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2008/12/09(火)
頭でみている
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昨日、勤務先の生徒対象に絵画の鑑賞をやった。
絵画鑑賞といっても図書室にある作家別図版で気に入った作品を見つけてなぜ気に入ったのか理由を書くというもの。
50冊(50作家)ほどある図版から各々気に入った作品を探していくのだけれど彼らの視点はとてもクリアだ。
それを痛感したのは、クラナハという作家が描いた母子像の絵画を選んだ生徒のコメント。
「この絵は保育所の絵だと思います。だって天使のような赤ちゃんがたくさんいてやさしそうな保母さんが赤ちゃんを大切そうに抱いているからです」
とあった。
私たちはこの手の絵画を見る時、教えられた様々な知識が絵画をみることよりも先に現れ、頭で理解してしまうことが多々ある。
彼のコメントからは宗教を超えた先にある「母が子を慈しむ」という万人に共通して言える願いのようなものを実感していると私には感じられた。
「みる」ということはどうしてこんなにも難しいのか。
もちろん知識を通してみることの大切さを否定するつもりはないが、出来ることなら、知識で見る前にみる経験をしたい。
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