asa. Diary
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2007/02/18(日) 「GOOD ENOUGH」
…GOOD ENOUGH

Cyndi Lauperのその言葉の響きに、幼い頃意味も分からない私は、ただ心地よかっただけであった。

…GOOD ENOUGH






 丁度一年前、私は、彼とはじめてであった。



場所は、私達の学年の卒制制作展での会場。





彼は、私の卒制作品を見て、


「これだけ自分と真摯に向き合い、表現している人がいる。自分も、自分のやりたいことをやろうと決めた」


と言ってくれた。



彼は、かつての夢を、流れすぎる日々の中で、忘れようとしていたのかもしれない。



「仕事に追われ、自らの夢をいつか忘れてしまう」



彼がまさに今、闘っている問題は、社会へ出る直前の私にとっても大きな問題だった。



彼は、芝居をやりたいという夢を強く持っていた。



「今の会社でやっていれば、確かに安定はしている。けれど、何か違う」




それから、様々な活動を支援してくれたり、アドバイスを頂いたりする中、出会ってから1年とは思えぬほど、親しくなった。



そして、昨日。


彼の一つの答え、そして出発を目に焼き付けた。


劇団始発列車第二回講演「吾木香〜ワレモコウ〜」


仕事の中で、自分の時間を大切にし、休日は専門に通い、稽古を積んだ。


自分自身と向き合う時間を長く過ごした人の放つエネルギーは人を感動させる。


彼の姿を見ながら、私は自分自身の一年前の卒制から今までの時間について、ふり返ることができた。


そして、彼から大切なものを、教えてもらった。






 自分で決め、自ら行動した結果起こった物事は、「GOOD ENOUGH」以外はない。


次々におとずれる、疑問やいいわけや甘い自分を認め、深く戦い、「GOOD ENOUGH」へ導く。


そうすることで、初めて、自分を認めることができる。


それは、自己肯定の唯一の方法であると私は考える。






「GOOD ENOUGH」


その言葉の響きの中に、今では苦しみの側面を持つ。


しかし、彼の出発を見て、あの頃よりも、もっと心地よく響くその言葉を、私は常に感じたいと思った。

2007/02/12(月) 推進力の三連休
・2/10.11.12→とても濃い三連休でした。


10日


ゼミ飲みがあり、今後の課題がみえた。


作品が心ある人に購入され、その方の玄関に展示された。


私の作品はまた新たなコミュニケーションを生み出すことが出来そう。




11日

フリーペーパー『キタコミ vol.2』制作第2回会合があった。

(キタコミ公式ブログはコチラ→http://blogs.yahoo.co.jp/kitakosi_art


今回、ケーブルテレビの方から、『キタコミ vol.2』の企画から発行までを、番組にするため密着取材をしたいとの要望があった。

創刊号からの反省をいかし、『キタコミ vol.2』のテーマ決め、アイデア出し、商店会の記事取材までを撮影され、さらに広く社会に発信できる実感を得た。




12日


ワークショップをやらせて頂いた時に知り合った方の企画したシンポジウムの入り口ロビーで『キタコミ 創刊号』の制作過程を展示した。

その後、そのシンポジウムに関わっていた方とお食事をしながら熱い話をした。

様々なアプローチの仕方で、地域を盛り上げたり、自分自身を認め、同時に他人を認める場をつくったり、いい笑顔が溢れるその場所で、沢山の元気を頂いた。







これから自分が何をやるのか。

当たり前だけれど、それは自分自身が決めることだ。



人との繋がりの中で生かされていることを改めて確認し、自身の夢に向かって推進力を得られた三連休だった。



さあ、はじめようか!



写真は、自転車やさんの取材の様子。

2007/02/10(土) 「幹」
花をいただきました。




・理科非常勤講師、一年間の勤務最終日でした。




初任者研の穴埋めということで、不定期な勤務でしたが、職場の先生方はとてもやさしく、いろいろなことを指導してくれました。



理科を通して、身近に存在する事象の不思議を見つけ、「なぜ?」を大切にし、追求していくことを、生徒への最後の言葉としました。





これは、美術にも共通して言えることだと私は、思います。







教科を二種持っていることで見ることができた視点。






私は現在、専門的に細分化している学問は、「ひとつの何か」に最終的に行き着くのではないかと考えています。





国語、理科、数学、家庭科、社会、体育、美術、技術、道徳、語学、音楽…





さらにその教科からより専門的に枝分かれしていくけれども







「幹」はひとつなのだ




と。







その「幹」を多角的な視点で見ることができるように、様々な教科があり、追求することで、専門的になっていく。






これからも、多角的な視点と専門的な視点のバランスを大切にし、「幹」を追及して行きたいと思います。







一年間どうもありがとうございました。

2007/02/05(月) 仕事の後は
そう!!


お酒の時間!!!


ではなく(泣)。



フリーペーパー『キタコミvol.2』制作のため、会合に行ってきました。


創刊号での反省をいかし、土台をいかし、制作して行こうと思っています。


二月の予定帳は全て埋まりました。


もう後戻りはできないようです。


3月に『キタコミ』の取り組みが美術館で紹介できるようになりそうです。


これからまた会合を重ね、少しずつ波紋を広げていけたら嬉しいです。



みなさん!!仕事の後は『フリーペーパー制作』ですよ(笑)

2007/02/02(金) ブラックボックス


―本当にみたいものは、みようとしただけではみえないと私は思う。





先日の日記の友人からの書き込みで思い出したことがあるので書いてみる。


大学の講義で、先生は「おにぎりの値段はいくらだ?」と投げかけた。


この発問は、私の重要な肉となり、現在を生きる糧となっている。


私は、つまらない質問だなと思った。



おにぎりは「105円」に決まっている。



先生は続けた。


「たいていの人がコンビニで並んでいるおにぎりを考えただろう?」


「そのおにぎりの材料である米がどういう工程でできて、その工程には何日かかり、どのような苦労があるか、そして、どうつくられておにぎりになっているか、考えもしないだろう?」


「身近にあるおにぎりさえも、ブラックボックスなんだ!」


と。



この時、私は、とてつもない衝撃を受けた。


「みえているものは実はみえていないのだと」



それから私は、



「本当にみえるということはどういうことだろう」


「ものごとを理解するという事はどういうことだろう」



という問題を常に傍に置くようになった。




コンビニに行けば全てが陳列されているような時代。


夢や理想や、癒しや欲求や、国家や世界や、哲学や科学や価値観なども。


全ては均一なブラックボックスとして陳列されている時代。




それに対し、良い悪いは問題ではなく。




自分が本当にみたいものをみるために、ブラックボックスをどう扱っていくか。


これからも、目の前にある事象に対し、能動的に働きかけて行きたいと願う。







2007/02/01(木) ものづくりの原点を自作ルアーに見る
・昔から図画工作、美術は好きでした。


けれど、「ものをつくることが楽しい」といった本当の実感は、

「ルアーを自作し始めたときに初めて感じたのかも」

と昨日タックルボックスから出てきたルアーを見て思いました。



初めて作ったルアーは『Child』というルアー。

制作年は1996年。

中ニ、三の頃。



ルアーの制作は、素材と工夫と実験の連続がとても大きな要素です。


素材は、木の種類やパーツについて。


当時はインターネットはなかったので、手当たり次第試していました。


庭や公園、ホームセンターに行き、沢山の木を集め、加工しやすいもの、加工しにくいもの、水に沈むもの、浮くもの、重いもの、軽いものを吟味しました。


工夫は水に浮かした時のバランス、投げる時により遠くに飛ぶように重心を考える事。


何回も何回も、試作のルアーと一緒にお風呂に入り、ルアーの動きの実験をし、手直しをしました。


「素材」というものに対し、このとき初めて考えていたのだと思います。


釣行のときはいつも自作ルアーを持って行き、チャンスがあれば投げていました。


初めて魚がルアーに反応した時は、手足が震えました。


その時の、感動や驚きは何ものにも変えがたく、さらに様々な工夫の原動力になりました。


今も、形は違えど、このときと何も変わっていないのだと気付いたら、可笑しくなりました。


現在手元に残る自作ルアーは、十五種類。


友達にプレゼントしたり、どこかの草むらや、水中に残してきたのもあわせると四、五十種類制作したと思います。





写真

『Child』1996年作


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