asa. Diary
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2007/09/17(月) NY紀行D―みるということ―
2007.9.6


起床。


アパートメントの天井が第一視であることにも慣れてきた。


カメラに昨夜充電していた電池を積め、アパートメントをでる。


150stの特有のにおい。


NYで感じている、様々なものの混合。


それは、においであったり、意識であったり、後に実感できる文化、人間そのものである。


吐き出されるもののなかに私はそれを見、感じているのだという確信が生まれつつあった。


今日も暑い。


私たちはいつものように142stで地下鉄に乗り、53st五番街にあるMoMA(ニューヨーク近代美術館)へ向かう。


エントランスを抜け入場料$20を支払う。


特別展はリチャード・セラ。


これまたいいときに来たなとワクワクする。


チケットを見せて入場する。





開放的な空間の先、中庭に設置された巨大なうねりあう鉄板。


鉄板の間に入ると、自らの背丈よりもはるか高くそびえる鉄板に視界はさえぎられ、頭上には切り取られた空が見える。


うねりあう鉄板の中を歩いていくと平衡感覚が上手く保てていない自分に気付く。


頭の中がぐるぐるして来たら立ち止まり空を見る。


作品を体感し、展示室へ向かう。


MoMAの展示室は2階〜6階に設けられていて、それぞれの階で展示作品のジャンルが分かれている。


2階:コンテンポラリー、メディア、版画

3階:建築、デザイン、ドローイング、写真

4階:絵画・彫刻U

5階:絵画・彫刻T

6階:特別展(リチャード・セラ)



リチャード・セラの熱を保ちながら、6階へ。



広い展示室の中に、またまたうねりあう鉄板たち。



庭に設置されたそれとは異なり、見上げても天井しか見えず、平衡感覚の狂いを癒すことができずに鉄板同士の間を歩く。



次第に平衡感覚の狂いから生じる気持ちの悪さは、恐怖感へと変わる。



出口を求めて早足になるほど平衡感覚が狂うという悪循環。



やっと出ることができたが、とてつもない疲労感を体に伴っていた。



少し休み、5階の展示室へ。



一番見たかった「Jackson pollock」の『one No,31 1950』。



今考えると、その圧倒的なスケールで迫る「熱」の前で、ただ立っていることしかできなかったように思う。



絵の具とともに様々なものが混ぜられていることも教科書の図版ではみることができなかった。



ブランクーシの作品にも圧倒された。



『空間の鳥』のスケールは想像していたそれよりもずっと衝撃的だったし、『無限柱』の持つ空間感も良かった。



4階、3階、2階と巡回し、2階のカフェへ。



その後見た作品のほとんどは、教科書や何らかの資料でみたことのあるものだった。



「ああ、これね」と、ただの確認作業になってしまった作品もかなりの数あった。



図版でみることに慣れてしまったことで、本物を前にした時にただの確認になってしまうことは、自分の中でどうしたらいいのか分からなかった。



「知識は時として真の感動の妨げになる」



といつも思う。



誰かの言ったことや、評価や他の価値基準によってものごとの決定をしていないだろうか?




私たちは、どれほど純粋にものごとをみる事ができているのだろう。



本物さえ刷り込まされた偽者に色あせてしまう現実を前に、私は、感動することに純粋にならなくてはと思った。自分の直感や好きなものに正直にならなくてはと思った。



ありふれた印刷物に驚き、疑問を思った「一番初め」を忘れずに持ち続けることだ。



あらゆる現象に対しても同じことが言える。



みることに対して再思考をすることができた。



私にとってこれはとても大きなことだ。MoMAに来てよかった。



みることはとてつもないエネルギーを使う、MoMAを出た時はこの上ない疲労感を体に感じた。けれど心地よかった。




その後、お世話になっている人にポートフォリオを持って行き、作品について、アートについて話をする。



そしてノートに言葉をもらう。



 ―LISTEN, FRIEND

  ART IS HARD

  BUT WORTH

  LIVING FOR

  AND AS THE POET

  SAID, IF THINGS

  GET TOUGH―

  「Try again,

  Fail again,

  Fail better.」

  Samuel Beckett


  Amelia ‘07



「信じてやり続けなさい」

「ひとつのものをじっくりみなさい」

「広い視野をもちなさい」


これら言葉と、共有した時間は今後の私の指針になると確信した。


何かを達観している人は、同じことを言葉にする。


そして未だに求め続けている。


私もそうでありたいと、強く思い岐路についた。




仲間と今日を振り返りながらの夕食。

かけがえのない時間が過ぎ、明日へ向かう。





とりあえず、今日は深く眠ろう。


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