asa. Diary
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2007/06/18(月) 「時間」の実感 ノマディック美術館
グレゴリー・コルベール「ashes and snow」展:ノマディック美術館に行ってきました。

http://www.ashesandsnow.org/jp/index.php

休日ということもあり、沢山の人が訪れていました。

約35分待ちで、日差しの強い昨日は辛かったです。



今回の展示の為にコンテナを四段に積み上げ建設されたスペースに、約50点の写真、映像3点が展示されていました。


この美術館は、展示後撤去されるらしいです。




作品は、見たこともない光景と現象の「時間」がそこには写っていました。


作品を見ていくと現実にこの「時間」がある(あった)ということに奇妙さを感じ、次第にそれが大きくなってきました。


しかし、奇妙さは大きな衝撃に変わりました。


この「時間」を撮る為には、想像も付かないほどの時間が必要だと実感したからです。


動物のしぐさや、動物と人間との距離、構図を計算されセピア調に統一された作品は、アーティストによって、長い時間をかけ試行錯誤され、初めて生み出せるものなのでしょう。







展覧会中に頭の中に浮かんだことは、


「ロバート・ノージック『生のなかの螺旋』1989年」の一説です。


「肖像画と肖像写真を比べた時、なぜ肖像画に深みがないのかを考察し、これを時間の量に関係付ける。写真は、被写体の瞬間的映像を提供するのみであるのに対し、肖像画は、モデルの座っている間の延長した時間の結果であり、その間(画家がモデルを描いている時間)に人間とおそらく光などといった環境に変化が起こっている。」


といったものです。


写真を撮る時も、もちろんシャッターを押す時だけが作品制作ではありませんが、じっくりモデルとその周りの環境に身を置いて思考し、観察して思考する連続を繰り返すことで制作してゆく絵画の方が時間的な量が多く、肖像画には肖像写真にはない深みがにじみ出るというのが作者の見解なのだと私は解釈しました。


グレゴリー・コルベール氏の写真はローバート・ノージック氏のいう肖像画の時間を内在しているのではないかと思いました。


先日の日記で記述した「つづけるエネルギー」はこうして作品に現れてくるのだと実感した作品展でした。


展覧会は6月24日までです。


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