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2006/07/03(月)
サッカーについて〜中田英寿引退宣言
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7月3日、中田が現役引退を発表した。
突然のこの発表に、私はとても驚いた。
あの、6月22日のブラジル戦。
試合終了のホイッスルの後、ピッチに留まった中田の姿は、とても印象的だった。
ユニフォームで目を覆い、ピッチの真ん中で空を仰いだ。
私は、その中田が、次はどんな形のプレイで、魅せてくれるのか、とても期待していた。
しかし、その答えは、プレイではなく、新たな旅への決意だった。
プレイを続けていくと思っていた私は、初めとても驚いたが、次第に、中田らしくとても美しい決断だと思うようになった。
いつでも中田はチームを思い、率先して声をかけた。
自身のコメントにもあるが、それがうまく伝わらず、相手を怒らせることもあった。
中田のこうした姿が、いつでもチームを引っ張ってきたのだと、私は思う。
日本特有の慣習について今更いうことはないが、その慣習が常につきまとう中で、中田はいつでも背中で答えを示していたように思う。
いつでも、チームの中心であり続けた男の決断した新たな旅に期待すると共に、一個人のファンとして、ありがとうと大きな声で言いたい。
「素晴らしい夢をどうもありがとう!」
サッカーとは素晴らしいスポーツ(表現)だと思う。
私が、小学校五年生の時に、Jリーグが開幕した。
今でも、開幕戦のベルディ対マリノスの試合の光景を覚えている。
スタジアムのネオンと共に、サッカーというスポーツがこんなに沢山の人を興奮させるのかと、驚いた。
アントラーズには、ジーコ、アルシンド、黒崎、ジェフには、リトバルスキー、レッズには、福田、ブッフバルト、ベルディには、カズ、ラモス、武田、石川、北澤、マリノスには、伊原、ディアス、松永、フリューゲルスには、モネール、前園、エスパルスには、長谷川、トニーニョ、グランパスには、リネカー、小倉、ガンバには、長島、松波、アレイニコフ、エムボマ、サンフレッチェには、高木、ノ・ジュンユン…。
そして、二つのチームが加わり、ジュビロには、ゴン、名波、藤田、そして、ベルマーレには、中田英寿がいた
それから、休み時間は必ずサッカーになり、学校が終わるとサッカーボールを持って近くの公園やグラウンドにいった。
時に、選手になりきり、無茶なカズのフェイントなどもした。 もちろん、決めるとお決まりのあれもやった(笑)
小遣いは、Jリーグチップスに消えた。
友達と選手のカードを交換し、あたりのカードでサッカーボールを貰った。
宮沢ミッシェルが12枚出たときは泣きそうになった(笑)
沢山の思い出の断片、断片に、サッカーがあることが分かる。
中学、高校、大学では、サッカーで友人が沢山できた。
数時間前には、他人だったヤロウが、一緒に数十分サッカーをしただけで楽しみを共有できる。
高校時代、修学旅行で、オーストラリアに行った。
その時、高校の生徒とサッカーをする機会があった。
語学が苦手な私が、その生徒達とサッカーをしている時、「サッカーは一つの言語だな」と思った。
その後、昼食を食べながら、サッカーの話で盛り上がった。
その時、中田の話題が中心となったのを今でも覚えている。
その頃、中田は海外でプレイし、その活躍は世界で広く知られていた。
私は、自分のことのように、中田が世界で知られていると思うと嬉しくなった。
スタジアムを埋め尽くし、街にはサポーターが溢れ出る。
サッカーは、世界共通の言語であり、もっとも沢山の人と共有できる表現方法なのだと思う。
これからの中田、サッカーにますます楽しみであると共に、私もサッカーを続けて行きたいと強く思った。
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