asa. Diary
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2007/04/11(水) 『またたき』の「対話型鑑賞」レポート
4/8に行われたアメリア・アレナス「対話型鑑賞」の様子を報告したいと思います。


梅野記念絵画館では5つの作品について「対話型鑑賞」が行われました。


その中で、木下晋氏の絵画4点の後、エントランスに展示された私の作品『またたき』での「対話型鑑賞」の様子をレポートいたします。



メモを取りながらトークを聞いていたのですが、100%その場の出来事と一致していない点もあることをご了承ください。)








アメリア・アレナス(以下:A・A)「それでは、最後に(木下晋展の4つのトークの後)玄関にある作品を見てみましょう!レッツゴー!」



―エントランスにある作品を前にして



A・A「それでは、この作品の周りを歩いてみて!」



―子供たちは作品の周りをくるくる回り始める。



A・A「それでは、座ってじっくりみてみましょう!」



―子供たちは『またたき』の周りに腰を下ろし、作品をじっくりみる。



A・A「それでは、思ったこと、感じたことを聞いていきたいと思います。」



―アレナスの隣の児童が発表する。



児童1「めだかがいるみたいだけど、星が生まれたようにみえる。」



A・A「あなたは、水面にも見えるし、空のようにも見えたってことかしら?おもしろいわね。貴方はどう?」



児童2「何かが落ちたんじゃないかな」



児童3「山の中にある湖に石が落ちたんじゃないかな」



A・A「山の中だと思ったのはどうして?きれいな水だと感じたから?」



児童3「そうです。」



A・A「なるほど。次の貴方はどう感じた?」



児童4「私は、水の中に石が落ちたと思いました。」



児童5「私は、一つ一つ(『またたき』の波紋)が似ているようで似ていないと思いました。」



A・A「一つ一つ見てみると確かに似ているけれどどれも違うね。貴方はどう?」



児童6「池や湖の中に石が落ちたみたい」



児童7「いろいろな大きさの石を池に落として撮ったものじゃないかな」



A・A「一つ一つの(波紋の)大きさが違うから、そう感じたの?」



児童7「そうです。」



児童8「私は、どうしてこうした写真を撮ったのか知りたい。」



A・A「その疑問は最後にとっておきましょう!忘れないように。次の貴方はどう感じた?」



児童9「おもしろいと思いました。」



児童10「いろいろな形を写したものだと思います。」



児童11「石を落として、水がどのように変わるのかを調べたと思います。」



A・A「実験的に何度も何度もやってみたのかもね。最後に貴方はどう?」



児童12「僕は遊びで水面に石を投げていたら面白くなって、沢山の石を投げたのだと感じました。」



A・A「そうかもね。では、この作品をつくった浅見俊哉さんを呼んでみましょう!浅見さん!こっちに来てください。」



―アレナスの横に招かれ、私に児童の目線が集中する(緊張が最高潮に高まる瞬間である)。



A・A「さっきの質問(児童8の質問)に答えてください。」



私:「私がこの作品をつくった理由は、水面に広がる波紋に自分自身を確認できるからです。なぜなら、私がいて、水面に石を投げなくては波紋は生じません。生じた波紋は自分自身です。」




A・A「さっきみた、木下さんの自画像を描いた作品もそうだったけれど、アーティスト達は、自分自身を作品に投影しようとします。鉛筆で描く絵、石を投げて生じた波紋を撮影した写真…そのどちらも、水面の作品に浅見さんの顔は写っていないけれど、同じ自画像の作品です。つまりこの作品は、浅見さんの自身なのかもしれません。」






A・A「今日は、沢山の意見を発表してくれてありがとう!これでトークを終わりにします。」




―一同から拍手が生じる。









私は、この「対話型鑑賞」の様子を見ていて、自分自身が行った行為(楽しみながら石を水面に投げ入れる)を、児童達も体験していると感じました。


児童12の意見にもあるように、初めは何の気なしに投げていた石なのに、石の落ちた波紋をじっくり見ているうちに、波紋の形に強い興味が湧いてきました。


周りにある小さな石や、大きな石を次々に水面に投げ入れ、生じた波紋に見とれながらシャッターをきりました。


児童7、児童11の意見が、そのものズバリであることに鳥肌が立ちました。


正解、不正解ということではなく、児童達が主体的に、作品をみることで、自分の中で、作品をつくっていたのだと感じました。



児童が帰った後、行われたアレナスのトークでは、


「木下さんのトークも、浅見さんのトークも、とても具体的なもので分かりやすい。大人はよく、作品について話すとき、抽象的な考え方や比喩を用いる。一方今日来ていた子供達の意見は、とても具体的です。この具体的な意見は、対象をよく観察しているからこそ生まれるものです。こうした具体的な考え方ができなければ美しい抽象、比喩にいたることはできない。そうした意味で、大人よりも子供達のトークの方が魅力的だった。」



「アーティストは霧のようなものだ。」



「作品は作家が制作しただけでは終わらない、もしその場で完結してしまっている作品があったとしたら、それはアートと言えるだろうか?」



「作品は見る人がいて、初めて完成するものである。」



と語った。




これらの言葉を受け、美術の価値について深く考えると同時に、制作、作品について追及していきたいと思いました。


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