
ギャラリー、商店などといった展示空間だけに限られた問題ではないが、特に商店での展示の際、「作品」の価値をどこに求めるのかを自分なりに持っていなくてはならない。 「作品」クオリティのエクスキューズを『「作品」が地域とのコミュニケーションを生成した』だけに求めてしまうのであれば、何も「作品」を展示する必要はない。
・反応が「作品」になり得る
これも、ギャラリーや商店に限ったことではないのかもしれないが、例えば、「作品」を展示した商店の店主や、いままで美術やアートを自分には無縁だと考えていた人が作品を観たことで興味を持ったり、自ら作品制作側になるという行動を起こしたりする人が現れる反応が少なからずある。
または、自分が気が付かなかった自らの「作品」への見方・考えが突然何の気なしに店に来ていた人から飛び出すことがある。
それらを抽出して、万人に共通に分かるように明示することはとても困難だが、私は自らプロジェクトに関わり「作品」を展示した経験から生じたそうした反応を実感することで、すでにある「作品」が違って見えたり、新たな「作品」に繋がることがある。
その経験から、「作品」を観に来る目的の人よりも、「作品」を見に来る目的でない人から出る言葉はとても具体的でハッとすることが多く感じる。
プロジェクトは、『「作品」とは何か?』という問いに対して仮説をたて検証する場である。また制作段階・展示段階における自分ではない他人(店主)の介入が多く生じることがある。
一方、
『作品が観られる場』という前提条件のある美術館やギャラリーは作品そのものが作品かを問うこと、作品とはそもそも何かを問うことは、ほとんどない。そして、自分自身との深い対話や思考が制作段階・展示段階のほとんどを占める。
決定的に異なるのはこの点ではないか。
今年の「まちアートプロジェクト(MAP)」ではこの点をもっと深く考えて行こうと思います。
写真:昨日5/19、MAPの代表が埼玉大の『芸術学概論A』 で特別講義を行いました。まちアートプロジェクトの実践を紹介しました。
詳しくはコチラへ↓
http://townart.exblog.jp/
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