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2007/09/20(木)
NY紀行E―美術館巡り―
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2007.9.7
起床。
昨日の出来事を反芻しながら歯をみがく。
よくもまぁここまで来たな。
と思う。
物理的な距離の問題ではなく、大学入学とともに美術に出会い、ここまで続けていることに自分でも時々おかしくなる時がある。
そして今ここにいることが、ずっと続けてきた線の最前線なのだと。
その線を伸ばしていくかどうかは、自分次第なのだと。
ここに来てから強く実感する。
今日は、グッケンハイムとホイットニーへ行き、時間があればMoMAへ行こうというプランをたてた。
鍵をかけアパートメントを後にする。
朝食を買い、セントラルパークのこもれびの中で食べる。
ここについてからは、都市のにおいばかりだったが公園のにおいはどこもそんなに変わらない。
日光浴をしている人やジョギングをしている人、サイクリングをしている人が気持ち良さそうに時間を過ごしている。
グッケンハイム美術館は残念なことに改装中で、中の展示物は半分ほどしか観ることができなかった。
けれど、強いインパクトをうけた作品があった。
薄い青。曇り空のような色調。暗い室内。痩せた女は裸で「静かな狂」の表情で何かを制作している。初め見たときは陶芸などの器を制作しているように感じたが、よく見ると両手で押しているのはアイロン。細い腕から発することのできる最大限の力をそこに感じる。そして女はこれが最後の役割とでもいうように力をこめる。その役割も女にとってはもう関係のないことなのかもしれないと、絵の前で自分なりのエピソードができていた。
館内をぐるぐるして、作品を見ていく(発見していく)この美術館は、私にとって、海の磯の洞窟や、鍾乳洞、自分の背丈よりも高い草むらのようだった。
その中で宝探しをしたかつての探検の記憶とリンクして楽しいものだった。
作品を見終わり、カフェで一休み。
歩いてホイットニー美術館へ。
ホイットニー美術館では、「RUDOLF STINGEL」の作品展が行われていた。
エレベーターで展示室へ行くとフロア一面の銀世界。
壁面にはアルミホイルが貼られ、鑑賞者が落書きやメッセージなどを残していくことで作品自体が変化していくという作品が展示されていた。
時間ごとに、人の痕跡によって変化していくこの空間をずっと見ていたいと思った。
その他の彼の作品は、「跡」をテーマにしている作品が多かった。その中で印象に残っているものは、足跡そのものを白いスタイロフォームに残した作品。
足跡を可視化したもので、厚いスタイロフォームに残っているため立体感がある。
雪の上や砂浜、雨上がりの道で足跡を残して遊んだ時に見たそれと同じようなものだったが、この作品の足跡はすぐに消えてしまうことがない。
熱や波といった自然の現象に影響を受けずに残る足跡に強さを感じた。
美術館をでるとあたりは夕方の準備をしていて、昼間よりも涼しくなっていた。
昨日、冷静に見ることのできなかったMoMAへ。
今日は金曜日なので無料で入場することができた。
ある企業が、毎週金曜日の入場者の入場料を払ってくれているらしく、アートに対する意識の大きさを実感した。
昨日、確認作業になってしまった作品たちを冷静によく見ることで、驚きと感動があった。
帰りの地下鉄の中、たくさん見た作品を一つ一つ思い出してみた。
観たはずの作品の量と思い出すことのできる作品の数は一致しない。
けれど、思い出すことのできる作品は、自分の経験や生活、感情や記憶と強く結びついて生なましく思い出すことができた。
また来て見る日には、その思い出すことのできる作品が増えていたらいいなと思う。
そのためにはやっぱり、私自身の日々が大切なのだ。
沢山の出来事を経験し、様々な思いを大切に、自分の中に収めておこう。それが作品をリアルに自分のものとできる方法だ。
夕食を買い、アパートメントで食べる。
明日は、展覧会のオープニングレセプションだ。
質問に備えて準備をしベッドに入る。
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