asa. Diary
asa.の「今日」です。
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2008年5月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新の絵日記ダイジェスト
2012/10/17 戦の後で
2012/07/31 ないしょ話
2012/03/23 最新情報のご案内
2011/10/08 神奈川県立近代美術館・葉山館にて『モホイ=ナジ/インモーション』展関連企画
2011/09/05 「5750分展V」の取り組みが東武よみうりに掲載

直接移動: 201210 7 3 月  201110 9 8 7 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 月 

2008/05/25(日) タイミング
選択するべきタイミングが目の前に現れました。

前から想像をしていたので驚きはしなかったのですが、さあどういう回答をするか。

最優先は「楽しく刺激的であること・近くに恐怖を感じること・挑戦する価値のあること・全てを想像できないこと」

それが自らを拡張することのできる最大の原動力になります。

「お腹の中をぐるぐるして胸から喉にまで持ち上がってくる何か」の存在をタイピングをしている今でも確認しています。


少しずつやってきて様々な選択をしてきたその先には、少し進んだ選択が待っている。


そのタイミングに気付けることが第一。次に自らの拡張に正直かどうか。


もう少しこのぐるぐるを楽しんでみます。




レッドリボン、天津飯の次はピッコロ、ラディッツ、ベジータ、フリーザ…。

いきなり強敵は前には現れない。現れていてもそれを確認は出来ない。

確認できたのなら全力で対峙するのみ。

さあ、はじめようか!

2008/05/20(火) プロジェクトにおける「作品」とは何か?
プロジェクトにおける「作品」とは何か。

ギャラリーで発表する作品とプロジェクトにおける「作品」には異なる点がいくつか存在すると感じる。

今回のプロジェクトにおける展示への言及は、街に存在する商店での展示を行ってきた経験に基づく。




・空間性

限られた空間で作品を良く見せる工夫は、ギャラリー、商店に限らず同じであるが、商店などの店先で「作品」を展示する際、商店はすでに商店主の商売促進インスタレーションの中であるという条件が加わる。

その条件を「作品」と関連付けたり、観る人に意識させたり、「作品」のメッセージやコンセプトをより伝えることのできる要素として意識し、活用する必要があり、また上記のことを意識せずにただ作品を置くだけでは、商店という場所に「作品」を展示する必要性がない。


・一番の鑑賞者は店主

商店に「作品」を展示するということは、常に「作品」展示空間に店主がいる。つまり一番長く作品を鑑賞するのは店主である。そして、その店主は自分の店に強いこだわりを持っている。その条件があることで、自分の好き勝手な「作品」を展示することはしにくい。またそれを現実にする為には、店主との密な相互理解が必要になる。


・「作品」を観る目的でない人が展示空間に訪れる

商店は人々が生活するうえで欠かせない存在だ。美術館やギャラリーは作品を観に来るという目的で人が訪れるが、商店は「作品」を観に来る目的の人はほとんどいない。そういった状況で「作品」を展示するということはどういうことか。それは「作品」そのものを問うということではないかと私は考える。


・「作品」の価値をどこに求めるか

ギャラリー、商店などといった展示空間だけに限られた問題ではないが、特に商店での展示の際、「作品」の価値をどこに求めるのかを自分なりに持っていなくてはならない。
「作品」クオリティのエクスキューズを『「作品」が地域とのコミュニケーションを生成した』だけに求めてしまうのであれば、何も「作品」を展示する必要はない。


・反応が「作品」になり得る

これも、ギャラリーや商店に限ったことではないのかもしれないが、例えば、「作品」を展示した商店の店主や、いままで美術やアートを自分には無縁だと考えていた人が作品を観たことで興味を持ったり、自ら作品制作側になるという行動を起こしたりする人が現れる反応が少なからずある。

または、自分が気が付かなかった自らの「作品」への見方・考えが突然何の気なしに店に来ていた人から飛び出すことがある。

それらを抽出して、万人に共通に分かるように明示することはとても困難だが、私は自らプロジェクトに関わり「作品」を展示した経験から生じたそうした反応を実感することで、すでにある「作品」が違って見えたり、新たな「作品」に繋がることがある。

その経験から、「作品」を観に来る目的の人よりも、「作品」を見に来る目的でない人から出る言葉はとても具体的でハッとすることが多く感じる。




 プロジェクトは、『「作品」とは何か?』という問いに対して仮説をたて検証する場である。また制作段階・展示段階における自分ではない他人(店主)の介入が多く生じることがある。

一方、

『作品が観られる場』という前提条件のある美術館やギャラリーは作品そのものが作品かを問うこと、作品とはそもそも何かを問うことは、ほとんどない。そして、自分自身との深い対話や思考が制作段階・展示段階のほとんどを占める。


決定的に異なるのはこの点ではないか。





今年の「まちアートプロジェクト(MAP)」ではこの点をもっと深く考えて行こうと思います。




写真:昨日5/19、MAPの代表が埼玉大の『芸術学概論A』
で特別講義を行いました。まちアートプロジェクトの実践を紹介しました。

詳しくはコチラへ↓

http://townart.exblog.jp/

2008/05/08(木) 思考しながら走行する
早くも5月も中旬に入ります。


タイトルにもあるように最近は「思考しながら走行」しているような慌しさです。


GW周辺は、様々な人と出会い、その場で活動をプレゼンをさせていただく機会がありました。


その声は今年度の活動を拡張できるような予感に満ち溢れていたら、もう走るしかありません。


ガンダッシュです。





エネルギーのある作品にも触れました。


東山魁夷展、川村記念美術館のロスコ、フランクステラの作品群そして、大竹伸朗「全景」展のカタログ(というか凶器)を紀伊国屋で購入し、当時の衝撃を呼び起こされました。




新たな作品の制作も始めました。

ご期待下さい!








写真は川村記念美術館での一枚


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.